第12話:思惑の連鎖、沈む心と呼び笛の鼓動

 翌朝、町ヴェニラの空はどんよりと曇っていた。

 軽い雨がぱらつき、人々の足元が濡れる。以前より明らかに落ち着きのない雰囲気が漂っているのは、あの魔物騒動が一因なのだろうか。食料や薬が少しはスラムに回る話が出ているが、それでも住民の不安は拭えず、陰鬱な表情が目につく。


 アキラは朝の教会へ立ち寄ろうとして、思わず足を止めた。

 ロフェン司祭の姿がなく、若い僧侶たちも慌ただしく動き回っている。大半がスラムの巡回に出払っているらしい。

 「どうしたんだ? こんな朝から……騒がしいな」

 声をかけると、僧侶の一人が険しい面持ちで答えた。


 「スラムに少し支援物資が届いたんですが、取り合いになって暴動みたいになってしまって。これじゃせっかくの薬や食糧が台無しです……」

 その言葉にアキラは息を飲む。どれだけ苦しんでいるかを知っているだけに、争いごとが増えるのは最悪の流れ。


 (せめてバルトが、もう少し…いや、俺がうまく動ければ、こうはならなかったのか?)


 “呼び笛”を手に入れたことで魔物には対抗できても、人の心の動乱までは操れない。その現実が胸を締める。


◇ ◇ ◇


 さらに困ったことに、領主代理バルトから急な呼び出しがあった。

 昨日の取り決めどおり、バルトがアキラに新たな“仕事”を命じたいらしい。護衛のガルドが短く溜め息をつく。

 「領主の気まぐれは分かんねえな。昨日の今日だぞ? ちょっと猶予をくれたっていいのに……」


 ユウェル僧侶も顔をしかめている。

「せっかくスラム支援が始まったのに、その監視や調整をしないと混乱が加速するのでは。アキラさんはそっちを手伝いたいでしょう?」

 アキラは苦い思いを噛みしめつつ、首を横に振る。

「でも、バルトに逆らえば支援は取りやめられるかもしれない。それは……もう考えたくない」


 商人との“呼び笛”契約は、魔物には強力だが、人間の政治や貧困問題をまるごと解決するわけではない。ここでバルトを怒らせれば、スラムの人々が得られるはずの物資も一瞬で消えるだろう。

 (くそ……結局、バルトの掌の上かよ。俺は自分の力を手にしたと思ったのに、このザマだ)


◇ ◇ ◇


 城塞に到着すると、相変わらず衛兵は居丈高いたけだがな態度だったが、魔物討伐の件を思い出すのか、一目置くような雰囲気もある。

 厄介だが、今は気にしていられない。扉が開き、再びバルトの執務室へ通される。


 バルトは昨日と同じく、椅子にもたれかかってニヤリと笑っていた。

 「来たか、“転移者”アキラ。早速だが、ひとつやってもらいたいことがある」

 声に含まれる高圧が、一行の神経を逆撫でする。ガルドが息を荒げ、ユウェルが俯く。アキラは耐え、静かに頷く。


 「……内容を伺います。俺にできるなら、やります。町のためだし、あなたとの約束ですから」


 バルトは顎を撫で、意味深に笑みを深める。

 「町のため? そうだな。あちこちで増えている盗賊団を退治してくれ。最近、街道沿いで物資を奪う連中が活発化して困っているんだよ」


 盗賊団――ただのチンピラではなく、組織的に荷馬車を襲うとの噂がある。物資が流通しなければ、町の経済はさらに落ち込み、貧困や疫病に拍車がかかる。

 (でも、魔物討伐の直後に、盗賊退治? 俺たちは疲弊しきってるのに……)


 バルトは嘲るように言葉を続ける。

 「おまえが森の魔物を倒したときに見せた“”、あれを使えば盗賊なんぞ一網打尽じゃないか? ははは、なんとも便利だな、“転移者”は」


 胸にざわりと嫌悪が走る。呼び笛のことをきちんと説明していないが、それを匂わせる態度だ。

 (まさか、バルトは俺が魔物を操れる力を持っていると踏んでる? いや、そこまでは確証はないはず。けれど、すでに勘付いているのか?)


◇ ◇ ◇


 ロフェンの代理として来ていた若い僧侶が思わず口を開く。

 「ですが……盗賊は人間です。魔物のように倒すだけでは済まないかと……。交渉や逮捕という形も視野に入れないといけませんし、私たちには権限が……」


 バルトは失笑し、机をドンと叩く。

 「権限? 俺は領主代理だぞ。逮捕でも殲滅でも好きにしろ。それに、スラム出身の奴らが盗賊になるケースも多いんだろ? もし同胞を救いたいなら、むしろ奴らを排除して秩序を示せばいいじゃないか」


 暴論にしか聞こえないが、彼の理屈を退ける手段はない。少なくともバルトが人間としての道徳心を持っているわけではないのだ。

 (仕方ない。ここで拒否すれば支援も断たれる……また苦しむのは弱い人たちだ)


 アキラは苦々しく口を開く。

 「分かりました。盗賊たちが具体的にどの辺りでどんな活動をしているのか、情報をいただけますか? それをもとに、俺と仲間で……対応してみます」


 バルトは満足そうに目を細める。

 「いい心がけだ。部下に調べさせてあるから、後で渡そう。ま、失敗したらスラムへの支援は打ち切る。覚悟しておけよ」


 背筋に冷えが走るが、ここで過剰に反発しても意味がない。

 (ほんと、どこまでも汚い権力者だ。でも俺たちは、こいつの手駒にならないと……)


◇ ◇ ◇


 そのまま一通りの会話を終え、バルトが衛兵に目配せをする。

 アキラたちが部屋を出る頃、ドアの向こうでバルトの笑い声がかすかに響いた。底意地の悪い響きが、廊下の石壁に反響しているかのようだ。


 廊下へ出たガルドが、血管を浮かせて囁く。

 「ちくしょう、また無茶振りだ。盗賊なんか、魔物よりタチが悪い場合もあるぞ。しかも人間相手に呼び笛を使うのか……」


 その台詞にアキラの心がざわつく。呼び笛が魔物だけでなく、人間にも効果を及ぼすのかは未知数だ。だが、試すのはもはや倫理の一線を越える危険がある。


 若い僧侶が気弱に言う。

 「でも……町を守るためにも、放ってはおけませんよね。スラムへの支援が本格化する前に盗賊が暴れたら、全部が壊れてしまう……」


 アキラは浅く息を吐く。今は仲間が混乱しないよう、黙って頷くしかない。――もう一度、自分を奮い立たせる必要があると自覚していた。


◇ ◇ ◇


 城塞を出ると、外は朝の喧騒がさらに増し、一方でどこか張り詰めた空気が漂っていた。

 森の魔物問題は鎮まったが、町の内部では盗賊、スラム支援の混乱、さらにバルトの狡猾な政治が渦巻いている。あちこちで安堵と不満が交差し、結局は不穏の色が拭えないままだ。


 アキラは教会に戻り、司祭ロフェンへ詳細を報告するつもりだ。だが、呼び笛がポーチの中でまた脈動しているように感じられて、心が落ち着かない。

 (ここから先、バルトの命令がエスカレートしていくだろう。盗賊相手に戦うとき、俺はまた“呼び笛”を使うのか? これは魔物を従わせるものだ。人に使って効果があるなんてそんなことができるのか……?)


 思考が堂々巡りするたび、かすかな花びらの残像が視界をちらつく。黒いコートの男がいつ出現してもおかしくないと感じているからか、背中に冷たい汗が流れる。

 (町を救うために、もう道を選んでいる余裕はない。俺はこの笛の力を使い、バルトを出し抜いてでも解決策を掴む。そうするしか……)


◇ ◇ ◇


 教会に着くと、司祭ロフェンが扉の前で待っていた。悲しげな顔で言うには、スラムで配給した物資が争いの元となり、死亡者が出てしまったらしい。

 「あまりに少ない量でしたから……取り合いになって、殴り合いに発展して……。まさか、こんな惨事になるとは……」


 孤児や病人が増える一方。バルトの支援が不十分なのは明白だ。アキラは腹立たしさを覚えつつ、「盗賊退治をすれば、もっと支援が増えるかもしれない」と自分に言い聞かせる。


 そうロフェンに話すと、司祭は微かな希望を見出すように頷き、「ありがとうございます。アキラさんしか頼れない状況で心苦しいですが……」と感謝の言葉をくれる。

 (頼ってくれてるのに、俺が裏であの笛を握っているなんて……)


 アキラの胸は痛むが、もう後戻りはできない。


◇ ◇ ◇


 その夜、教会から宿へ戻る途中、アキラは再びあの甘い香りを感じ取った。反射的に辺りを見回すが、通りは薄暗く、誰の姿もない。

 しかし、路地の奥に紫色の花びらが散っているのを見つけ、嫌な汗が噴き出す。

 (また来てる……あの商人。今度こそ、何をしに?)


 足を進めようとすると、「ホッホッホ……」と笑う声が頭の中に響いた気がしたが、振り返っても闇があるだけ。

 呼び笛がポーチの中で不気味に震え、意志を持つように脈打っている。

 (もう行くとこまで行くしかないのか。俺はこの町と一緒に、商人のてのひらの上で踊らされているのか?)


 それでも、アキラは唇を噛んで心の中で叫ぶ。

 「いいさ。踊らされよう。俺はその間に、この町を救うための力を使いきってやる!」


 頬を切るような冷風が吹き、紫色の花びらが暗黒の路地に溶けていく。

 呼び笛が小さく響き返すたびに、アキラの中で“欲望”がまた一段高まっていくような危うい感覚があった。


(第12話:思惑の連鎖、沈む心と呼び笛の鼓動・了)

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