第4話
それからドロシーは、ノイラスの詩に頭を悩ませ、日がな一日解読にあたっていた。家にある本はもちろん、図書館からは歴史書から絵本まで役に立ちそうなものはなんでも持ってきて、『金の柱』を探した。カルメンも最初は共に文献を漁り頭を悩ませていたのだが、ドロシーがどんどん本を開いて、床に敷き詰めるにも足りず、何冊も宙に浮かして読むものだから、居場所が物理的に無くなってしまった。もはや彼女の座る青いソファー以外に、生き物が存在できる隙間は無かった。
カルメンは、詩以外のアプローチを求めることにした。ノイラスの詩に希望が見えるのは確かだったが、結局はおとぎ話の中の話から出られない。せめて作者本人に纏わる話でもあれば、と思い、図書館をうろうろしたが、めぼしいものは見つからず、カルメンは仕方なしに外で寝転がった。
ドロシーとカルメンが住む家は、麓の街から離れた丘の上にある。小さいが狭くない家と庭、裏の畑、立地も見晴らしがよく、雷雨のときに近くに雷が落ちるのだけが瑕である。どうもカルメンは自然関連の魔法が不得意なので、雷避けがうまく効いたためしがない。ドロシーは雷が好きなので、カルメンがいくら言っても雷避けをかけてくれない。しかし天気の良い日は、これ以上ないほど素晴らしい場所だった。
昼下がりの丘は少し眩しい。吹き渡る風が青い草と、カルメンの髪をさらって駆けていく。ここにブランケットがあればいいのに、と椅子に引っ掛けたままのひまわりのブランケットを脳裏に浮かべたが、ドロシーの浮かべる数多の本を避けて呼び寄せるくらいなら無くてもいい。カルメンは身体を投げ出し、世界に身柄を明け渡した。柔らかい土の匂いと、少し離れた場所にあるドロシーの気配が、カルメンの心をなめらかに撫でた。ゆっくりと、頭の奥のほうへ沈むように、うつらうつらし始める。その片隅で今日の昼食を考えて、ドロシーがもう食事を必要としない事実に胸が重くなった。風はそれを引っ掛けることもできずに上を滑っていく。
突然、家の中から大きな音がして、カルメンは飛び起きた。なにかがぶつかるような、あるいは落ちたような音だった。
慌てて玄関を開けると、全ての本が床に落下していた。中心のドロシーは決してカルメンを見ずに、じっと何かの本を覗き込んでいた。
カルメンが彼女に近付こうと足を踏み出した途端、足元の本が飛び上がりカルメンの足を止めた。そのまま滑空し、ドロシーの付近を漂う。カルメンはその場から動かずに部屋を見渡した。
大きな音の正体は、浮いていたすべての本が一斉に落ちたものだろう。開いたまま伏せるように落ちた本も目につく。きっと紙が折れていることだろうが、これは本好きの二人が決してやらないことだった。いかなる内容であれども、冊子の形をしているものを丁寧に扱うことを、二人はそれぞれ心掛けていたし、だから二人は同じ家で暮らせた。
カルメンはついっとつま先で床を蹴って、軽く飛んだ。わずかに見える焦げた床でステップを踏み、ドロシーの前までたどり着く。彼女はやはり顔を上げなかった。カルメンは手を伸ばし、ドロシーとソファーの肘掛けの間に手を突っ込んだ。
「ドロシー」
カルメンが呼ぶと、やっと彼女がこちらを見た。それもとてつもなく人相悪く、顔に垂れた赤髪の隙間から睨めつけるように見た。カルメンも睨み返す。
「行き詰まったら死ぬのやめろって、言ってる」
カルメンが見つけたのは、持ち手に葡萄の装飾がされたナイフだった。決して錆びることのないそれはドロシーの持つ魔道具の一つで、その美しい刃物を彼女はぞんざいに扱う。だいたい、パンを切ってバターを塗ったり、リンゴを切ったり、蛇の頭を落としたり、蛙の目玉をとったり、見境なく、なんなら杖よりも握っているのを見ているような気がしてくる。それを今、ドロシーは自殺行為に使用していた。鉄すら貫通する切れ味のそれを、彼女は容赦なく己に突き立てた。
「だって眠れないんだよ。ずっと頭の中に全部詰め込まれてる感じがする。睡眠は情報を整頓するんだから、私はそれを死ぬことで代用しているだけ……」
カルメンは力いっぱい込めてドロシーを叩いたが、ふてくされるだけで効いているようには思えなかった。
「死なないで欲しいのに、不死にすらなったのに、どうして余計に死ぬの」
「不死だから死なないよ」
「もう二度とナイフを使うなよ、おまえ自身に、絶対!」
声を荒げると、ドロシーはもごもごとわかったとかを言った。これで本当にわかってくれるのであれば、カルメンはここまで怒りを露わにしていないし、手を出すほどにもならない。
カルメンは、ドロシーからなんとしてでも不死を引き剥がさないと、という決意と、このまま死なないでいてくれた方がいいんじゃないかな、という暗い諦めの二つを抱えて、長く息を吐いた。すべての元凶がカルメンであることは変わりなく、どうであれドロシーを責めるのは筋違いだ。わかっていたが、カルメンは自分を止められなかった。
「ドルシネア」
丁寧に名前を呼べば、ドロシーはぎくりと肩をこわばらせた。先ほどと同じように髪の隙間からこちらを伺っていて、違うのは怯えが見えることだ。ドルシネア。ドロシー。赤い髪の、理想の乙女。生まれながらの魔女。この世の主人公。
「なんで、私にも人魚の肉を残してくれなかったの」
カルメンも共に不死になれたら、そのままでもよかったのだ。カルメンはやっぱり悩んだだろうがこんなに掻き乱されることはなかっただろうし、彼女がおとぎ話の詩に頭を悩ませ、死ぬことで思考をリセットしなくてもよかった。二人で食事のない生活を共有できたし、眠らずに夜の空を飛び回り続けることもできた。
「ごめん」
ドロシーはしっかり顔を上げてカルメンと目を合わせた。「ごめん、カルメン」
謝らせて気持ちよくなれるのは一瞬で、すぐに肋骨が軋むような不快が襲った。謝るのはカルメンの方だったのに、無言で頷く以外はできなかった。
もし、ドロシーが人魚の肉をカルメンと一緒に口にしていたら。どちらか一方でなく、二人で永久を生きるほうが、いつか彼女を本当の死の国へ道連れにするより、よっぽど良かった。
不眠不休 萩森 @NHM_hara18
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