第9話 固有魔法
ルミナスは蝶の如き翼を羽ばたかせ、グラムから距離を取るようにして桜色の空へと飛び立った。
「
空高くに到達したルミナスが、右手の親指と人差し指を交差させてハートを作る。刹那に彼女の全身から放出されたのはハート型に凝縮された無数の魔力弾であった。
「クハハ、安全圏からゴリ押しする気か」
雨の如く振ってくる魔力弾に対し、グラムは嗤うだけで防御も回避もしようとしない。間もなくその魔力弾の一つがグラムの肉体に接触した刹那、轟音と共に大爆発が生じた。
メルヘンチックな見た目に反して、その実態は容赦のない絨毯爆撃。一発だけで人間を木っ端微塵に出来る高火力である。そんなものを喰らい続ければ、例え魔族でも爆死は免れない。
「爆ぜなさい!!!」
ルミナスが魔力弾の放出量を一気に引き上げた。桜色の空は瞬く間にハート型の魔力弾に埋め尽くされ、数百は下らない爆弾の雨がグラムに向かって落ちていく。
「随分景気が良いじゃないか」
グラムの声が響いたそのとき、黒煙の中から凄まじい暴風が巻き起こった。
風は竜巻の如く桜色の庭園を
「だが見掛け倒しだ。痛くも痒くもなかったし、ちょっと腕を振っただけでシャボン玉みたいに弾け飛んだぞ?」
魔力弾と共に消し飛んだ黒煙の中からグラムが姿を現した。これといった外傷はなく、平然とした様子でルミナスを嘲笑っている。
「嘘…………!」
ルミナスは戦慄する。
己の魔法がただの風圧に負けたなどと、到底受け入れられることではなかった。
「まさかとは思うが、そのうるさいだけの魔法で俺に勝てると思っているのか?」
「……そうだと言ったら?」
辛うじて、我に返ったルミナスは返答する。
「そのジョークは不快だ」
グラムの声音が氷点下まで下がる。
膝を少し曲げて腰を落とし、跳躍の体勢を取った。
「ッ────!!」
その動作を空から見下ろしていたルミナスは悟ってしまった。
グラムが、ただの跳躍で己の元まで飛んでくる光景を。
「だ、ダイナマイト────」
ルミナスがまた指で印を結び、ハートの絨毯爆撃を再開させようとした次の瞬間、地上にいたグラムの姿が掻き消えた。
「口を開くな」
ルミナスが反応するよりも先に、グラムの右手がルミナスの顔面を鷲掴みにしていた。
(一瞬で………?!!)
予測はあった。
だからこそルミナスは反撃しようとした。
しかしそれ以上に、グラムは速すぎた。
こうなってしまえば、予測など最早意味を為さない。
「耳障り────あ」
獰猛な殺意を感じ取ったルミナスが青ざめたとき、グラムは突然何かを思い出したような顔をした。
「うわっ!」
次の瞬間、ルミナスはグラムに投げ捨てられていた。
それは攻撃ではない。道で拾ったボールをそこら辺に適当に捨てるように、ただポイと捨てただけ。捨てられたルミナスは宙で何度か回転した後、翼を羽ばたかせてすぐに体勢を整えた。
当のグラムは、まるで見えない足場の上に立つかのように浮遊している。。
無表情を保っているが、その裏では内心肝を冷やしていた。
(危ない危ない…………殺しと暴力は禁止されていたことを忘れていた……)
シャルロットによる命令。それを破ることは、シャルロットと交わした契約を破ることと同義である。
そうなればグラムは契約を破った罰として魂を失うことになる。
「こんの……!!」
だが、事情を知らぬルミナスからすれば見え方は変わってくる。
「ホンッッットにムカつく野郎ですわね!! ハンデのつもりならブチ殺しますわよ!!」
絶好の攻撃の機会を、グラムは文字通りかなぐり捨てたのだ。
プライドの高いルミナスはグラムの行動を弱者に対する侮辱であると解釈し、怒りを露にした。
「黙れ虫けら。今考えている最中だ」
「ンなッ!!?」
怒りで震えるルミナスを一蹴し、グラムは一人思考の海に意識を沈める。
「貴方だけは、貴方だけは絶対にブチ殺しますわ!!!」
激昂したルミナスは感情の赴くままに魔力弾を放った。
(どうしたものか、殺すつもりで進めたせいで収拾がつかなくなったぞ…………)
グラムはそれを無視して途方に暮れている。
(まぁいい。あの男をデュランに持っていけば一先ずもち姫の命令は果たせるはず。とりあえず、この虫けらにはもう用はない)
突貫工事で段取りを組む片手間、グラムは飛んでくるルミナスの魔力弾を見もせずに右手ではたき落としていた。
「あぁ、もう!!! やってられませんわこんなの!!!」
それが余程堪えたルミナスは、ついに攻撃を止めて荒々しく叫び出した。
「さっきから何なんですの貴方は!!? 勝負を吹っかけてきたのはそっちのくせに何もしてこない!! 私が攻撃してもボケッと突っ立ってるだけ!! 挙句の果てには考え事って、真面目にやってる私がバカみたいですわ!!」
凌辱されたような気分だった。
全身全霊を込めた攻撃が、己の誇りである魔法が、愛する者のために死んでも勝つという強い意志が、一瞥もされない。
相手が悪いことは分かっている。自分の行動が蛮勇であることも理解している。
それでも、ルミナスは考えてしまう。
己という存在は、果たしてここまで無力なのか?
無力で、ちっぽけで、取るに足らない存在だったのか?
ルミナスは認めたくなかった。
「強者気取りもここまで来ると見苦しい!! それとも貴方、「余裕を崩さない俺カッコいい」とか思ってますの? だとしたら浅はか過ぎて欠伸が出ますわ!! 如何にも負け犬が考えそうなことでしてよ!!」
凌辱された誇りと尊厳を、グラムを罵ることで回復させようとした。
それがグラムの逆鱗に触れるとも知らずに。
「────は?」
グラムの顔に能面のような無表情が張り付く。
「ッ……!」
絶対零度の声音を聞いた瞬間、ルミナスは金縛りにあったように動けなくなった。
「何だお前? 弱者の分際で、俺に能書きを垂れるつもりか?」
恐ろしく冷たい声だった。
「下手に出ていれば調子に乗りやがって……」
臆病な者なら聞くだけで気絶しかねないような、煮え滾る怒りが滲み出した、低い声だった。
「ぅ…………あ…………」
それだけでルミナスは心が折れてしまう。
だがもう遅い。彼女は既にグラムの怒りを買ってしまったのだから。
「いいだろう。ならば今一度教えてやる」
刹那にグラムの背中から飛び出したのは、甘く見積もってもルミナスの三倍はある巨大な翼だった。
鳥の翼と似ているようで少し違う。漆黒という言葉が似合う翼は無数の黄色い眼を持ち、無数の瞳が深い闇の中に浮かんでいるような冒涜的な見た目をしている。
「カーツィ、舞い戻る災厄の前に跪け」
黒い黄昏の翼がゆっくりとしたリズムで力強く羽ばたき、グラムの身体が空へ昇る。
「頭を垂れて泣き叫べ。無力な己を憎悪しろ。ただ体液を撒き散らしながら絶望し、辛うじて命乞いでもしておけ」
────固有魔法には発動条件が存在する。
セバスの懐中時計やシャルロットのペンダントのように、人間の場合は思い入れのある道具を依り代にすることが発動条件になる。
魔族においてもそれは同じである。ルミナスが手でハートを作ったように、魔族は道具の代わりに独自の手印を結ぶことで固有魔法を発動させる。
「その身に刻み込んでやる。全てを奪う災厄、俺という名の暴力を」
右手で天を、左手で大地を指差す。
それがグラムの手印。
そして魔法は発動する。
「『
────暴君、降臨。
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