第2話 必死で平気なフリをしているところを泳がせたい

「そんなに震えるほど怖がらなくても、命までとらねぇよ。多少痛い目には遭うかもしれないけど」

「はっ、異常者の言うことは信用できねえよ。あと怖いんじゃなくて寒いんだよ」


 今、ぶるりと背筋が震えたのは寒さだけではなく、竹口が心底愉しそうに顔を歪めて笑ったからだが。何を考えているのかわからない、というかわかりたくない。


「ああ、びしょ濡れだもんな。着替えたいか?」


 ゆっくりと近付いてきて、スーツの上着に手を掛けられた瞬間、思いっきり竹口の急所を狙って膝を蹴りあげた。すんでのところで避けられ、舌打ちしながら


「触んな」


と吐き捨てるように言えば、奴は半笑いで


「おー怖、危ねぇなぁ。蹴られたら堪んねぇし、お前がお願いするまで近づかないようにしないと」


と宣言された。誰がお願いなぞするか。こいつは異常だ、人を殴って悦ぶサディストだ。だから、反応したら負けだと頭ではわかっているが、どうしても一言ぐらい罵声を浴びせてやらないと気が済まなかった。


「だったら一生近付いてくんな。近付いてきた瞬間、男としての機能を奪ってやる。その方が世のためだ、お前みたいなおかしな性癖の奴、生殖器ぶら下げてるだけで犯罪だ異常者が」


 一言では済まなかった罵声を浴びせ、威嚇するように、だん、と強く足を踏み鳴らした。竹口はへらへらしながら反論してきた。


「ひでぇなあ。俺は人間が誰でも持ってるような悪意が、人より少し多いだけだぜ。お前だって、自分以外を下に見て、誰にも負けたくないから、障害になる奴をどう取り除いてやろうとか考えるだろ? それって悪意だろ」


 しかも俺と同じで人より強めのやつ、と指摘される。そんなわけないと言い返すには、心当たりがあってばつが悪いので何も言わずに睨み付けた。竹口はそれを気にすることなく続ける。


「そもそも、こんな悪意剥き出しで痛めつけてやりたいと思ったのは、颯馬、お前が初めてなんだよな。今までプライドの高い奴の心を折る時に、こんなに性急だったことはなかったんだよ。学生の時は誰よりも頭がいいつもりの奴を折るために、まず親しくなった。それと同時に、時間をかけて勉強して、そいつにそれを悟られないように徹底して、最後の成績で学年一位の座を突然奪ってやった。驚いて悔しそうなの、全然隠せてないのに無理矢理引き攣った笑顔で『やるじゃん』って言われた時は最高だったなあ。


ああ、こないだ別れた彼女も、結構長い時間をかけて自分がいないと辛くなるくらいに好きにさせるよう努力してたんだぜ。彼女の友達に会うなんて怠ぃなと思ったが、計画に必要だったからお前らにも会ったんだ。


な? 基本的に長いスパンで計画的にやるタイプだったんだよ、俺。なのに、お前がそれを台無しにしたんだ、颯馬。お前は我慢できないほど魅力的だった。今までの奴と何が決定的に違うのかわからない。でも、絶対に逃さねえと思った。だから、彼女にかけたコストも顧みず損切りして、これからゆっくり時間をかけてやるつもりだったのに。


お前が、もう会わないとか言うから。しかも、その理由が対して惚れてるわけでもなさそうなお飾り彼女への義理立てで。屈辱だ、許せねぇ」


 また、日本語の筈が何一つ理解できない。何なのだこいつは。何で自分がこんな奴に目をつけられないといけないのだ。困惑と絶望が表情に出ないよう努める俺と、反対に恍惚と喜悦が混じった表情を隠しもしない竹口は


「幸いこっから暫くは年末年始で、お前と連絡が取れないってお前の身内や会社の奴らが怪しむことはねぇ。駄目押しで、お前のスマホから母親と彼女には携帯の調子が悪く修理したいが、正月休みで難しいから連絡が取りづらいとメッセージも送っておいた。これで邪魔される心配はなくなったな。ここは俺の資産の土地に作った倉庫で、防音だから多少五月蝿くしても誰も気が付かねぇ。


これからお前のプライドを粉々にしてやる」


と、言った。

 そして、その記録用だと三脚を立て、カメラをセットし始めた。


 言ってることが無茶苦茶すぎる。おかしい、一ミリたりとも理解できそうもない。薬でもキメてるんかこいつ。


 意味がわからなすぎて吐きそうだが、無様な姿を晒したくない。やはり、反応したら負けだ。そう思って、無表情のまま返事もしないように耐えていた。竹口も、カメラをセットし終わってからも何も言わず、ただ俺をじっと見ていた。


 そのまま、お互い無言で、体感的には数時間たった。濡れたままの身体は冷えきっていたが、先程揶揄された震えを止めるため、歯を食いしばっていた。寒さと、もう遠い過去のようだが、こいつと一緒に酒を飲んでいた。そんな状況では催したくなるのも、当然と言えば当然だが最悪だ。


 竹口は飽きることなく俺を見ている。気づかれないように下腹部に力を入れた。それにも関わらず、俺の微妙な変化を嗅ぎ取ったのか、嬉しそうに


「やっと小便に行きたくなったか」


と嗤ったのだった。

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君の矜持を粉々に砕いて 石衣くもん @sekikumon

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