第3話

 その夜、カルメンは初めてドロシーを見た時のことを夢で追憶していた。

 二人が友達になったのは六年前になるが、カルメンはそれより前からドロシーを知っていた。というより、当時国立学園に通う人間でドロシーを知らない者はなかった。

 大昔には、魔法使いが非魔法使いよりもたくさんいたらしいが、カルメンが生まれる頃には、その数をずいぶん減らしていた。多くは、魔法使いとそうでない者が血を混ぜるうちに、魔力量が減少して子孫は魔法が使えなくなった。血が途絶えることを許さない魔法使いは、同士で婚姻を結び、生まれた魔法使いはより多い魔力を有して生まれ、強くなっていった。魔法使いは魔力が強いほど髪が赤く、少なければは色が抜けて金に近くなるが、今までグラデーションだったそれは、だんだんと極端になっていった。金の髪を持つ人々はもはやマイノリティとなった魔法使いを恐れ、疎むようになった。さらに、新たに生まれた魔法使いが持つ多すぎる魔力は、生殖能力を阻害した。魔法使い同士で子供を望むのも難しくなり、よりいっそう魔法使いは減った。

 そんな中でン百年ぶりに、魔法使いの夫婦から生まれたのがドロシーだった。久しく生まれていなかった魔法使いの子どもは、この世で一番強い魔法使いとして胎児の頃から期待された。生まれたドロシーは輝く赤い髪を持ち、保守派の魔法使いたちから持て囃された。彼女は生まれながらにして優秀な魔法使いで、学園に通う前から華やかな魔法を使い、優れた薬を作った。その話は同年代ならみんな、聞き及んでいた。

 カルメンが、噂の赤い髪の乙女を初めて見たのは、学園の中庭だった。彼女は一人で日の当たる場所に突っ立って呆けていて、周りの生徒はそれを避けるように歩いていた。ドロシーは当時、一人も友達がいなかったと記憶している。魔法使いは、現時点で一番強い魔法使いを、意識的にも無意識にも恐れたし、魔法を使えない人間は真っ当に彼女を危険人物として認識した。カルメンの知る世間の、魔法使いへの認識などそんなものだ。過去、魔法使いたちが非魔法使いを線引きしていたように、魔法の使えない彼らは魔法使いを同じ人間として扱わない。

 その時、カルメンがどうしてそこにいたのかは覚えていない。ただ俯いて、前にいる人間のかかとを見ながら歩いていた。だからドロシーを避けて歩いていた意識はなかったし、ふと顔を上げて初めて、彼女がいることに気がついた。

 カルメンは少し離れた場所からドロシーを見つめた。彼女の視線の先を探ったが何を見ているか分からず、すぐに彼女自身に注目を戻した。中庭には春の暖かい風が踊っていた。りんごの木が微睡の中で木陰を作り、色とりどりの花は彼女に寄り添っていた。豊かな赤い髪が、風のステップに合わせて膨らんでは落ち着くのを繰り返している。

 カルメンは彼女に声をかけることなくその場を後にした。そのときドロシーが何をしていたのか、今でも知らない。それから在学中は、中庭だったり校舎内だったり、同じ授業を受けていたりして、よく見かけた。けれど、卒業後に出会うまで、カルメンはドロシーと目を合わせたことすらなかった。

 目を覚ますと、カーテンの隙間から眩しい道がのびていた。部屋を出ると、一人がけのソファーにドロシーが小さくなって収まっていた。折り畳んだ膝に、昨日借りたトーラス・ノイラスの手記を乗せて覗き込むように読んでいる。

 カルメンはコーヒーを淹れて、ドロシーを横目に立ったまま口をつけた。ダイニングテーブルの下は、焦げた魔法陣の跡がうっすら残っている。靴の裏でそれを擦っても輪郭がぼけるだけで消えなかった。

 カルメンが洗濯を終え、庭の食虫トマト(ドロシーが改造したトマト。勝手に虫を食って栄養を補いぐんぐん育って実をつける、肥料要らずの優秀トマト!)を収穫し、畑で根食い虫を引っこ抜いてトマトの前に投げていると、ドロシーが大声でカルメンを呼んだ。返事をすると本を片手に畑までやってきて、なにごとか誦じはじめた。

「探せよ金の柱

 おまえを導くもの

 霧雨の外は本棚の裏

 老いた者の宝、死を恐れるな

 探せよ金の柱

 お前を導くもの!」

「なにそれ?」

 ドロシーは柵の向こうで手記を掲げてみせた。

「本に書いてあったの? フィクションだ」

「でもこの本の不死の描写は私と全く同じだよ。怪我を繰り返すたびに修復速度が速くなるのも、まったく眠くならないのも、お風呂に入って手がふやけないのも、食べても消化されずに吐き戻したのも」

 カルメンは知らない情報に絶句した。ドロシーは何も言わなかったので、カルメンは彼女が食事を吐いたのを知らなかった。

「これはきっと、不死じゃなくて停止なんだよ。状態をある時点で留め続けて変化を許さない」

「気分は悪くないの」

 カルメンが問うと、ドロシーはぱかっと口を開けて停止した。「なんて?」

「吐いたんだろ、まだ吐き気がするとかないの」

「なにもないよ」

 ドロシーは掲げていた本をおろし、両手で持ち直した。話の骨を折られて呆れたようだった。

「とにかく、これはフィクションとして書かれているけど、作者はきっと不死だったんじゃないかと思うの。この部分だけは現実だったんだよ」

「じゃあその人は今も生きてる?」

「調べたところ死んでいるみたい。彼は不死を治したんだよ」

 カルメンは目につく根食虫だけ引き抜くと、そのまま干からびさせて土に放った。軍手を外しながら柵を跨ぐ。

「じゃあさっきのは」

「あの詩が、不死を治すヒントになってる」

「ヒント? 物語の中で答えは判明しないの」

「これは上巻だったの」

 ドロシーはページを繰って、『続』と書かれた部分を見せた。「そして下巻を出す前に死んじゃった」

 二人は顔を見合わせた。

「でも……手がかりが見つかっただけマシ」

「そうだよ、カルメン。不死は治せるんだ、確実に!」

 ドロシーはひらっと背中を向けて家の中に戻った。カルメンは、彼女の赤い髪が奥に消えるのを見送ってから、しゃがみ込んだ。

 死ねなくなるだけでなく、変化を拒む肉体によって彼女に苦痛を与えたことに、カルメンは罪悪感でいっぱいだった。不死の原因になったのも、それを受け入れなかったのもカルメン自身で、その自己中心的さは恥ずべきことだ。ドロシーにそれを押し付け、振り回しているのも、人として罰せられてしかるべき行いである。

 しかしカルメンはただ――、ただ、ドロシーがなにごとにも傷つけられることなく、健やかに生きていてくれたらと、そう思っているだけだった。彼女がなにも恐れることなく笑っていられる世界であれと願う。そして幸福な彼女と共にいられるのならば、それ以上望むものはなかった。カルメンはドロシーと幸せになりたかったし、その幸せを自分が生み出せたら良かった。だが、ドロシーだけが不死になり、彼女を残してカルメンが先に死んでしまえば、ドロシーは一人になる。ドロシーは両親のもとへは永劫戻らぬことを決めているし、カルメン以外の友人はいない。孤独と退屈のもとへ彼女を置きざりにするなんて、カルメンには耐えられなかった。カルメンが死ぬ時には、きっとドロシーもつれていく。もう二度と、彼女を一人にさせたくなかった。陽だまりの中庭に一人で立たせるくらいなら、一緒に冷たい湖の底で眠りたかった。

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