第3話 番人

「姫様!! なぜ魔族召喚に手を出してしまったのですか!? それは世界の禁忌であると、爺やは何度も教えたはず!!」


 セバスは、焦りと怒りの混ざった声を禁を破りし主へぶつけていた。


「……貴方に黙って、このような所業を取ったことは申し訳ないと思っています。しかしセバス、最早こうする他ないのです」

「こうもそうもありませぬ! 一国の主ともあろう御方が魔族召喚など、前代未聞ですぞ!?」


 急展開を迎えた事態に、一人置いてけぼりをくらったのはグラムである。


「ふむ、こいつは誰だ?」

「彼は、デュラン家専属の執事です。名をセバス・アンデルセン」


 見た目通り、執事。しかしグラムは気づいていた。


 足取り、体格、立ち姿や歩き方に至るまでの細部から、セバスが戦闘の心得がある人間であることを。


 それも普通ではない、熟達している。


 加えて魔力量も魔族に引けを取らない。しかし魔力量に限ってはセバスだけではなく、シャルロットにも同じことが言えた。


(よく見ればこの女も中々の魔力量…………セラスには劣るが、それでも普通の魔族より多いな)


 グラムは魔族、五感に深く紐づく程卓越した魔力感知能力によってその事実に気付く。


「なぜこのようなことをしてしまったのです!! 姫様!!」

「……すべては、王国のためです」


 グラムをよそに、シャルロットはセバスに対して毅然とした態度で向き直る。


(どのみち、話が長くなりそうだな……めんどくさ)


 二人の言い争いに一切興味を持たなかったグラムは大きく欠伸をする。退屈そうな顔をしながら、いつか来るだろう口論の終わりを待つことにした。


「凶作に疫病、相次ぐ盗賊団の襲撃。ここ数年でデュランはすっかり衰えてしまいました。未だ回復の兆しが見えない挙句、ついにはダイン帝国との戦争が間近に迫っています…………悔しいがですが、今のデュランにこの絶望を覆すことは不可能です」

「だからと言って魔族の力を借りるなど許されることではありません!! 他国からの援助など、やり方はいくらでもあったはずです!!」

「そんなことは承知の上です。しかしこれらの災いはデュランのみならず、諸外国にも大打撃を与えました。自国のことで手一杯な状況で、滅亡寸前のデュラン王国をわざわざ支援するメリットがないのです」


 シャルロットの理論武装には一理があった。セバス自身もそれをよく理解しており、壮年の皺が刻まれたその顔が苦し気に歪んだ。


「確かにこれは我儘。しかし、全てはデュランのためなのです」


 セバスの前にいるのは、臆病なシャルロットではない。


 幼くも一国の主として振舞おうとする一人の少女である。


「それでも、爺やは反対です」


 セバスは深く息を吐き、なおもシャルロットの前に立ち塞がった。その右手には、いつの間にか取り出した懐中時計が握られている。


「爺やは姫様のことが心配なのです」

「セバス……」

「爺やは姫様のことを誰よりも理解しています。亡き両陛下から受け継いだこの国を、この国に住まう民を、姫様は心の底から愛している。なればこそ、爺やは姫様を止めなければならない」


 一瞬の静寂。


 カチ、カチ、と。


 時計の針が時を刻んでいる。


「聖教会の取り決めにより、魔族召喚を犯した者には極刑が下されます。ましてや契約があったとなれば、この国は浄罪の劫火ホーリー・フレイムによって焼き払われることでしょう」


 魔族の召喚、契約。それは人間界において、触れてはならない禁忌である。


「そして姫様の名は未来永劫、禁忌を犯した大罪人として歴史に晒されることになります。魔族と契約するということは、つまりそういうことなのです」


 セバスは何度もそれを強調した。


「もしまだ契約を交わしていないのであれば、今すぐに引き返してください。今ならまだ間に合う。どうか、お願いします」


 ゴォンと、どこからともなく大きな音が鳴り響いた。静寂を切り裂いたのはデュラン王国の中央、大広場の中心にそびえ立つ巨大な時計塔の鐘の音だ。


 大きな針も小さな針もピッタリ重なり、真っすぐ空を指している。


 鐘の音は周期的に鳴り響き、シャルロットに決断を迫る。


 行くか、戻るか。行けば戻れず、戻れば行けぬ。


 選択のときは今。


「ごめんなさい」


 鐘の音がピタリと止む。


「でも、こうするしか手は無いのです。今やデュランは死にかけています。希望が見えぬ未来に絶望した民の顔からは、いつしか笑顔が消えました。私にはそれが耐えられないのです!」


 それが少女の選択だった。


 セバスはただ、険しい表情で耳を傾けている。


「私はただ、かつて楽園の王国と呼ばれていたデュランを取り戻したいだけなのです! 民の笑顔を取り戻したい! そのために魔族の力を借りることを、私は悪だとは思いません!」

 

 人間の善悪の基準を知らぬグラムだが、シャルロットがやろうとしていることが常識破りであることはセバスの反応から察していた。


「…………面白い」


 奇しくも"破天荒"の異名を持つ己と同じ。常識破りを行うとしているシャルロットに、グラムは少しだけ興味を持った。


「たとえ世界がそれを悪と見なしても、私はデュランを甦らせたい!!」


 交渉決裂。


 それは即ち、幼年期の終わりを意味する。


「……」


 セバスはやはり、目立った反応を示さない。


 最初から分かっていたのだ。自分がいくら言っても、シャルロットは意見を変えないだろうということを。


「それが姫様の選択ですか……」


 シャルロットの成長。それを誰より近い場所で見守っていたのは、他でもないセバスなのだ。


「その揺るぎ無い信念。望む未来を掴もうとするその意志。しかと受け取りました」


 セバスは感慨深げに、噛みしめるように言った。


「ですがあなたは若すぎる」


 だが、表情はすぐに豹変する。


「自分の力を過信してはいませんか? あなたがデュランの女王となった後、この国を支えてきたのはあなたではなく、あなたを支えていた大臣たちです」


 セバスはまた険しい表情でシャルロットを睨みつける。


「一国の主でありながら、どんな選択も自分一人では選べない。大臣たちや私に頼らなければ何も選べず、為せず、果たせない」


 セバスの右手にある懐中時計が蒼白の光を放った刹那、三名は広大な草原の中にいた。

 

(転移魔法か)


 グラムは、セバスの懐中時計に目を付けた。


「かと思えば今回のように突然一人で迷走し、根拠のない自信にあてられて暴走する。あなたはいつもそうでした」


 ゴォと吹き抜ける風が夜の草原を撫でる。


「夢を見る時間はもう終わったのです。あなたが正式に王位を継承した四年前、私はあなたを支える剣として生きることを亡き両陛下に誓いました」


 カチ、カチ、と。


 時を刻む懐中時計の音が緊迫した空気をより剣呑なものへ変質させる。


「それでもなお、おのが夢のために禁忌の道を進むというのなら」


 パチンと、セバスは懐中時計の蓋を閉じた。


 それは打ち鳴らされた木槌ガベルの如く、酷く威圧的な音だった。


「私は番人となりて、その夢に終止符を打ちましょう」


 今宵は満月。


 吹く風はピタリと止み、そして賽は投げられた。

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