第33話 姉ちゃん


「──リル! このお魚、甘い味付けで美味しいですよ! こっちの山菜のサラダも最高ですね!」


 なんだか実家を思い出す味です!

 そう言って、彼女は満足そうに口いっぱいに料理を頬張っている。

 あたしはグラスに注いだ地酒を飲み干すと、そんな相棒の幸せそうな顔を見つめた。


「エルフってさぁ。草とか葉っぱとか好きだよなぁ」

「他人を草食動物みたいに言わないでくださいよ……。でも本当に美味しいですよ、この料理」


 素材が新鮮だからですかねー、と目の前でぱくぱく料理を口に運ぶエルフの少女。

 そんなラフィの笑顔を眺めつつ、あたしはフォークを魚にぶっ刺す。


 個人的にはもう少し獣の肉とか脂が欲しいところだ。

 まあ美味いのは美味いし、酒にも合うからいいんだが。

 妖精族とエルフ族は、たぶん好みが合うんだろう。

 なにより、相方が満足そうにしているのを見るのはこちらも嬉しい。

 


 夢中で飯と酒を腹に流し込み、気持ちも胃袋も満腹になった頃──。

 あたりはすっかり日が落ち、窓からは真ん丸な月が覗いていた。


 さて──。

 そろそろ楽しみにしていた、食後の『二次会』の時間だ。


「──あれ? リル、どこかに行くんですか?」


 よっこいせと腰を上げると、ラフィが声をかけてきた。

 あたしはセラーから酒瓶を一つ手に取り、彼女へと振り返る。


「ああ。ここの風呂はなぁ、酒飲みながら入れるんだってよ。ラフィも行くか?」

「えぇ、まだ飲むんですか……? わたしは今、お酒は一杯までと決めてるので」


 けっこうです、と手のひらを掲げて拒否するラフィ。

 この間、酒場で記憶をなくすまで飲んだのを気にしているのだろう。

 べつにどうでもいいのにと思うが……。

 まあ、ラフィはやたら外面を気にする堅物エルフなのである。

 

 それに──、さっき風呂場で変な空気になったばかりだ。

 高級旅館の特別な空気にあてられているのかもしれない。

 いつもお堅い彼女とは思えない行動だったし、今はあまり悪酔いさせない方が良さそうだ。

 今度変なスイッチでも入ったら、何をされるかわかったものではない。


(まあでも……、あたしはべつに嫌とかじゃないけど──)


「──って、何考えてんだあたしはぁ?!」

「………?」


 がぁぁ!と突然叫ぶあたしの横で、頭にはてなマークを浮かべているラフィ。

 妄想を振り払うように踵を返す。

 さっさと風呂場へ向かおう。

 変な邪念は酒で洗い流すに限る。


 廊下を進み、螺旋階段を降りる。

 そしてそのまま奥の風呂場へと向かった。


 そういえば──。

 他の客とすれ違わないなと思ったら、今日と明日は貸切りらしい。

 あのノーヴェとかいう胡散臭い男、どんだけ金と権力持ってるんだ。

 人気旅館の貸切りなんて、いくらかかるのか見当もつかない。



 脱衣所に到着したあたしは、酒瓶片手に服を脱ぎ捨てる。

 一瞬で生まれたままの姿になると、意気揚々と湯気の煙る風呂場へと突入した。


 きらきらと月の光を反射する湯船。

 昼とは違い、夜の光景もまた別格に美しい。

 沢や風の音も別物に聞こえて新鮮だ。


 湯に浸かると、再びじんわり体の芯が温まっていく。


「あー……。気持ちえー……」


 思わず声が漏れる。

 空を見上げると、満天の星空が広がっていた。


 百年前にはよく見た景色。

 だが、今はあまり馴染みのない空だ。

 最近はそこら中の魔動灯のおかげで、街は深夜も明るい。

 人々も遅くまで活動するようになった。

 こんなにくっきりと綺麗な星空は、中枢地区ではもう見ることができない。

 それだけに、この場所がなおさら特別に感じてしまう。


 酒を杯にいれ、水面に浮かべた盆の上に置く。

 東方の国ではよくやるやり方らしい。

 パルメが昔そんなことを言っていた。

 なかなか風情があって良いし、一度やってみたいと思っていたのだ。


 ちびちびと酒を喉に通す。

 外側と内側からぽかぽかになっていく感覚に思わず思考がとろけそうになる。


「それにしても──。久しぶりに思い出したな、姉ちゃんの顔……」


 さっきのラフィとの会話で話に出たからだろうか。

 すっかり心の奥底にしまわれていた記憶。

 埃をかぶって忘れさられていたそれが、うっかり再び脳裏に蘇ってきた。

 

(──そういえば……。昔はよく、こうやって姉ちゃんと星を眺めてたっけ。)


 星空を見上げながら、ふぅ、と息を吐く。

 風呂から立ち昇る湯気がゆらりと揺れた。


 冒険者になった動機──。

 それはたしかに、最初は姉を探すためだった。

 でも正直なところ、最近はもうすっかり諦めていたのだ。

 ラフィという気の合う相方と出会えてからは、姉のことを考えることすらなくなっていた。

 

 ラフィの手前、ああ言ったが──。

 おそらく姉は、もう生きてはいないと思う。


 昔は今とは違う。

 あの時代は、女独りで生きるには厳しい。

 単独で安定した暮らしを得るのは難しかったし、大型の獣や野党など、そこら中が命の危機に満ち溢れていた。


 姉はあたしと違い、喧嘩は不得手だった。

 魔族だから多少の腕っぷしはあったものの、それだけであの激動の時代を生き残るのは難しいだろう。


 それに、何より──。

 今は遠方との連絡手段などいくらでもある。

 生きているのなら、さすがになんらかの一報くらいは寄越すはずだ。


 この時代で何の音沙汰もないということは──。

 つまり、そういうことなのだろう。


「……いかんいかん。せっかくの酒が冷めちまう」


 湿っぽい思考は止めだ。

 せっかくの露天風呂の月見酒。

 どうせなら、もっと気持ちの良くなることを考えよう。


 気持ちの良くなることか……。


『リル……』


 相棒のエルフの顔が、なぜか真っ先に目に浮かぶ。

 目と鼻の先。

 少し顔を近づければ、お互いの肌が届くほどに近くに──。


「──だぁぁあああっ!?!」


 頬が真っ赤になるのを感じ、ぶんぶんとその場で手を振り払う。

 なんかもう今日のあいつはダメだ……!

 べつのやつのことを考えよう。


 ぐいっと酒を煽り、あたしは邪な思考を追い出す。

 


 喉元を熱い酒が通り過ぎる。

 食道に温かさを感じつつ、小さく息を吐き出した。


 ──そんなときだった。


 ふと、小川を跨いだ森の奥。

 木々と木々の狭間に、仄かな光が見えた気がした。



「……なんだあれ?」


 目を凝らしてみる。

 魔族は夜目も効く方だし、あたしも視力は自信がある。

 じっと暗がりの奥を凝視すると──。

 木々の間に、何やらぼんやりと灯る明かりのようなものが見えた。

 

 さらに目を凝らすと、それは段々と誰かの後ろ姿のように見えてくる。


 ──ごくりと、生唾を飲み込む。

 あの背中には見覚えがある。

 それは、記憶の中にある『彼女』の姿と同じものだ。


(あれは………)


 酒の杯を片手に、あたしはしばらく自分の目を疑った。

 誰と見間違えるはずもない。

 あれは、小さな頃に、あたしがずっと追いかけていた背中だ。



「……姉ちゃん?」



 思わず、ぽつりと呟く。


 ──いや、そんなはずはない。

 冷静になれ。

 姉がここにいるはずがないのだ。

 酒と変な気分のせいで気持ちが昂り、幻でも見ているのかもしれない。

 

 けれど──。

 月明かりの揺れる湯船の中。

 あたしはその光景から目を離せずにいた。

 しばらくぼんやりと光っていたそれは、だんだんと森の奥へと消えていく。


 追いかけないと。

 一瞬、脳裏にそんな思考がよぎった。

 あたしの理性は、あれはただの見間違いだと言っている。

 だが──。


「……ちょっと、様子を見に行くだけだ。……散歩みたいなもんだし」


 自分に言い聞かせるように呟くと、あたしはすぐに湯船から立ち上がる。


 うかうかしていたらあれを見失ってしまうかもしれない。

 追いかけるなら今すぐだ。


 湯船から一歩踏み出し──。

 今更自分がすっぽんぽんなのに気付いた。

 ……まあ、今は夏の夜だ。

 魔族なら風邪を引くことはないだろう。

 それに森の中で人目もない。

 ちょっと裸族の変態みたいだが、素っ裸でも問題ないはずだ。

 

 あたしは風呂場を出ると、目の前の小川を一足飛びで飛び越える。

 そして謎の光を追いかけ、そのまま森の奥へと走っていった。




==============================




「──ラフィさん、どうかしましたか?」

「ああ、いえ。……リル、遅いなと思って」


 ベッドメイクに来てくれたティーナの隣で、わたしは独り言のように呟いた。


 リルが風呂に入りに行ってから、もう二時間はたつ。

 彼女が酒好きの長風呂好きとはいえ──。

 いくらなんでも遅すぎやしないだろうか。


 風呂場でのぼせてぶっ倒れたりしてなきゃいいけど……。


 そんなわたしの様子が気に掛かったのだろう。

 ベッドシーツを整えつつ、ティーナが話しかけてくる。


「リル様、どこかに出かけているのですか?」

「さっきお風呂に入りにいったんですよね。酒瓶片手に。風呂で飲むんだみたいなことを言ってました」

「……? そうなんですか?」


 わたしの言葉に、妖精の少女は首を傾げた。


「それは変ですね……。さっき清掃に行きましたけど、誰もいませんでしたよ?」

「え……?」


 ティーナと二人、顔を見合わせる。


 風呂上がりに散歩にでも出たのだろうか。

 ここは街と違って街灯なんかは一切ない。

 まあ、意外としっかりしてるリルのことだし、夜の森であっても万が一はないとは思うが……。


 不安な気持ちが首をもたげかけたとき──。

 妖精の少女の小さな手が、はらりとベッドシーツを取り落とした。


「も、もしかして……。森のヌシにさらわれたんじゃ……!」


 小柄な体をぷるぷる震わせるティーナ。


 森のヌシ──。

 昼間話していた、妖精を頭からぱっくり行く怪物の話か。

 よほど彼女にとってトラウマらしく、頬に手を当てたまま顔面蒼白になっている。


「ど、どどどうしましょう!? ま、まずはお父さんとお母さんに伝えて──」

「落ちついてください、ティーナさん」


 ふよふよ飛んでいる彼女の体をがしりと掴む。

 手のひらの中でバイブレーションのように震える彼女を、いったんなだめて大人しくさせる。


「リルは、ああ見えてバカみたいに強いんです。多少危険な目にあっても、独りでなんとかできるはずです」


 仮に森のヌシが実在し、リルがそれに遭遇していたとしても──。

 所詮はただの野生の獣。

 彼女ならワンパンでのして帰ってくるはずだ。


 ただし、安心するには少しだけ早いかもしれない。

 今は、二つほど気がかりなことがある。


 一つは彼女が泥酔状態であろうこと。

 そしてもう一つは──。



『──ああ、そうそう。契約は、今この時を以て開始だ。よろしく頼むよ』



 治安局で、ノーヴェが別れ際に告げたセリフ。

 ずっと心の片隅に引っかかっていたその言葉を思い出す。


 べつにその文言自体はおかしな話ではない。

 だが、あの契約の中にあった文面。

『突発的に魔獣と遭遇した際には、これを可能な限り討伐すること──。』

 この文章が引っかかる。

 あの男が、ただの善意で宿泊券などくれるのだろうか。


「まさか……。森のヌシが魔獣だってことはないですよね……」


 あの胡散臭い局長──。

 まさかこれが目的で、わたしたちをここに寄越したわけじゃないだろうな……。


 少し、様子を見に行った方がいいかもしれない。

 風呂に行く前、リルも突然叫んだりと、なんだか様子がおかしいところもあったし。


 わたしは窓の外に視線を向ける。

 暗く深い夜の森は、月明かりに照らされてぼんやりとその影を落としていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

詠唱魔術は衰退しました @kinakoanpan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ