第14話 魔族の友人



「──これでよし」


 下準備は完了だ。

 わたしは購入した触媒を地面に並べていく。

 ついでに商店で買ってきたチョークで魔法陣を描く。

 今回使用する魔術は父のオリジナル魔術だ。

 父を越えたいわたしとしては少々気は進まないが、まあ仕方がない。


(うまくいくといいけど……)


 オリジナルとはいえ、難易度はそう高くない。

 だが、動物相手の使用は少々イレギュラーな使い方だ。

 本当はきちんと測りを使って綺麗に描くべきだが──。

 今回はまあ、フリーハンドでもいいだろう。

 ささっと魔法陣を書き上げる。

 うん、まあこんなもんかな。


「………で。なんでリルはそんなに離れて見てるんですか」

「あん?念のためだよ念のため」

「何のためですか……」


 後方で腕組みしているリル。

 だから爆発なんてしないって言ってるのに……。


 それに対して、アンジェは「楽しみですわ!」と魔法陣の傍でうきうきの様子だった。

 こちらはこちらで、期待させすぎていないか心配になる。

 今から使う魔術はけっこう地味めだ。

 残念ながら子供受けが良さそうなものではない。


「さてと……」


 息を吸い込み、詠唱を始める。


 失せ物探しの魔導機械もなくはない。

 だが精度は低いと聞く。

 ──というか、範囲を広めにした代わりに、仕組みの術式がかなり大雑把になっているのだ。

 元は魔石の鉱脈を探すために開発されたものらしいし、そうなるのも仕方ないのかもしれない。


 対して、わたしの魔術は小物探し用。

 範囲が狭い代わりにけっこう精度は良い。

 動物に対して使ったことはないが──。

 まあなんとかなるだろう。


「アンジェさん。こっちに来て魔法陣の中に立ってくれませんか?」


 ほんのりと光を放つ魔力を帯びた魔法陣。

 その中心に、小さなお嬢様はおそるおそるつま先立ちになった。

 少し緊張しているのだろう。

 魔術など初めて見るだろうし、仕方ないことだ。

 彼女が足先を揃えたのを確認し、わたしは彼女へ声をかける。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。アンジェさんは、ペットの鳥さんのことをしっかり思い浮かべてください。特徴とか、できるだけ詳細な方が良いです。できますか?」

「もちろんですわ!子供の頃から一緒でしたもの」


 真剣な顔で目を瞑るアンジェ。

 ──子供の頃から、か。

 わたしからしたら、まだ彼女は充分子供なんだけど。



 しばらくすると──。


 魔法陣の中心から、ほんのりと光を放つ花びらが浮かび上がる。

 触媒のマンドレイクの花びらだ。

 ぼんやり光っているのは月花草の触媒効果だ。


 どうやら魔術の発動は成功だ。

 やればできるじゃないか、わたし。

 まあ、初心者用の魔術で何を得意がってるんだって話だが、成功は成功。

 喜ばしいことである。


 あとは移動する花びらが、タルトちゃんの居場所を教えてくれるだろう。

 あまり遠くまでいっていないといいが。

 徒歩での長距離移動はインドア派にはつらいのだ。


「──あ、動き出しましたわ!」


 ふわふわと光を放ちながら移動していく一枚の花びら。

 アンジェは見失わないように、しっかりとそれを見つめながら追いかけていく。

 

 側を離れないように、わたしとリルも彼女のあとを追いかけた。



==============================



 陰気な裏通りを抜け、表通りへと出た。


 少し前をアンジェが先導し、わたしとリルはその後ろをついていく。


 こちらの通りはけっこう人通りも多い。

 魔動車がひっきりなしに道路を通り抜け、歩道では多くの人々がすれ違う。

 最近は他所からの観光客も増えたらしい。

 通りをゆく人々の人種も様々だ。


 人間にドワーフ、稀にオークやゴブリンなんかも見かける。

 昔はこんなに雑多な種族たちが、ともに同じ社会の中で生活するなど考えられなかった。

 良い時代になった──。

 と手放しに言うにはまだ少し難しいが、少なくとも種族の共存という面では前進したように思う。


 しばらくの間、三人で歩道を進んでいく。

 日差しは強いが、今日はからっと晴れていて気持ちが良い昼下がりだ。

 ちょっとした散歩気分である。

 お嬢様の少し後ろについて、従者のようにリルと歩く。


(……まるで子連れのショッピング帰りみたいですね)


 そんなことをぼんやりと考えながら、前を行くお嬢様を見つめる。

 よほどお出かけが嬉しいのだろう。

 彼女は随分機嫌が良さそうだった。

 鼻歌混じりでうきうきとした後ろ姿を見せている。


 だが──。

 わたしは、先程から隣の魔族の少女が浮かべている表情が気になっていた。

 いつもニヤけづらのリルの顔。

 それが、今日はなんだか、いつもよりも平坦な表情に思えるのだ。

 不機嫌と言うよりも──。

 ……そう、浮かないといった顔だった。


「……さっきからどうしたんですか、リル。何か気に触ることでもありました?」

「──べつに。たいしたことじゃねぇよ」


 一拍遅れて冷めた返事が返ってくる。

 いつも能天気な魔族の少女。

 その眉間に、今日は珍しく皺が寄っている。

 いつもどおり振る舞っているようだが、何か隠しごとがあるのはお見通しだ。

 何年一緒に生活してきたと思ってるんだ、まったく。

 

「……アンジェさんのことですよね。プレゼントを受け取ったときから態度がおかしいとは思ってました。贈り物が気に入らなかったんですか? まさかお酒の方が良かったーなんて言わないですよね」

「んなこと言わねーよ!べつに貰ったもんが気に入らないとかじゃねぇ」

「じゃあ何なんですか」


 わたしの疑問に、リルは開きかけた口を閉じる。

 言うべきか言わざるべきか迷っているように見える。

 だが、しばらくののち──。

 彼女は、前を行くアンジェに届かないよう、ぼそりと小さく呟いた。


「あいつとはなぁ……。友達になんて、なれねぇんだよ」


 半ば吐き出すように紡がれた言葉だった。

 一瞬の空白の時間が流れる。

 彼女と友達になれない──。

 一体どういうことだろう?


「……リル。昨日は自分から友達になりたいって言ってたじゃないですか」

「ありゃただの方便だ。本気じゃなかったさ。……けど、あいつはマジでその気にしちまったみてぇだからなぁ」


 そんなこと、無理に決まってんのにな。

 リルはそう呟き、自分の右手へと目を向ける。

 彼女の小さな手のひらの上では、先ほど貰った小さなブローチが宙を舞い、そして落ちるのを繰り返していた。


「………何でですか」

「あ?」

「アンジェさん──。リルと話している時、本当に楽しそうでした。リルだって嫌じゃなかったはずです」


 友達になってくれと言われた時の嬉しそうな表情。

 初めてのまともな外出に喜び勇んでいた彼女。

 わたしたちのために、真剣に贈り物まで選んでくれた好意の気持ち。


 いくら長年連れ添った相棒とはいえ、あれを頭ごなしに否定するのは酷すぎる。

 せめてきちんとした理由が知りたい。


 こちらの納得のいかない表情を察したのだろう。

 リルは、大きくため息をつく。

 そして、何かを吐き出すように口を開いた。



「……あいつは人間だからなぁ。あたしたちとは生きる時間が違いすぎるんだよ」



 魔族の少女は、そう言って顔を背けた。

 ポケットに突っ込んだ左手が、所在無さげに開閉する。


「ヒト族の一生なんて一瞬だぜ、ラフィ。やつらの寿命は短いし、体も弱い。腕っぷしも強くはないし、死ぬ時はあっさり死ぬ。あいつだって、気がついたら婆さんになってあの世に行ってるさ。──あたしたちとあいつじゃ、そもそも生きる世界が違うんだ」


 長命種の魔族の少女はそっと目を逸らす。

 半ば独り言にも聞こえたその言葉が、雑踏の喧騒の中に消えていく。


 ──なるほど。

 やっと理解できた。

 百年連れ添ってきたが、リルがここまで心の内を吐露したのは初めてだった。


 ずっと気になってはいたのだ。

 リルが、わたしと組むことを決めた──、その根底の理由を。


「友人てのはなぁ。お互いが同格だから成り立つもんだ。目標や腕っぷし。そんで、──寿命もな」


 リルの言葉にようやく気づく。

 百年前、彼女はずっと一人だった。

 冒険者として名を馳せていても、彼女は決して誰とも組もうとはしなかったのだ。


 けれど、その孤高を終わらせたのがわたしだった。

 魔術で彼女を負かした後──。

 病院のベッドの横でひたすら謝り続けるわたしに、彼女はじつに楽しそうにキレ散らかしていた。

 

 あの瞬間──。

 わたしはきっと、リルの友人の定義に当てはまった。

 だからこそあの瞬間、彼女はわたしを受け入れる気になったのだ。


 わたしはそっと息をつく。

 そして、彼女の顔を正面から見つめる。


「……たしかに、あなたの言う通りかもしれません。──けれど。それはあの子を友人と認めない理由にはならない。それはただの我がままですよ、リル」

「………。」


 彼女の視線がアンジェの後ろ姿を見つめている。

 わたしはそっとリルの隣に立つと、彼女に肩を近づけた。


「いいじゃないですか。一緒に居られる時間がどんなに短くても。たしかにいずれ別れは訪れます。……でも、そんなのは誰が相手でも同じことです。大事なのは、お互いが今、どう思ってるかってことだけじゃないでしょうか」


 きっと、リルの価値観は彼女の長い人生の中で生まれたものなのだろう。

 わたしの預かり知らぬ過去で、彼女につらい別れがあったのかもしれない。


 だが、今──。

 リルの心情は再び揺れている。


 一人の人間の裏表のない気持ち。

 それが、百年間かちこちに固まっていた彼女の心を、再び引っ掻いたのだ。


 リルの心をここまで揺らしたのは、わたしではなくアンジェだった。

 その事実だけは、……ほんの少しだけ、悔しいと思う。



「──アンジェさん!」



 少し前を行くお嬢様に届くように、大きめに声を発する。

 彼女は小首を傾げながらくるりと振り返った。

 頭に疑問符を浮かべている彼女に、わたしは再度問いかける。


「……リルのこと、好きですか?」


 わたしの問いに、彼女は一瞬きょとんとした顔を浮かべる。

 だがすぐに、真夏の太陽のような笑顔で頷いた。



「もちろん!リル様もラフィ様も大好きですわー!」


 

 彼女はそう言って白い歯をのぞかせて両手を振っていた。

 

 わたしは隣の少女の脇腹をつつく。


「……ですってよ、リル」

「……ちっ。」


 魔族の少女は小さく舌打ちすると、


「………。まあ、考えとくよ」


 そう言って、照れ臭げに顔を背けるのだった。

 ほんと、素直じゃないやつだ。

 いつもは子供みたいに生意気で騒がしいというのに。

 ……まあ、そういうところが可愛いところなんだけど。




「お二人とも!見てください!花びらが──!」



 そんな中。

 ふと、アンジェの透き通った声が通りに響いた。

 彼女の方を見ると、何やらあわあわと口に両手を当てて慌てている。


「なんだか花びらがめっちゃ光ってますわ!これ、爆発とか……」

「しませんよ!──というか、この反応は……」


 目の前で浮かぶ道標の花びら。

 その花弁がさっきよりも急激に光を放っていた。

 

「目標が近いってことですね。意外と灯台下暗しだったのかもしれません。このまま進みましょう。きっとタルトちゃんはもうすぐです」


 それから、またしばらく歩いていく。

 花びらの動きに迷いはない。

 普通はこんなにはっきりとした動きはとらないのだが──。

 おそらく、そこはアンジェの力が大きいのだろう。

 彼女がとても詳細にタルトちゃんの姿を思い浮かべられたからこそだ。

 この子、意外と記憶力とか凄いのかもしれない。



 大通りを抜け、住宅街へと出る。

 商店の建物はなりをひそめ、まわりは豪華な邸宅が目立つようになってきた。

 見逃しがないよう、きょろきょろとあたりを見回しながら進む。

 

 しかし──、ずいぶんと金持ちの気配がする場所だ。

 ちょっと場違い感を感じて肩がすぼまってしまう。

 

(ていうか……。この辺の高級住宅街の感じとか、なんだか見覚えがある気がするんですが……)


 まるで、つい最近訪れたことがあるような……。


 一際大きく見事な邸宅の前──。

 花びらの動きが一度止まる。

 その後、その敷地に吸い込まれるように、花びらはふわふわと飛んで行った。


 どうやらここが目的地。

 そのはずなのだが、ここは──。


「──おい、ラフィ。この家って……」


 建物を見あげたリルが、驚いたように声をあげる。

 わたしもぽかんと口をあけたまま固まってしまった。


 白い花の咲く緑の庭。

 その中に建つ、大きな赤い煉瓦造りのお屋敷。

 そこは、昨日と今日ですっかり見慣れた場所──。


 アンジェの実家である、メイヴェリアス家の裏庭だった。

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