第27話 超大型魔獣
──心拍数があがる。
立て続けの命の危機。
それだけでもショックが大きいのに、さらにこの化け物のおまけつきだ。
目前には、天を突くかと思えるほどに巨大な魔獣の姿。
わたしの思考回路は、もう完全に焼き切れる寸前になってしまっていた。
「ラフィ……!!」
慌ててかけ寄ってくる相棒の姿。
よろよろとふらつくわたしの体を、リルの小さな手がそっと支える。
「このバカが!ヒヤヒヤさせやがって……!」
「すみません……」
わたしの力ない謝罪の言葉に、リルはホッとした様子で表情を緩める。
しかし、すぐに周囲を見渡し、目の前に新たに現れた災厄に目を向けた。
「しっかし……、ありゃなんだ……」
彼女の視線がはるか上方を見上げる。
その魔獣は、まるで神話に出てくる巨人のようだった。
百年前に見たことのあるドラゴンですら、あれに比べたら小鳥のようなサイズ感だ。
全身を覆う、汚染された黒いマナの泥。
頭部にあたる部分に表情は見とめられない。
顔の中には、黒く深い闇が広がるだけ。
まさに漆黒の巨人というべき風体だった。
全長だけでも、前に見たブリキの魔獣の数十倍はあるだろう。
その気になれば片足で踏んづけてしまえそうなくらいだ。
どう考えても、あれは人の身で太刀打ちできる存在には思えない。
あれが人智を超えた悪魔の姿だと言われたら、わたしはそれを信じてしまうだろう。
「ありゃどう見てもやべぇな……。さっさとずらかるのが吉ってもんだ」
リルはわたしを背中に背負うと、その場から全速力で走り始めた。
魔獣もそれに気付いたのだろう。
わたしたちを追うようにゆっくりと移動を開始する。
砂浜と後ろに続く道が、次々と黒い泥で埋まっていく。
巨人の体から流れ出した汚染されたマナの塊だ。
まるで黒い津波に追いかけられているようにすら思える。
一瞬でも速度を緩めれば、一気に追いつかれてしまうだろう。
リルはわたしを背負いながら、海沿いの道を駆け抜けていく。
さすがに混乱しているのか。
いつもの皮肉めいた軽口も出てこないようだった。
「おい、ラフィ! あの泥みたいなの、触れたらやべえやつだよな!?」
「たぶん……。全身どろどろに消化されて、魔素に戻されるんじゃないですかね……」
「グロすぎッ!!ならとにかく遠くへ逃げなきゃなぁ!」
リルはさらに速度をあげる。
人をひとり背負っているというのに、さすがは魔族の脚力だ。
右斜前方に視線を向けると、アンジェを抱えたパルメとリコッタが全速力で逃げているのが見えた。
とりあえず、あの泥に巻き込まれた犠牲者はいない。
それだけは少し安心した。
(けど、これはおそらく──)
リルの背中で揺られながら、ゆっくりと思考を巡らせる。
エリア丸々の異界化──。
マナ汚染の引き起こす異常には、そんな規格外の事象も存在したと聞いたことがある。
ただのお伽話だと思っていた。
だが、そのレベルの異常事態が、今目の前に存在している。
正直……、絶望感とともに変な失笑まで浮かんでくる。
どれだけの魔力を内包していたらあんな化け物が出来上がるのか。
人の身では絶対に辿り着けない魔力量。
想像するだけで、あまりの途方もなさに押しつぶされそうだ。
あれはまさに災害や天災と呼ぶに相応しい悪夢だろう。
ふと、リルの視線が右前方に向けられる。
そして、彼女は「おいおい……」と呻き声を上げた。
砂浜の先で、先程まで倒れていたゴーレムが起き上がったのだ。
魔獣の攻撃でけっこうなダメージを受けたのだろう。
動きが少しぎこちない。
だが多少手負いになっていたとしても、今のわたしたちを捻り潰すのには充分な力を持っているはずだ。
この状況であれまで敵に回して立ち回るのは不可能に近い。
珍しく焦った様子のリルが、背中に背負ったわたしに声をかける。
「ラフィ! どうにかして、ヤツを足止めなり牽制なりできねぇか?!」
わたしはごくりと唾を飲み込み、「ま、任せてください!」と大きく頷いて見せた。
だが──。
これは、半分嘘だ。
わたしの魔力量は、じつはもうほとんど空に近い。
あのゴーレムを退かせるだけの魔術はもう使えない。
下手をすると、一撃防ぐことすらできないかもしれない。
(……けど、わたしがやるしかない……!)
リルはわたしを背負っている。
満足に迎撃に動くことはできないだろう。
今手が空いているのはわたしだけだ。
なら、わたしがなんとかするしかない。
いざとなれば噛みついてでも反撃する。
……まあ、歯が折れそうなので、できればそれは勘弁願いたいが。
(く、来るなら来なさい……! 大魔術師を目指す者の底力、見せてあげますから……!)
ぐっと腹に力をいれ、全身の隅々から残った魔力を絞り出す。
気分はもはや出涸らしの雑巾だ。
しかし──、結果としてその必要はなかった。
予想とは、まるで真逆な出来事が起こったのだ。
幸か不幸か──。
ゴーレムはこちらに目をくれることなく大きく跳躍すると、後ろに迫る巨人の魔獣へと突撃していった。
リルの目が驚きに見開かれる。
「──お、なんか知らんがチャンスだ!潰しあってくれてるうちに、さっさと逃げるぜ!」
「助けてくれる──、というわけではなさそうですが……。なんのつもりなんでしょうか」
「どーでもいいだろ。あたしたちにとっちゃバチくそにラッキーってやつだ」
リルは息を上げながら笑う。
あのゴーレムの目的は、明らかにわたしたちの始末だった。
それは間違いない。
だがあれは、わたしたちよりもあの巨人の対処を優先した。
これはなかなか面白い出来事だ。
普通、ゴーレムは単一の単純な命令を聞くことしかできない。
命令の優先順位への理解。
それを実行に移せるということは、かなり高度な思考回路を持っているということだ。
いったいどんな魔術構成なのだろう。
あれの制作者が誰かは知らないが、とても気になる。
わたしの魔術師心にびんびん来るやつだ。
「──ふふっ、いつか解体してみたいものですね……」
「いきなり何の話だよ!?怖ぇからやめろや!」
しまった、ついつい趣味に勤しむ心が表に出てしまった。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
後方に視線を向けると、ちょうどゴーレムが魔獣と接敵を開始したところだった。
鈍色に光る大剣が全力で振り下ろされる。
その速度も重さも、わたしに死を覚悟させたときと全く変わらない。
──だが。
さすがに相手が悪すぎたようだ。
何度かの剣撃と攻防の末──。
羽虫でも払うかのように、魔獣の腕が大きく振るわれた。
その巨体からは考えられない速度。
まさに、クリーンヒットだった。
ゴーレムの鎧は破片を撒き散らしながらその場から吹き飛び──。
海岸の崖にぶつかり、ついに動かなくなった。
魔族の少女は、その光景を横目で確認し、吐き捨てるように呟く。
「ちっ、あのゴーレムを雑魚扱いかよ……。マジでなんなんだあの化け物……!」
リルは舌打ちとともに、遠くで動かなくなったゴーレムに目を向ける。
「──ま、けど距離はけっこうとれたはずだよな!あとはこのまま──」
そこまで言いかけたときだった──。
突然、一瞬で周囲が暗くなった気がした。
まるで突然太陽が隠れたような感覚に襲われ、思わずリルの背中から空を見上げる。
──黒く巨大な板のようなものが、頭上を覆っていた。
それが、あの超大型魔獣が伸ばした手のひらの影だと気づいた瞬間──。
わたしたちは未だに敵の射程圏内なのだと。
本能で、そう理解した。
(魔力で質量と体積を増やして……、腕を伸ばした……!?)
いくらなんでもでたらめが過ぎる。
魔術も通さず、純粋に魔力を固めて物質化させたのだ。
どれだけの魔力密度があればそんなことかできるのか……。
もはやわたしには見当もつかない。
「リル……!やつの腕が、手のひらが空から降ってきます!」
「はぁ!? なんだその頭おかしい説明はよぉ!」
「仕方ないでしょ!そのままの意味なんですからぁ!」
まずいまずいまずい……!
リルはわたしを背負って自由に動けない。
ろくに魔力のないわたしでは、あんなの対処のしようもない。
このままでは二人とも巨大な手のひらの下でぺしゃんこだ。
まるで巨大隕石か何かのごとく、黒い手のひらが頭上から迫ってくる。
轟々と吹き荒ぶ風。
衝撃波が道路を激しく揺らす。
このまま数秒後には、エルフと魔族のハンバーガーが出来上がりだ。
そんな死に方、絶対に御免だ。
「ヤバいですって!もっと速く走ってくださいよ!」
「うるせぇ!てめぇのケツが重すぎて限界なんだよぉ!」
「はぁ?!先月より痩せましたけど!?お菓子だって封印したんですけど!?」
もうだめだ……!
追いつかれる……!!
半泣きで悲鳴をあげたわたしは、衝突に備えて頭を抱える。
真っ黒く伸びた巨大な指の先が、わたしの背に触れようとした。
その瞬間だった。
──ふわりと、煙が大気に溶けるかのように。
それはまるで、風に吹かれて消えていく砂山のような光景だった。
巨人の魔獣の姿が、ゆっくりと薄くなっていく。
さらさらと流れ落ちていく黒い巨体。
黒い泥もまたたく間に蒸発していく。
数秒も待たずに──。
魔獣の体は、その場から跡形もなく消え去っていた。
「……え?」
わたしは呆然と背後を見つめる。
先程までの惨状が嘘のように、あたりは静かな田舎の海に戻っていた。
砂浜に空いた大穴。
壊れた道の残骸だけが、先程までのことが夢ではなかったと示している。
茫然とするわたしの前で、リルが呆気に取られたように声を漏らす。
「……おい、あいつ消えちまったぞ。……どうなってんだぁ?」
「わ、わたしにもさっぱり……」
ただの気まぐれか?
それとも時間制限があるとか……?
いろいろと仮定はできるが、結論を出すことは不可能だ。
わたしたちは、あの化け物に対して……、いや、そもそも魔獣という存在に対して、あまりにも無知すぎる。
ため息と安堵の息を吐く。
道の先で、パルメたちが手を振っているのが見えた。
──よかった。
どうやら向こうも無事みたいだ。
とりあえず当面の危機は切り抜けられたらしい。
緊張の糸が切れると同時に、どっと疲労感が押し寄せる。
「疲れましたね……」
「あぁ……。今日はもう酒もいらん。早く帰って寝てぇ……」
「明日は雪ですね、これは」
「んなわけねーだろ。今は真夏だ」
気だるそうにリルが告げる。
とりあえず……。今は無事に難所を乗り切ったことを喜ぼう。
いろいろと考えなければならないことは山ほどある。
だが、明日のことは、明日のわたしに任せればいい。
人生気の抜きどころも肝心だ。
──ただし、一つだけ。
一つだけ、帰宅の前に突っ込んでおかなければならないことがある。
「……一応言っておきますが。わたしは、重くありませんから」
「へいへい。──おーい、パルメー。帰りのアシ探せるかぁ?ブリリアントフレンドリー号は鉄屑になっちまったからよぉ」
「今テキトーに返事しましたね!?いいですか、これはわたしの尊厳に関わる問題で──!」
「はー、うっせぇなぁ。ケツ肉削ぎ落としてでなおしてこいや」
吹き抜ける青空の下。
汐風と香る海岸沿いの道を、ぎゃーぎゃーと騒ぎながら歩いていく。
長い長い一日が終わり、わたしたちはようやく帰路についたのだった。
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「これはまた、手酷くやられたね」
「ええ。虚獣の出現は完全に想定外でした」
「あれは神出鬼没だからね。仕方ないさ。──だが、いつかは打ち倒さなければならない障害だ」
目の前には、ぼろぼろになったゴーレムの残骸が転がっている。
鎧は砕け、兜は見るも無惨にひしゃげている。
けっこう頑丈だったはずなんだけどね。
そう言って、男はガラクタになったゴーレムの残骸に手を突っ込む。
「──まあ、試運転にしてはこんなものだろう。まだまだ改良の余地がありそうだ。こいつも、もう少し頭を使うように教育しなければ」
男の右手が、瓦礫の鎧の下で何かを掴む。
そして、残骸の隙間から力任せに何かを引き抜いた。
冷たい目で見下ろす男の腕の先。
そこには、頭を掴まれ、力なく揺れている人影があった。
それは、骨が砕け血に塗れた──、一人の少女の姿だった。
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