第7話 捕食者


 チュートリアルの空間から吐き出されたレイチェルは、絵に描いたような中世の街並みの中で立ちすくんでいた。

 まさか自身がああまで容易くいなされて、流されて、反撃する暇すら与えてもらえないなんて。


 アイリスウォーリアーズ。前評判に違わないどころか、予想を遥かに超える出来であった。


 彼女は口元を歪めて、興奮気味に笑う。こんなにワクワクしたのは、それこそ初めてフルダイブゲームを始めた七歳の誕生日以来かもしれない。


 英雄の残滓、か。

 あの様子からして、どう考えても本気じゃ無かった。

 オープニングムービーと、最後に残した言葉から推測するに、彼女の本体は恐らく別にいる。


 そしてその本体は、レイチェルが一度として攻撃を掠らせることすら出来なかった英雄の残滓より、遥かに強いと考えて間違いない。


 ゾクゾクする。

 今の顔は、誰かに見せられそうになかった。


 残滓が言っていた通り、ステータスも装備もスキルも、何もかも足りていない。

 早速攻略を始めて、まずは強くならなければならないだろう。


 そう決めたレイチェルは、メニュー画面からマップを開いて、今の位置と周辺の地理を確認する。

 今彼女がいる場所は、第一の街メルルシア。この街を囲むように四つの平原エリアがあって、北の方にずっと進むと、試練の扉というエリアがあるようだった。


 この試練の扉を越えれば、次のエリアが開放されるのだろう。

 莫大な数のゲームタイトルを熟してきたレイチェルは、当然VRMMORPGの特徴もおおよそ理解している。


 第一のエリアなど、ハッキリ言ってまだまだチュートリアルだ。

 今日中にでも次のエリアに進むことにしよう、と。


 レイチェルは獰猛に笑って、北へ走り始めた。




 四つのメルルシア平原にはそれぞれ、きちんと特徴がある。


 南平原は森が生い茂っており、モエルワンが多く生息している。

 西平原ではゴブリンの群れが散見されており、こちらはかなり難易度が高い。

 最もイージーなのは東平原で、ここはミニスライムと少数のゴブリンしかスポーンしないうえに、どれもこれもレベルが低めだ。


 そして、メルルシアが誇る最高難易度こそが、メルルシア北平原であった。

 北平原はメルルシアエリアに出没する中で最強のモンスター、マジックラビッツが大量にスポーンする。


 他の平原より平均レベルも高く、右も左も分からない初心者が北平原に訪れて、5分足らずでリスポーンするのが、お約束の光景であった。


 レベル5を超えて、パーティを組んでから行きましょう。

 そもそもパーティを組んでいない人は、試練の扉で出現するベルタイガーに勝てないからね、との運営からのメッセージとでも言うべきか。


 兎にも角にも、レベル1で北に向かって爆走し始めるというレイチェルの選択は、誰もが通るリスポーンへの片道切符であったのだ。


「グモォ!」


 駆けるレイチェルの前に立ちはだかる、5羽のウサギたち。

 レイチェルと同じ真っ赤な瞳が、獲物を見つけたとばかりにギラリと光る。


 レベル1の人間。

 メルルシアの裏ボスとまで呼ばれる予定のマジックラビッツからすれば、格好の獲物だろう。


 群れから1羽のマジックラビッツが飛び出して、レイチェルに噛みつこうと前歯を剥き出しにしながら迫る。

 現実のウサギからは考えられない、可愛げの欠片も無い肉食獣の顔だった。


 それに、素早い。

 現在のレイチェルの俊敏は僅か30。レベルの高い北平原のマジックラビッツの俊敏は、60を超える値だ。


 果たしてマジックラビッツの前歯がレイチェルへと突き刺さ────



「遅いのよ、デブが」



 ────る、わけもなく。


 マジックラビッツの横をすり抜けるように体を傾けたレイチェルのクロスカウンターが、マジックラビッツの顔面に突き刺さった。


 飛びかかった勢いも乗り、吹き飛ぶマジックラビッツ。

 それで距離が空くかと思われたがしかし、レイチェルは逃さないと言わんばかりにマジックラビッツの耳を引っ掴み、逃亡を許さない。


 空中で唐突に引き戻された衝撃で動けないマジックラビッツの顔面に、再びレイチェルの拳が放たれる。前歯がブチ折られ、赤いポリゴンが舞った。


「ピギャアアアアアア!」 


 痛みに上がる悲鳴。

 マジックラビッツの瞳からは、初めに宿っていた嘲りは失われていた。


 あるのはただ一つ。

 どこまでも純粋な、恐怖だけ。


 レイチェルはマジックラビッツの耳を掴んで、ゴミ袋を地面に打ち捨てるように何度も叩きつける。

 二度、三度、そして四度を迎える前に。HPを全損したマジックラビッツは、赤いポリゴンとなって空へ溶けていった。


「へぇ、レベルアップしないんだ。戦闘が終わったら初めて経験値が入るシステムなのね」


 レイチェルは喜ぶ様子すらも無く、経験値の仕様の方に意識を向ける始末。

 それも当然のことかもしれない。


 なぜならレイチェルにとって、勝つなんて当たり前でしかないから。


 彼女にとって勝利とは、呼吸だ。

 生きていく上で、他の何より日常なのだ。

 

 確かに、レイチェルはマジックラビッツに大きく俊敏で劣っていた。

 しかし、それを埋めて余りあるセンスを、レイチェルは握っている。


 マジックラビッツが突進を始めた瞬間、踏み込みの力と方向で、進んでくるであろう位置を予測。その目線から、どの場所に攻撃されるかを察知。


 あとは規定路線で訪れる未来に、カウンターを置いておけばいい。

 出来るからやっただけ。なぜ出来ないのかが分からないくらいだった。


 仲間が瞬く間に惨殺されたことで、他のマジックラビッツは怯えを孕んだ目でレイチェルから後退り始めた。


 勝てる気がしないのだ、狩れる気がしないのだ。

 目の前に立つレベル1の少女が、どうにも獣に見えるのだ。


「待ちなさい。どこに行くつもりかしら」


 経験値のシステムについて考察を終えたレイチェルが、真っ赤な瞳でマジックラビッツを睨みつける。

 それはどこからどう見ても、捕食者の瞳だった。


「そっちから喧嘩吹っかけてさぁ。逃がしてあげるワケ無いでしょ!」


 走り出すレイチェル。

 マジックラビッツはそれを見て、一目散に走り出した。

 俊敏にここまで差があるなら、逃げること自体は可能、という本能からの判断だろう。


 そんなマジックラビッツの後ろ足を、飛来した何かが砕いた。

 レイチェルが投げたメリケンサックである。


 その一撃によって、最前を走っていたマジックラビッツが体勢を崩され、地面に転がる。そこに引っ掛かるように、もう2羽のマジックラビッツが転倒した。


 最後尾を走っていたマジックラビッツは何とか反応し、避けることが出来たが……メリケンサックは二つある。


 美しい軌道を描いたレイチェルの投擲が、最後に逃げ延びようとしていたマジックラビッツの後ろ足を、先ほどと同じように砕いた。


 プレイヤーはモンスターと違い、初期ステータスを自分で決められる。

 初期値として、HP300とMP100、全ステータス10を与えられ、合計200のステータスポイントを自由に割り振れるのだ。


 レイチェルはステータスポイントを俊敏に20だけ振り、残った全てを撃力へツッパした。全て避ければ頑強などいらない。拳で戦うなら魔力は必要ない。速さは技術で補える。

 最も補えないのは攻撃力。そう判断した結果だ。


 そうしてレイチェルに与えられたのは、レベル1とは到底思えない膂力。

 彼女は地面に倒れたマジックラビッツに組みつき、拳を叩きつけた。


 かなりのダメージが入ったがしかし、予想していたよりはずっと少ないダメージである。


「へぇ、素手だとこんなにダメージ減るのね。明らかに数値以上に減ってる……武器判定と素手判定でダメージ計算式が変わってくるのかしら」


 メリケンサックを二つ投げたことで今のレイチェルは素手になっている。

 先ほどまでと比べて、ダメージが4分の1程度まで落ち込んでいた。


 その原因を瞬時に見抜いたレイチェルは、マジックラビッツの頭を掴み、自らの顔に引き寄せて……その首筋に、思いっきり噛みついた。

 赤いポリゴンと共に、メリケンサックで殴るのと遜色ないダメージが表示される。


(歯は武器判定になるのね。装備欄には表示されていないから、攻撃の判定だけが武器として行われているのかしら。判定の条件定義は鋭利さ? それとも、首筋への攻撃が何らかのダメージボーナスになる可能性もある、か)


 合計三度の噛みつきにより、マジックラビッツは赤いポリゴンとなって消えていく。レイチェルは攻撃する位置をそれぞれ変えることで、アイアズのダメージ計算式を割り出していった。


(歯が武器攻撃判定になるのは間違いなさそうね。それに、きちんと急所が設定されているのも間違いない。首筋、それに目玉。明らかにダメージが増えたわ。例えば心臓をくり抜いたら、HPが幾ら残っていても死ぬのかしら)


 まだだ、まだまだ。

 そういう細かいところも全部知っておかないと。

 レイチェルは残りのマジックラビッツを見て、冷徹に笑う。


 彼らは、挑む相手を間違えた。


 メルルシア北平原は確かに高難易度であり、レベル1のプレイヤーが挑めば即リスポーンしてしまう。


 しかしそれは普通ならば、の話。

 レイチェルは、普通と最も掛け離れたところに位置する怪物であった。


 レイチェル・ロマンチカ。

 生まれる時代を間違えた、という言葉がこれ以上無く似合う、天性の殺戮者。


 口から赤いポリゴンを垂れ流しながら、レイチェルは深紅の瞳を残った獲物に向けて。


 哀れな草食獣の断末魔が鳴り響くまで、そう時間はかからなかった。


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