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第10話 ジョブセンター
………鬱だ。
戸棚の前で通帳を持つ手が震える。
おかしい。こんなことがあって良いはずがない。
だが、何度見ても通帳に記載された数字は変わらない。
目を凝らしても内容に何の変化もない。
──そう。
お金がないのである。
魔獣を見事撃退したあの日。
パルメから貰ったはずの大量の報酬。
そのほとんどが、あの夜の酒代に消えたらしい。
正確に言えば、家賃諸々の支払いを差し引いた額のほとんどだ。
つまり、貯金はゼロ。
どうしてこうなった。
通帳をパタンと閉じる。
こんなことならもう少しがめつく報酬を上乗せしてもらうべきだったかもしれない。
今からパルメに連絡したらちょっとおまけしてもらえないだろうか……。
そんな強欲な考えを抱きながら、わたしは相変わらずソファでだらけている魔族の少女を見つめる。
相変わらず呑気で羨ましい。
彼女を横目で眺めながらぼそりと呟く。
「……リルがいけないんですよ。酒も料理もばかすか頼むから……」
口先を尖らせるわたし。
すると、彼女は一転、ソファからがばりと勢いよく跳ね起きた。
「うぉいっ、さすがに聞き捨てなんねぇぞ!おまえもそうとう食ったり飲んだりしてただろうがよぉ!」
いきなりギャーギャーと不満を露わにするリル。
その言い分に心当たりはないが、憤慨する彼女も嘘をついているようには見えない。
本当に不思議だ。
というのも、わたしにはあの夜の記憶がほとんどないからである。
というか、だいたい酒を飲んだ次の日はそうなる。
正確に言うと、最初の数口目くらいまでは覚えている。
料理も酒も美味かった。
なんだか昔懐かしい味で故郷のエルフの国を思い出した。
料理にお酒を合わせると本当に最高で、ふわふわとした気持ちの良い開放感を味わったことは覚えている。
だが、それ以降の記憶がない。
わたしは羽目を外すような人間ではないので、変なことにはなっていないはずだが……。
まあ、久々の宴会だったし。
おそらく二人とも少し調子に乗って料理を頼みすぎたのかもしれない。
(でも、こうしてお金が貯まっていかないのは事実なんですよね……)
わたしは分別ある大人のエルフだ。
だが、酒好きのリルと組むようになってから、たしかにほんの少しだけ自制がきいていない気はする。
無駄遣いがとても多いのだ。
その結果が、このからっぽの通帳に現れているのかもしれない。
これは良くない。
やはりわたしたちはもっと堅実に生きるべきだ。
毎日しっかり働き、お金を稼ぐ。
娯楽とお酒はほどほどにおさえる。
そして、きちんと貯蓄や投資もできるようにし、いずれはこの貧乏生活を脱出する。
人生のレベルアップとは、そうやって着実に積み上げていくもののはずだ。
わたしは通帳を戸棚にしまうと、まだプンプンしているリルの方へと振り返った。
「とりあえず、お昼はジョブセンターに行きましょう。日銭を稼がないといけません。月初なら何か良い依頼を受けれるかもしれませんし」
「むぅ。まあ別にいいけどよぉ。それじゃあ金が入ったらまた飲みに──」
「ダメです」
彼女の言葉を途中でばっさり切り落とす。
リルは赤毛を逆立て、今度こそ猛抗議の姿勢に入った。
「ええっ?なんでだよぉ!ケチラフィ、酒癖最悪の酒乱ヤロー!」
「ケチでも酒乱でもありません」
「え?」
「……え?」
なんだか一瞬話が噛み合わなかった気がするが、まあいい。
今は雑談に耽る時間はない。
いまだに渋るリルの背中を押し、わたしたちは目的のジョブセンターへと向かった。
──そして、現在。
わたしは受付のお姉さんに、依頼の案内を受けている。
ジョブセンターとは、昔は冒険者ギルドと呼ばれていた場所である。
だが、冒険者という職業が衰退するにつれ、運営の資金繰りは悪化。
今では公営化し、請負の依頼をとりまとめる場所になった。
すっかりお役所窓口と化したこの場所は、外面も内側も昔の面影はまったく残っていない。
わたしとリルは窓口の前の椅子に腰をかけて、依頼を待つ置物のように鎮座している。
対して、妖精族のお姉さんは書類の紙束を慣れた手つきで机の上に並べていく。
そして、腕組みをしつつその隣に降り立った。
彼女のジトリとした視線がこちらに突き刺さる。
「えーと、ラフィーリアさんとリルさん?──で、合ってますよね?」
両足を揃えて神妙な顔で頷くわたし。
対してリルは椅子の背もたれにぐでんと体ふんぞり返り、「あー」と大変めんどくさそうに頷いた。
妖精のお姉さんが、チッと小さく舌打ちする。
そして机の端へふわりと飛ぶと、書類の中から一枚を引っ張り出した。
うちの幼女が態度悪くて大変申し訳ない。
「ふむ──。……あー。あなたこれ、こないだの車の事故で減点くらってますね。これはねー、ちょっと受けれる依頼にも関わってくるやつなのよね。信頼度とかそういうやつ。一ヶ月はランクを落とした依頼の紹介になりますからねー」
「そ、そんな……!?えっと、冗談ですよね……?うちの子の態度が不快にさせたなら謝りますから……!」
誰がうちの子だ!とリルが犬歯を剥き出しにするが、とりあえず今は放置だ。
妖精のお姉さんは、「いやぁ、本当なんだねぇ、これが」と、小さな手のひらで書類の束をぺしぺし叩いた。
どうやら嫌がらせの類ではないらしい。
しかし、それなら尚更まずい。
つまり、わたしたちはこれからしばらく人気のない依頼を回されるということだ。
例えばドブさらいや下水掃除。
これは単純にやりたがる人がいないため人気がない。
もしくは、単純に単価がクソ安い仕事だ。
お金に余裕がない人たちからの依頼だったり、期限がなく誰でもいいときの依頼がそれに当たる。
とにかくだ。
この中から少しでも、良い報酬の仕事を選ばないと……。
わたしが眉間に皺を寄せる中。
お姉さんは書類の中からさらに数枚を抜き出す。
そしてそれをわたしたちの前に差し出した。
「そうですねー。ではこちらの依頼などいかがでしょーか」
めんどくさそうに差し出される依頼書。
わたしはその最初の一行に目を通す。
『事故車両の解体業。日当3000デル』
いや事故車両って……、あてつけか?
やっぱりリルの態度を根に持たれてるでしょこれ……。
というか報酬が安すぎないだろうか。
これ違法ではないのか?
その、労働なんたら基準がなんたらとか、そういう法律があったようななかったような……。
「そういうのはないですねぇ」
つい口に出ていたらしい。
お姉さんの無慈悲な言葉に、わたしはがっくりと肩を落とす。
「あの、すみません……。後生ですから、もう少しだけ割りのいい仕事の依頼はありませんか……。わたしたち、今ほんとに金欠で……」
「はぁ。みなさんそうおっしゃられますけどねぇ。どれもねぇ、似たり寄ったりだと思いますよー」
時間をかけて、残りの依頼書も全て見させてもらった。
だが、たしかに受けれるものはどれも似たような待遇だった。
壁掛け時計にちらりと目を向ける。
時間だけが刻一刻と過ぎていく。
そろそろお腹も減ってきたが、先立つものがなければ満足な飯も食えない。
昔一度だけ経験した、川辺で虫や草を取って食うような生活はもう嫌だ。
せめて人としての品性だけは失いたくない。
だが必死に依頼書の中身と戦うも、敗北は確定しているようなものだった。
再び依頼書の山とにらめっこする。
だが、やはり結果は変わらない。
最終的に、わたしは大きくため息をついて、最初の一枚目を手に取った。
(仕方ない……。ないよりはマシですよね)
事故車両解体業のアルバイト。
報酬は少ないがこれにしよう。
リルは力持ちだし、わたしも破壊用の魔術は得意だ。
早く終わらせられそうなら、もう一つ仕事をいれるとして──。
「──あー、時間切れですね。今日はここまで。それでは、また明日来てくださいねー」
「は………?」
その言葉は、突然降って湧いて出た。
妖精のお姉さんは、受付の机に『営業終了』の立て札をドンと置いた。
壁掛け時計はいつの間にか17時を過ぎている。
つまり、今日はもう定時だということらしかった。
「い、いや、待ってください!──これ!この依頼受けますから!」
「はぁ。わたしは残業しないのがモットーなので。明日またいらしてくださいね。お待ちはしてませんがー」
そう言って妖精さんはまるで妖精のように素早くその場から去っていった。
あとに残されたわたしは放心状態で椅子に腰を落とす。
そんなわたしの隣で、リルが大きく欠伸をして言った。
「あー、腹減ったなぁ。川原でバッタでも捕まえて帰ろうぜぃ」
「絶対嫌です!絶対イヤぁ!」
「わがままだなぁラフィは」
言うほど我儘か?!
普通、人として最低限のプライドってもんがあるだろう。
夕暮れ時のジョブセンターの広間にて。
わたしとリルの押し問答は、それからおよそ二十分ほど続いたのだった。
──そして、閉館時間。
店じまいをする職員たちから追い出されるように、とぼとぼと出口へと向かう。
途方もない敗北感だった。
……もういいさ。
また明日来ればいいのだ。
今日のところは水だけで我慢しよう。
ほんと、骨折り損な一日だった。
わたしはできるだけカロリーを使わないようにすり足で歩く。
──ふと。
隣から声をかけられたのは、そんな折のことだった。
「──すみません、そこのお二方。もしや請負人の方でしょうか?」
「へ……?」
突然のことに思わず気の抜けた声で返す。
声のした方を振り向くと。
そこには、初老の紳士らしき男が一人、こちらを見つめていた。
白髪混じりのきちんと揃えられた頭髪。
身なりのよいスーツに身を包んだその男は、こちらに向かって深々と頭を下げる。
「失礼。じつは先ほどのやりとりを聞いておりまして。もしや──、請負いの依頼をお探しではありませんか?」
「はぁ、まあ……。ええと、あなたは……?」
わたしは緊張しながらも言葉を返す。
あまり付き合いのないタイプの人間だ。
見るからに良いところの金持ちの関係者である。
そんなお方が、見るからに貧乏人のわたしたちに何の用だろうか。
そもそも彼のような人間がこの場にいること事態が不自然だ。
ここは底辺労働者の実家のようなものである。
上流階級の人間が足を運ぶような場所ではないのだが。
男はこちらの問いかけに、「これは大変失礼致しました」と靴を揃えて腰を折る。
「わたくし、メイヴェリアス家の執事を務めております、オルトーと申します。この度は請負人であるあなたがたにお願いしたいことがございまして、こうしてお時間を頂いている次第です」
「な、なるほど……?えっと……、いったい何のご用でしょうか!」
反射的に居住いを正してしまった。
なんだか変に声まで裏返ってしまう。
とりあえず隣でぽけーっとしているリルの尻を叩いておいた。
一体なんなのだろう。
こんな金持ちそうな人間が、わたしたちのような底辺請負人に何の用があるというのだろうか。
男はお辞儀を終えると顔を上げた。
話を聞いてもらえることにほっとしたのだろう。
白髪混じりの口髭の下で、わずかに口元が緩んだのがわかった。
そして、彼はゆっくりと話を続けた。
「よろしければ、あなた方に私どもの依頼を受けていただきたいのです。──どうか我が主人、アンジェお嬢様のお力になってはいただけませんでしょうか」
初老の執事はそう言って、再び深々と頭を下げるのだった。
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