第10話

「大変申し訳ありませんが、脳内恋人ブレインパートナーの実体化に失敗しました。」

「は?」


自宅に帰り、いつものように明音(あかね)に呼び掛けたが、彼女の姿を見ることができず、代わりに頭の中でそう声が響き、俺は理解ができず、思わず聞き返してしまった。


「聞こえませんでしたか?ではもう一度繰り返します。大変申し訳……」

「いや、聞こえてるから。もう少し具体的に言ってくれない?」


俺に向かってかけられる声は、明音のものとは違う。聞いた限りでは男性のもの。人の発話に近く、合成音らしき様子はないが、実際はどうなのか分からない。相手は、丁寧(ていねい)な口調を崩さず、言葉を続けた。


「かしこまりました。一夜(いちや)様の脳内恋人、明音の成長がうまくいかず、実体化できないこととなりました。その為、明音の存在は消去され、スマホにインストールされた脳内恋人アプリは、自動でアンインストールされます。長い間のご愛顧(あいこ)、感謝申し上げます」


明音が消えた?


こうなるだろうと予測はしてなかった訳じゃない。それどころか、明音と過ごしていても、いつこの関係が切れるかと、心の奥底では感じていたし、その日が来ることに恐怖すらしていた。

いざ来てみると、それはあまりにもあっけなさ過ぎて、笑えてくる。


「どうして?俺は明音のことを好きになったのに」


自分は、自分なりに明音と付き合ってきたつもりだ。彼女のことを失いたくないと思うほど、愛していた。なのに、なぜこんな結果になったのか。やはり、脳内恋人が実体化するなんて無理だったのでは?

そう思いつつ、問いかけると、声の主はしばらく間を開けた後、なぜか大きく息を吐いた。吐いた音も自分の頭の中にこだまする。


「一夜様にはたくさんのデータを頂きましたし、そのお礼ということでお話します。この脳内恋人アプリは、平たく言ってしまえば、マッチングアプリです」

「マッチングアプリ?」

「『忙しい現代人に、時間と距離が気にならない恋人をお手軽に』をコンセプトに、利用者のアバター・分身ともいえる脳内恋人を造り上げ、その恋人といつでもどこでも会えるアプリとなっています。しかも、その恋人を育てるシミュレーション・育成要素を加えました」


そのコンセプトはどうなんだとは思ったが、ネットでの繋がりが当たり前となっている現代、自分の代わりに付き合う前までの恋愛過程を行ってくれるのだから、それはそれで需要はあるのかもしれない。


うまくいかなかったら、脳内恋人が消えるだけで、そのフィードバックが本人に戻るなら、恋愛の成功率も上がるし、何より相手に自分の存在は分からない。ストーカー被害にも繋がらなそうだ。


話が長くなりそうだったので、俺はその話を聞きながら、テーブルの上に夕食の準備を始める。缶ビールを飲むか迷ったが、頭の動きが鈍るのが嫌だったので、止めておく。


「じゃあ、明音にも元になった利用者がいるってこと?」

「そうです。そして、その利用者は一夜様を元にした脳内恋人と恋愛をします。双方が相手のことを好きになれば、利用者同士が会える、つまり脳内恋人が実体化します」

「今回、明音が実体化できなかったのは、明音の元になった利用者が、俺のことを好きになれなかったというわけ?」

「それが……今回は特殊でして」


俺は話の合間に、ご飯を口にし、咀嚼(そしゃく)した後麦茶で流し込んだ。


「この脳内恋人アプリは、まだモニター版で、現在、数多くのテストデータを集めている最中なのです。一夜様の相手の利用者は、それを理解しているテスターで、名前や容姿は本人のものと異なります」

「実体化する時に、自分の本名や容姿がバレるのが、嫌だったと?」


そんなの自明のことだと思うのに、実体化するわけがないと思って使ったということか?本人もそして俺も、お互いを好きだと思うことがないと、軽く考えていたのかもしれない。


「正確に言うと、利用者の身近にいた方をモデルにして、脳内恋人を作成したため、実体化すると、そのモデルとした方に迷惑がかかるとのことでした。その為、その前に先方からモニター停止の連絡が入りました」

「……俺にしたら、いい迷惑だな」


気づかない内にアプリの利用者にされ、自分に期待や苦しみを山ほど与え、結局すべて取り払われたわけだ。明音がいない生活など考えられないくらい、彼女に溺れてしまったのに、忘れろと言われても、簡単にいくわけがない。


「で、なぜ、俺にここまで赤裸々せきららに全て話してくれるんだ」

「最初にお話ししましたよね?たくさんデータをいただいたからです。とても有益でした。今後脳内恋人アプリが正式リリースしましたら、是非周りの方に勧めてください」

「自分で使えとは言わないんだな」

「その頃には、本当の恋人ができているでしょう?このアプリを使う必要性がない」


声の主はフフッと笑った。


「私が与えた情報を有効に活用されるのを、心から望みます」

「一応、礼を言っておく」

「いえ、正式リリース後はこんなことはできませんので。一夜様は運が良かったのです」

「もう、明音には会えないの?」


無理だろうと思って聞いてみたが、相手はやはり肯定の答えを返した。


「名前や容姿は違いますが、本当の明音様にお会いください」

「会えると思う?」

「一夜様の頑張り次第ではないですか?そうですね。更にヒントを与えるとすれば……」


やっぱり、ビールが飲みたくなった。

そう思いながらも、俺は相手の言葉を待つ。テーブルの端に置かれたままのマスコットに目をやった。結局、明音の姿が見えるようになっても、マスコットの定位置は変わらなかった。明音も触れはしないけど、時々手を伸ばしていたのを思い出す。


かなりの時間が経ったと思われる頃、頭に響くその声に、俺はきつく目を閉じた。


「声は、明音様ご本人、そのままです」

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