第24話 脱出
警報の鳴り響く廊下を走り抜ける。
突然増えた警備の連中の足音も、そこかしこから聞こえてくる。
部外者の侵入と、あたしの脱走がバレたのだろう。
周辺の音は明らかに物々しい気配に変わっていた。
このままうかうかしていると逃げ道すらなくなってしまいそうだ。
あたしは妹のリコッタの手を引きながら、前を走る二人組に声をかける。
「で、あんたたち。なんであたしの捕まってる場所がわかったの?ラフィの探索魔術?」
「いえ……。まあ、探索魔術は探索魔術なんですが……」
口籠るエルフの少女。
言いたくない理由でもあるのだろうか。
眉根を寄せるラフィの隣で、リルが走りながらこちらに振り返った。
「ラフィに感謝しとけよ、パルメ。こいつ恥を忍んで父ちゃんに泣きついたんだからなぁ」
「──リル!」
ラフィがむっとしたようにリルを横目で睨みつける。
ラフィの父──。
あたしの持つ情報によると、彼女の父はあの偉大な大魔導士モルディアスだ。
エルフ族の魔術師にして、その界隈では知らぬ人のいない名前である。
遥か昔、かの勇者パーティーの魔術師に指南したこともあるというらしいから驚きだ。
そんな偉大な人物であった彼だが──。
二十年ほど前、突然表舞台から姿を消したらしい。
理由はよくわかっていない。
そこら辺のあれこれは、いずれラフィから詳しく聞いてみたいところである。
「しっかし、マジですげー魔術師なんだな、おまえの父ちゃん。パルメの血痕だけで居場所がわかっちまうんだからよぉ。何でおまえら仲悪くなったんだ?」
ラフィは家族仲が良くないのか。
それはちょっと初耳だ。
リルの言葉に、ラフィは口を閉じる。
しばらく下を向いたあと──。
彼女は視線を逸らしつつ、歯切れの悪い返答を返した。
「あの人は……。今はもう、魔術師なんかじゃないですよ。本人もそう名乗ってはいません」
「……ふん。まあ相変わらず詳細はわかんねーが。おまえが折り合いつかない理由はわからんでもない」
リルはそれ以上追求することはせず、再び前を向いて走り出そうとした。
その瞬間──。
ふと、目を細めて周囲の気配を伺う。
「まずいな。囲まれてるんじゃねぇか、これ」
リルのその言葉に、あたしも耳と鼻に神経を集中する。
先程まで慌ただしく駆け回っていた足音。
それが、今は何ヶ所かに集合するように留まっている。
「……そうだね。階下に続く道は塞がれてそうだ」
耳を動かしながらリルに相槌を打つ。
足音の反響の仕方から、このフロアが地上から数階分の高さなのはわかっていた。
獣人族の耳であれば、どのあたりに階段があるのかも大体想像はつく。
たしか政府関係の建物は、中央区の中心部。
どでかいノッポなビル群だ。
旧国時代の城塞を改築したものだけあって、新旧合わせた歪な外観になっている。
政府の連中にとっては中枢部。
一般人にとっては観光名所みたいなものでもある。
今あたしたちがいるのも、おそらくその中のどれかの建物なのだろう。
さて、あとはこの難局をどうやって乗り切るかだが──。
余裕そうな魔族に対して、エルフの方は動揺した様子で声を震わせていた。
「どど、どうしましょう……。このままじゃわたしたち……!」
「落ち着け。正面突破は無理だろうが、幻惑魔術で顔は隠れてるんだ。要は捕まんなきゃいいだけの話だぜ」
リルはすっと親指を立てる。
そして、その指は彼女の背後──。
あたしたちの正面のガラス張りの大窓へと向けられた。
三人の視線が自然とそちらに向かう中。
魔族の少女は、何でもないことのようにそちらを顎で示す。
「あそこから飛ぶ」
飛ぶ……?
飛び降りるってことか?
あの窓から……?
ここから見える大窓の外の景色は、かなり遠景の方まで見通せる。
ここが随分高い位置にある証拠だ。
二、三階程度の高さならどうにかなるかもしれないが……。
「……一応聞くけどさ。ここ、何階なの?」
「あぁ?わからんけど、外から見た時は15階くらいだったかぁ?まあ大丈夫だろ」
リルのあまりにも呑気な声に、思わず突っ込む。
「いや死ぬでしょ、馬鹿なの?! まぁあんたは馬鹿だし馬鹿みたいに頑丈だから平気なんだろうけどさぁ!」
「何回も馬鹿馬鹿言うんじゃねぇ、この馬鹿!」
冗談じゃない。
ここまで来て、潰れた挽肉になるのはごめんだ。
妹だっているのに、そんな博打にもならない無謀な賭けに頷けるわけがない。
頭を抱えるあたしに、リルは「だから大丈夫だっつってんだろ」と面倒そうに舌打ちする。
「着地の衝撃は、あたしとラフィの風魔術でどうにかするさ。エアクッション的なやつ。不可能な話じゃねぇだろ」
リルの視線が、隣のラフィへと移る。
「簡単に言いますね……って、──リルも魔術を詠唱するんですか?」
「まあさすがにこの高さだしなぁ。四人分の衝撃を緩和するんだ。おまえだけじゃキツいだろ」
リルの魔術──。
たしかに、彼女は魔族だ。
魔族は本来、身体能力だけでなく魔術にも秀でた種族である。
ならば、彼女が魔術詠唱を行えるのはむしろ自然なことだ。
(けど……。リルの魔術か……)
思わず眉間に皺がよる。
あたしとリルはそれなりに付き合いも長い。
もちろん彼女の長い寿命と比べれば、ほんのわずかな間ではある。
だが、あたしの知る限り──。
彼女が魔術らしい魔術を使うところを、あたしは一度たりとも見たことがない。
何らかのポリシーでも持っているのかもしれないが、実にもったいない話である。
まあ、練度の高い身体強化の魔術はよく使っているから、一応他の魔術も使えるのだろうと踏んではいたが……。
腕組みをし、自信満々の様子のリル。
それに対し、ラフィは「うーん……」と唸って数秒目蓋を閉じる。
「……ちなみになんですが。リルが最後に風魔術使ったのって、いつですか……?」
「あぁ?まぁわりと最近だと思うが」
彼女は額に指を当てる。
まるで遥か過去の記憶でも探るような様子である。
「 ──そうだなぁ。詠唱覚えてから1、2回使っただけだからなぁ……。たしか、ざっと百五十年くらい前かぁ?」
「めちゃくちゃ昔な上に、完っ全にぺらぺらのペーパーじゃないですか!」
ラフィの悲鳴にも、リルはどこ吹く風だ。
耳をほじりながら、まるで聞く気もないようである。
「大丈夫だって。車の運転とかと同じだろ。アクセル踏んでハンドルをガッと回せば、ペーパーでもなんとかなるさ」
「リルは今後も絶対車の運転しないでくださいね!」
ラフィは、はぁぁ、と深く長いため息をつく。
警報の向こうで、警備の足音が近づいてきている。
敵は包囲を狭める腹づもりだろう。
うかうかしている時間もあまりない。
たしかにとんでもなアイディアではあるが──。
実際、他に選択肢もない状況だ。
悠長に構えている暇はない。
ここはラフィに賭けるしかないだろう。
「……いい?ラフィ。マジであんただけが頼りだから!終わったら報酬弾むから、マジで頼んだ!」
「うう……。わ、わかりましたよもう!なんとか頑張ってみま──」
「ちっ。──おら、さっさと行くぞ」
舌打ちとともに、リルが窓ガラスを蹴りで突き破る。
舞い散るガラスの破片。
気圧がかわり、一気に周囲に風が吹き抜ける。
その後、リルはがしりとあたしたちを掴むと、ゴミでも投げるかのように窓の外へと放り出した。
ふわりと体が無重力状態に変わる。
内臓が浮き上がるような浮遊感。
視界いっぱいに、見晴らしの良い風景と青空が広がった。
「お、お姉ちゃん……!」
「リコッタ、掴まって!」
早速目を回している妹の手をがしりと掴む。
次の瞬間──、ぐん、と大地に向かい体が引っ張られた。
「リル!大丈夫なんだよね!?」
「問題ねーって。任せろや。……えーっと、詠唱はなんだったっけかぁ……?たしか最初の文は……」
「飛んでから思い出そうとすんなぁ!──って、うわあああっ!?」
視界がぐるりと反転する。
「きゅう………」と悲鳴にならない悲鳴をあげ、半ば失神しているリコッタ。
彼女の体をぎゅっと抱きしめる。
そういえばこの子、高所恐怖症だったな……。
あとでお姉ちゃんがしっかりメンタルケアしてあげなければ。
(まあ、無事に生き残ってればの話だけどさぁ……!)
気が遠くなりそうな浮遊感の中で、あたしたちの体はそのまま地面へと急降下していくのだった。
==============================
激突の瞬間──。
猛烈な風があたりを吹き抜けた。
もうもうと立ち込める土煙。
吹き戻しの風があたりを包んだあとで、ようやく生を実感する。
(い、生きてる……)
全身からどっと力が抜ける。
マジで死ぬかと思った。
こんなに立て続けに命の危機を感じたのは初めてである。
腕の中のリコッタは完全に目を回して伸びていた。
「な、なんとかなったね……。やっぱ凄いじゃんラフィ!」
「あ、ありがとうございます……。でももう二度とやりたくないです……」
「あたしのことも褒めろやボケ。──あと、安心すんのは早いぜ、おまえら」
リルの言葉に背後を振り返る。
すると、慌てた兵士たちが、ビルの中から追ってこようとしているのが見えた。
この付近は元が城塞だ。
地の利は向こうにある。
悠長にしていると、あっという間に追い詰められかねない。
せっかく命からがら逃げ出したのに、ここで再び捕まるなんてごめんである。
急いでここから離れないと──。
そう考えたときだった。
「みなさん、こちらですわー!」
突然、可愛らしい声が聞こえた。
一台の車がドリフトを決めつつ、あたしたちの視線の先に停車する。
運転席から手を振る、活発そうなヒト族らしき少女。
様子を見るに、仲間なのだろうか。
というか、あの子運転できる歳なのか……?
ぶんぶん手を振る彼女に、リルがひらひらと手を振りかえす。
「おー、アンジェ。タイミング良いな。さっすがあたしの友達だぜぃ」
「しょっちゅうクソガキ言ってるのに。ほんと都合いいですねリルは……」
ラフィは呆れたようにため息をつく。
そしてこちらに振り返ると、「それじゃさっさと逃げましょうか」と手を伸ばしてきた。
彼女の右手が指に触れ──、あたしの手のひらを掴む。
本当に、愉快な連中だ。
相手はたかが知り合いにすぎない獣人族の情報屋。
けれど、そいつとその妹のために──。
彼女たちは命をかけて、こんなところにまで助けに来てくれた。
今でも馬鹿で無謀な行動だとは思う。
でも──。
「……そうだね。長居は無用だ。さっさと逃げよっか!」
──あたしも、もう少しだけ馬鹿なヤツになってもいいのかもしれない。
今は、そんなふうに思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます