第31話 妖精の旅館
──サンロク地区。
すっかり近代化した他の地区に比べると、ここは山奥の自然豊かな土地だ。
人混みだらけの中枢地区よりも時間の流れもゆっくりに感じる。
元々この緑深い地は、妖精族が住処にしていた場所だったらしい。
百年前はマナに溢れる樹海だったと記憶している。
魔力を扱う魔術師にとっても特別な土地だったはずだ。
だが、時代は大きく流れた。
麓の開拓が進むと同時に森の様子も段々と変わっていった。
かつては見渡す限りの木々に覆われていた土地。
それも、今では中央を貫くように太い国道が走っている。
じわじわと面積を減らす森林。
当然、元の住人である妖精たちも棲家を追われた。
この百年で、妖精族の殆どは森での生活を捨てたらしい。
妖精と言えば、昔はその神秘性と秘匿性で人気な種族だったのだが……。
なんだか、時代が進むごとにロマンが消えていく気がしてならない。
便利なことは良いことだ。
だが、どうしても一抹の寂しさを感じてしまう今日この頃である。
そんなことをつらつらと考えながら、わたしは車を駐車場に停めた。
運転席から降りて、目の前の建物に目を向ける。
ノーヴェから貰った宿泊券。
まさにこの場所こそ──。
森に残った最後の妖精たちの営む、知る人ぞ知る秘境の旅館なのだ。
「──へぇ。なかなか良さそうなところじゃん」
「そうですね。自然豊かで空気も綺麗ですし。なんだか心も洗われていくようです」
胸いっぱいに森林の空気を吸い込む。
森の奥にひっそりと佇む古風な洋館。
メイヴェリアス邸のような華やかさはないが、その佇まいには質素ながらも気品を感じさせる。
全体的にサイズ感が小さめなのは、妖精族が作った宿だからだろうか。
彼女たちからすれば巨大なのだろう。
だが、わたしたちからすれば、随分とコンパクトサイズだ。
種族感覚の違いが感じられてちょっと面白い。
「──いらっしゃいませ。ご予約のラフィーリア様とリル様ですね。お部屋へご案内致します!」
旅館の屋内へと入る。
すると、まだ若い妖精族の従業員さんが笑顔でお出迎えしてくれた。
身長はわたしたちの顔くらいだろうか。
小柄だが、その分若者のフレッシュさに満ち溢れている。
民族衣装を取り入れた古風なメイド服がとってもキュートだ。
ついつい、じろじろと観察してしまう。
妖精のメイドは少し恥ずかしげに顔を赤らめると、わたしたちに向かってぺこりと頭を下げた。
「わたしの名前はティーナと言います。お二人のお世話を申しつかっていますので、何かご用があったら遠慮なくおっしゃってくださいね」
ぐいっと身を乗り出し、にこりと微笑む妖精の少女。
……なんだろう。
こちらを見ている彼女の小さな瞳が、必要以上にきらきらと光っているように思えた。
まるで何かを言いたくて仕方がないといった感じだ。
こちらの訝しげな視線に気付いたのか。
ティーナと名乗った妖精族の少女は、もじもじと体をよじらせながらも──、遠慮がちに、こちらを見上げて口を開いた。
「……あの、失礼でしたらすみません。お二人のご職業は請負屋の方でしょうか?」
「そうですけど……?」
何か問題でもあるんだろうか……。
下賤な職業の人間は帰れ、なんて言われたら、ちょっと泣いてしまうかもしれない。
だが、ティーナはますます目を輝かせる。
そしてぶんぶんと興奮したように両手を振った。
「やっぱり!ジョブセンターに勤めてる姉から、お二人の名前を聞いたことがあって!魔族とエルフ族の方と聞いてたので、そうじゃないかと思ってたんです!」
彼女は嬉しそうに羽を羽ばたかせると、くるりと空中で回転して見せた。
ジョブセンターの妖精族というと……。
以前何度かお世話になっていた、あの気だるそうなお姉さんのことだろうか。
スレた感じの姉さんに比べて、ずいぶんピュアな妹さんだ。
いったいわたしたちの何を吹き込まれたのか……。
恐ろしいが、非常に気がかりなところである。
妖精の少女は拳を握りしめ、さらに身を乗り出す。
「わたし、じつは請負屋さんの職業に憧れているんです!みなさんの依頼を受けて、いろんなところに出かけて──。昔話に出てくる冒険者みたいなお仕事ですよね!」
昔話か……。
わたしにとっては身近な職業だったんだけどなぁ。
若者との世代格差に、思わずくらりとする。
しかし冒険者はともかくとして──。
請負屋はそんな夢のある職業ではない。
報酬は不安定だし低賃金。
どう考えても人気旅館の従業員の方が良い暮らしができるだろう。
少し気まずい思いを抱えつつ、彼女に尋ねる。
「ティーナさんは冒険者がお好きなんですか?」
「はい!おばあちゃんがいつも寝る前にお話をしてくれて。──あ、おばあちゃんも昔は冒険者だったらしくて──」
小さな体でまくし立てるように話すティーナ。
パタパタと動く羽根がじつに愛らしい。
だが彼女は、すぐにハッとしたように口を閉じる。
そして、少々バツが悪そうに頭を下げた。
「す、すみません、お客様の前で……。わたしのことばかり長々と話しちゃって……」
「いえ、可愛いので問題ないです」
ぐっと親指を立てると、ティーナは不思議そうに首を傾げていた。
ふよふよと飛んでいくティーナの後に続き、小洒落た螺旋階段で二階へと上がる。
しっとりとした木造りの階段。
小さな窓からは豊かな森の風景が臨める。
昔は森の民とも呼ばれたエルフの血のせいだろうか。
なんだかとても落ち着く風景だ。
そのまま長く伸びる廊下を通り、歩みを進める。
しばらく歩くと──。
妖精の少女は、とある部屋の扉の前でぴたりと立ち止まった。
そして後ろのわたしたちへと、くるりと振り返る。
「お待たせいたしました、ここがお二人のお部屋になります!」
そう言って彼女は扉の鍵を開ける。
そしてドアノブを回すと、それを両手で思い切り引っ張った。
妖精族の小さな体には、通常サイズの扉はさすがにちょっと重そうである。
懸命に羽をパタパタしながら引っ張る姿がなんとも愛らしい。
ティーナがなんとかこじ開けた扉を通り、部屋の中へと入る。
すると、目の前には想像以上に綺麗な室内が広がっていた。
質素でありながらも気品の溢れる部屋だ。
漂う木の香りが気持ち良い。
広さもうちのリビングの三倍はあるだろうか。
窓から差し込む陽光。
さわさわとさざめく木の葉と風の音。
近くに沢があるのか、涼しげな水の音が良い環境音になっている。
ティーナの小さな体がくるりと回る。
彼女は部屋の奥に向かって右手を差し出すと、満面の笑顔を咲かせた。
「さあどうぞ! お飲み物やお酒類は、奥のセラーに置いてあります。ご自由にお飲みくださいね」
彼女のその言葉に──。
ずっと暇そうにしていたリルが、待ってましたとばかりに顔を輝かせた。
「よっしゃ! 酒だ酒ぇ!」
うひょー、と変な声を上げながら、魔族の少女が奥の部屋へと突進していく。
せっかく風情ある部屋で情緒を楽しんでいたというのに……。
子供じゃないんだから、もう少し落ちつきを持って欲しいものである。
「お食事は19時になっておりますので、時間になったらお持ちいたしますね。お風呂は一階の廊下一番奥になります。よければお食事前にご堪能ください!」
それではごゆっくり!
ティーナはそう告げると、軽やかに頭を下げた。
わたしが彼女にお礼の言葉を返した、ちょうど同じタイミングで──。
部屋の奥から、「うぉおおおっ!」という歓喜の叫びが聞こえてきた。
どうやらよほど凄い酒棚らしい。
というか、こんなに素晴らしい宿と景色を前にして、酒にしか目の行かない相棒が情けなくなる。
「──リル!せめて声は小さめにしてください。他のお客のご迷惑になりますから……!」
声を抑えながら、奥の部屋に向かって呼びかける。
すると、「へいへい」とじつに面倒くさそうな返答が返ってきた。
「うっせぇなぁ。わかってるって、母ちゃん」
「誰が母ちゃんですか……!」
そんなわたしたちのやりとりを楽しそうに見つめるティーナ。
まあ、彼女も問題なさそうにしているし、たまにハメを外すくらいならいいか……。
何せ、久しぶりの休暇だ。
正直なところ、わたしも内心テンションがごりごり上がっているのを感じる。
食事はどんな物が出てくるんだろう。
いや、まずはその前に温泉か。
うちの風呂はとてもじゃないが足を伸ばせるような広さはない。
小柄なリルはともかく、わたしにとっては全身を伸ばせる貴重な機会だ。
たっぷり堪能させてもらうとしよう。
わたしが夢見心地の妄想に浸っていると、ティーナがふと思い出したように告げる。
「──ああ。それと、あまり森の奥へは行かないでくださいね。けっこう深い森なので」
妖精の少女は、「それに──」と何かを言いかけて口を閉じる。
森には慣れているし、少し奥まで散歩に行ってもいいかと思っていたが……。
まあたしかに熊とか野犬とかが出たら危ないかもしれない。
だが、彼女の口ぶりはそんな空気感とは少し違ったように感じた。
「ティーナさん、どうかしました?」
「いえ……」
言おうか言うまいか、一瞬考えていたのだろう。
だが、結果的に気にせず話すことにしたらしい。
ティーナは少し声を落として、囁くようにわたしに語りかける。
「──おばあちゃんが言うには、この森には恐ろしいヌシ様がいるらしいんです」
彼女がごくりと唾を飲み込むのがわかった。
緊張した面持ちのまま、彼女は話を続ける。
「……真っ暗な夜。ヌシ様は不思議な魔力の灯りをともすんです。暗がりの中、ぼんやりともる光を仲間と見間違い──。うっかり近づいた妖精族を、いきなり頭からパクッと──」
がーっ、と言いながら、両手を真上にあげるティーナ。
いちいち可愛いなこの子。
ともあれ、森のヌシか……。
ただの子供騙しの作り話なのか、はたまた真実の出来事なのか。
まあ、ここは歴史の長い深い森だ。
ヌシと呼ばれる獣がいること自体は、べつにおかしな話ではない。
最近は大型の獣が人里近くまで降りてくるケースも増えたと聞く。
一応注意しておくのに越したことはないだろう。
「まあ、ただのお伽話みたいなものなので。あまり気にしないでください。でも、森の中は普通に危ないことも多いですから。出歩く際は、その辺の散歩くらいにしてくださいね」
それではごゆっくり!
そう言って軽快に頭を下げると、ティーナはふわふわと部屋から出て行った。
入れ替わるように、奥の部屋からリルの声が飛んでくる。
「おい、ラフィ!早く来い!まさに天国ってやつだぜここは!あたしは今日からここに住むぜぇ!」
「はいはい……。大金持ちになれたら出直してきましょうね」
子供みたいにはしゃぐリル。
その声に肩をすくめながら、わたしは彼女の元へと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます