第33話 咎人ら

「『すべてをうばうものタイラント』」


 発動と同時に溢れ出した黒い魔力は空間を瞬時に塗り潰し、バルゼノンを領域の中に閉じ込めた。


 広がるのは黒い草原。草原のあちこちでは黄色い蕾が顔を出しており、蕾が見上げる空は黒い闇に閉ざされている。空には星も月も太陽もなく、代わりに黄昏色の巨大な瞳が佇んでいる。光源は存在しないが、何故か周囲がハッキリ見える程度には明るい。


 領域の閉鎖は騎士たちが脱出する暇すら与えず完了した。


 騎士たちが放った魔法は大気に満ちたグラムの魔力にかき消され、シリウスの『抵抗すんなサレンダー!』も同様、光の鎖は砂が崩れるようにして崩壊した。


「領域型……!?」


 テミスの口から驚愕と動揺が混ざった呟きが漏れた。


「どうして……!? 『全てを奪う者タイラント』が領域型だと記録なんて、一つも無かったはず……!」


 それは聖教会の記録には一切存在しない領域だった。想定外イレギュラーに騎士たちは狼狽え、周りを見回すことしか出来なかった。


 例外はシリウスとゴリアテの二人だった。二人は領域に閉じ込められたことに気付いた瞬間に行動を開始した。


「『星砕きランド・インパクト』!」

「『抵抗すんなサレンダー!』」


 シリウスは再びグラムの行動を封じるため、ゴリアテは攻撃のために固有魔法を発動させた直後、二人の足元にあった黄色い蕾が突然開花した。


 花びらに隠された眼球が露になったその瞬間、花の視線に貫かれた二人は気絶した。


「「!!」」


 幸いにも二人はすぐに意識を取り戻した。一瞬の気絶によって魔法こそ不発に終わったが、その場に倒れるようなことはなかったが、まるで魂が欠けたような脱力感に襲われたことで膝を突いた。


 戦場においてそれはあまりにも致命的な隙である。それをグラムが逃すはずもなく、シリウスは首をもぎ取られて死亡した。


 彼女が最期に見た景色は、自分の身体の足元にある緋色の魔方陣だった。


「シリウス!!」


 同僚の死に青ざめたゴリアテが叫んだ刹那、グラムはシリウスの頭を投擲した。仲間の死に気を取られたことでゴリアテは反応が遅れ、シリウスの頭が顔面に直撃。辛うじて死亡は免れたが、その衝撃で意識を失った。


 これによって聖教会は指揮官クラスを二人同時に失ったことになる。いや、実際にはそれ以上の痛手があった。


「『抵抗してみろサレンダー』」

  

 それはシリウスの固有魔法を奪われたことだ。決まればグラムすら封じ込められる強力な手札が、他でもないグラムの手に渡ってしまった。


 狙われたのは二人がグラムの注意を引く間に背後から忍び寄っていたテミスだ。グラムの背面から飛び出した光の鎖がテミスを捕らえんと迫る。


「『大粛清ジャッジメント』」

 

 光の鎖がテミスの肉体に接触した瞬間、天秤の紋章がこれを弾き返した。テミスの魔法に反応した足元の蕾が開花し、眼球の花芯がテミスを見つめるが、これも紋章によって跳ね返される。開花した眼球は弾けるように自壊した。


「チッ」


 テミスの剣がグラムの背中に襲い掛かる。グラムは横に飛んで躱そうとするが、間に合わない。左側の翼三枚を根元から切断され、返す刀で右側の翼も全て切り落とされてしまう。


 これにグラムは動揺せず、追撃で生じた一瞬の隙を突いてテミスの腕を掴んだ。


「翼を獲れば勝てるとでも?」

 

 それは意図した被弾だった。左側の翼を切り落とされたことまでは計算外だったが、敢えて躱しきれずバランスを崩したように見せかけることでテミスの深追いを誘った。


 テミスの腕を掴んだグラムは胸ぐらにも手を掛け、勢いよく引き込んでからの巴投げを繰り出した。予期せぬ投げ技に不意を突かれたテミスの身体は一瞬宙を舞い、背中から地面に激突した。


「グッ…………!」


 地面に叩きつけられた痛みと衝撃によってテミスの顔が苦痛に歪んだ。すぐさま立ち上がってグラムから距離を取ったが、「反射」が発動しなかったことは明らかだった。


(やはりそうだ、こいつの「反射」は何もかも跳ね返すわけじゃない。殴打や魔法による「直接攻撃」に反応するだけで、ただ掴んだり投げるだけの行動には反応しない)


 テミスと同じく、立ち上がってすぐに距離を取ったグラムは「反射」の発動について考察していた。


(投げ技も相手を投げ倒す「直接攻撃」だが、要となる「投げ」自体には威力が無い。威力が出るのも「俺」ではなく「地面」からだ。投げる力が強すぎると話が変わるかもしれんが、ともかくやり様はある)


 魔法は強力な力だが、無敵ではない。久遠の時を生きるグラムはよく知っている。


(それより考えるべきなのは俺の魔法だ。ルミナスの魂と同化したせいか、領域型に変質してやがる)


 実を言うと、騎士たちの想定外であったこの領域はグラム自身も知らないものだった。表には一切出ていないが、内心ではグラムも困惑していた。


(……そう言えば、さっき手で印を結んでなかったのに魔法を強奪出来たな。無意識だったが、花が咲いたタイミングで奪っていた気がする。一々印を結ばなくても奪えるようになったのか?) 


 グラムが変質した自らの魔法について推理していたとき、状況を理解した騎士たちがここでようやく動き出した。


「あ、足元だ! 足元の花を壊せ!! 何が起こるか分からんが、多分壊した方が良い!」


 シリウスたちが瞬殺された一部始終を見ていた騎士たちは、各自の判断に基づいて武器や足を使って黄色い蕾を壊し始めた。二人が惨敗した原因がこの蕾にあると見出したからだ。剣で切られたり足で踏みつぶされたりして壊れた蕾は赤い液体を撒き散らす。


「流石に行動が速いな……だが、させん」


 思考を止めたグラムは舌打ちする。騎士たちに狙いを定めたグラムがその足を一歩前に踏み出したとき、その刹那の隙を突いたテミスが跳躍によって黒い空へと飛び上がった。


「何がどうなっているか分かりませんが、今やるべきは一つ……!!」


 疾風の如き速度で進むテミスが向かう先は草原を見下ろす巨大な瞳だ。その狙いに気付いたグラムは騎士たちを放り出して転移魔法を発動させ、テミスの行く手を阻んだ。


「退きなさい!!」

「その言葉、そのまま反射してやろう」


 飛び出した勢いのままテミスは剣で切りかかった。しかし「起こり」の瞬間、剣を持つ右手の手首をグラムに押さえられたことによって攻撃は失敗。


 攻撃を見切られると思っていなかったテミスは一瞬硬直してしまう。その隙を見逃さず、グラムはテミスの胸ぐらを掴んだ。


「振り出しに戻れ」


 言いながらグラムはテミスを地面に目掛けて投擲した。投擲されたテミスは隕石と見紛うほどの速度で地面に激突しても墜ち続け、着弾地点には底が見えない大穴が出来た。


「団長!!」


 蕾の破壊工作を続けていた騎士の一人はテミスの墜落に思わず叫んだ。


「──ダメだ、数が多すぎる! 周りの奴は壊せたが、それ以上遠くにあるのは無理だ!!」

「多分それで十分だ! 誰か土の魔法で壁を頼む! 花の視線を切れるくらい高いやつだ!」

「俺がやる!!」

  

 状況を打開すべく数人の騎士が行動を開始した。一人は土の魔法を発動させるために地面に手を付き、他の騎士たちはその一人を取り囲むように立つことで、空に浮かぶ巨大な瞳の視線を切った。

 

 土の魔法が発動し、草原の一部が地響きと共に隆起した。壁は破壊工作が完了したエリアを隙間なく取り囲み、外側からは空を飛ばない限り内側を視認できない状態になった。


「そうくるか。ならば、"天火イグニス"」


 巨大な瞳を背にして空に構えたグラムは炎の魔法を発動させ、黒い草原に灼熱の豪雨を振らせた。騎士たちは奪われる可能性を省みずに魔法で抵抗したが、破壊工作のために散開していたことが災いし、防御態勢を組むことが出来なかった。


「これやば────」


 抵抗虚しく、騎士たちは次々に炎に撃ち抜かれた。着弾した炎は黒い草原に燃え広がり、壁内は灼熱の地獄と化した。


「水だせ水!! 俺が盾になるから早くしろ!! もたもたしてたらの攻撃が来ちまう!!」

「分かってる!!!」


 一瞬で百名以上が死亡する絶望的状況に陥っても尚、騎士たちの戦意は喪失しない。むしろ追い詰めるたびに激しくなり、熱く迸る。


「ここが俺達の正念場だ!! 何としてでも食い止めろ────!!」


 灼熱の雨に魔法で抵抗する者もいれば仲間の死体を盾にして凌ごうとする者もいる。方法に違いはあれど皆一様に戦うことを選択していた。


(…………その目は死兵の目だ)


 立ち向かうことを諦めない騎士たちの姿に、グラムは少し驚いていた。


(あの魔王軍ですらそこまでの覚悟は無かったぞ…………それなのにお前たちは、命を捨て、敢然と俺に立ち向かうというのか?)


 グラムにとって初めての経験だった。戦いの末に命を捨てる覚悟を決めた者は今までも僅かにいたが、初めから命を捨てる覚悟で向かって来たものなど、誰一人としていなかった。


(何がお前たちを突き動かしている? そこまでして俺に立ち向かう理由はなんだ? その瞳の奥にある覚悟の根源は、一体…………)


 グラムの意識が騎士たちに集中したそのときだった。


「『大粛清ジャッジメント』」


 大穴から飛び出したテミスの斬撃が灼熱の雨をかき消した。「殲滅」によって超強化されたその剣の風圧は暴風となり、騎士たちを閉じ込めていた灼熱地獄は一瞬で吹き飛ばされた。


「皆、死を賭して戦いなさい!! 原初の悪を滅却し、我ら五百年の罪業に終止符を打つのです!!!」


 テミスの鼓舞が黒い草原に響き渡る。騎士たちの鬨の声が轟いたとき、風の魔法で翼を得たテミスがグラムに突撃した。


(罪悪感…………それが、お前たちを縛る鎖の正体か)


 テミスの猛攻を捌きながらグラムは思考する。その刹那、空に佇んでいた黄昏色の瞳が砕け散った。


「ラヴさん…………ッ!」


 マリーだ。マリーのレイピアが黄昏色の瞳を一撃で破壊したのだ。未だその顔には葛藤の色が見えるが、彼女もグラムに立ち向かうことを決心した。

 

(マリー、お前もそうなのか? お前が向かって来るのも、罪悪感なのか?)


 独り考え込むグラムにテミスの剣が迫った瞬間、その肉体が無数のカラスに変化した。


 剣は空振り、カラスたちは散開する。カラスの群れと化したグラムの肉体は空のある一点で密集してまた人の形を取り戻した。


 その背中から飛び出したのは三対の翼。


 その黒い翼には、が広がっていた。


「『すべてをうばうものタイラント』」


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