マイ・バイブル
源倫理
八月十五日の《個人的》政変
小学四年生のときの夏と現在の夏は、もうなにもかもが違う。異常な熱波の影響で、耳を劈くほど鳴いていた蝉は前より明らかに静かになった。学校を休みにしてくれる救世主である台風も、今年は数少ない。まだ七月下旬にもかかわらず、朝のバス停にはたくさんの蜻蛉が飛び回っている。エアコンの温度が二十八度設定でも十分だった以前の夏へ、日本が踵を返すことはもうきっとできない。しかし私は一つだけ、小学生のころの夏の気配に浸る方法を知っている。
カゲロウプロジェクト―――クリエイターであるじん(自然の敵P)によるメディアミックスプロジェクト。楽曲「人造エネミー」の投稿を始めとして、小説化、漫画化、さらにアニメ化を果たした。このプロジェクトが、一時は「カゲプロ厨」という言葉を生み、「パーカーを着たキャラはカゲプロのパクリだ」と騒がれるほど賑わっていたのである。その概略を、端的に説明しようと思う。
八月十五日、それぞれの形で誰かとともに命を落とした子どもたちが、“目”に関する能力を手に入れた状態で蘇った。それは発動時に目を赤く染め、彼らを数奇な運命の渦に巻きこんでゆく厄介な能力だった。赤の他人だった彼らは、まるで必然だったかのように集結し「メカクシ団」を結成する。彼ら自身の能力について探っていくうち、彼らは“終わらない世界”―――カゲロウデイズの存在を知る。そのすべては、一人のメデューサが愛する人間たちの死を恐れ、眷属の蛇たちとカゲロウデイズを創り出したことから始まっていたのだった。
ゲームで流れていた楽曲「カゲロウデイズ」をきっかけに聴き始め、物語性のある歌詞やMVを追う中で、私はカゲロウプロジェクトに夢中になっていった。
絵師であるしづ、わんにゃんぷーが描くMVの中の魅力的なキャラクターたちは、まるで現実世界で生きているかのようにころころと表情を変える。自分より少し年上だった彼らは、私にとって本物の兄や姉のようだった。彼らはいつも私のそばにいた。彼らの常人離れした能力も、創りこまれた過去もすべて、私の真実だった。私の立派な厨二病の過去は、彼らとともに、すぐに取り出せるよう記憶の箱の蓋に載せられている。
小学四年生のころ、私は一人でイラストクラブを創設し、月替わりでクラスの背面黒板に自分の絵を飾っていた。つまりは承認欲求の塊だったのである。小学生とは辛辣なもので、絵の粗を鋭く察知し、うまくかけた絵だけに群がるものだ。ただ、渾身の自信作をもってしても、カゲロウプロジェクトに興味を持ってくれる友達はいない。買ってもらったばかりの3DSで掲示板にログインし、私はそこに入り浸るようになった。両親に内緒の掲示板での活動は、私にとって「仲間探し」の冒険だ。ネット界のルールや匿名の無責任な言葉の波に呑まれそうになりながらも、まさに「ネットサーフィン」を生き延びる毎日だった。
今では、私が毎日ログインしていた掲示板も消滅し、そこで出会った匿名の友達とも縁が切れてしまっている。しかし、お盆の八月十五日だけは、毎年顔も声も名前もわからない匿名の言葉が飛び交う動画のコメント欄に目を走らせる。その日だけは、止まっていたコメント欄が忙しなく動き出し、リアルタイムで更新し続けられていく。
「メカクシ完了。」
カゲロウプロジェクトに青春を奪われた人たちが童心に還る、「メカクシ団」の合言葉だ。
私が一番好きなキャラクター、メカクシ団の団長である木戸つぼみがそう口にする。彼女の一人称は「俺」、常にフードを被り緑色の髪で片目を隠して、白い有線イヤホンから音楽を聴いている。「イタい」の一言で片付けられてしまいそうな見た目の彼女に、私は心から憧れていた。今思えば恥ずかしいことに、GAPでフードつきのパーカーを買ってもらい、毎日のように着用していたのである。
彼女だったら、こんな私でも仲間に入れてくれるんじゃないか。小学生のころほど熱心ではないが、今でも八月十五日はその淡い期待が加速する。
今年で十八歳になる。出会ったころはお兄さんやお姉さんだった「メカクシ団」の団員たちと、私は同じ歳になってしまった。その感慨と寂しさを語れる友達は、まだ現実には現れていない。ただ、好きだと主張するのを恥ずかしがっていた小学生のころと比べると、笑い話になってしまったが、友達に「カゲプロって知ってる? 前めっちゃ好きでハマってて」と明るく話せるようになった。この調子なら、同じようにカゲプロにハマっていた同級生を見つけるという目標の達成も、そう遠くない未来にあるのかもしれない。
今でも、私にとって八月は特別な意味を持っている。八月十五日に楽曲を聴こうと毎年楽しみにしていても、結局帰省のために聴けなかったことを悔やむくらいには。
十八歳になっても、やっぱり「メカクシ団」は現れなかった。目が赤くなることもなかったし、身体が透けたり他人の心の声が聞こえたり、人体実験に遭ったりしなかった。「当たり前だろ」とツッコまれるに違いないが、それでも少しだけ、自分の身に突飛な事実が降ってくるんじゃないかと期待していたのだ。
「カゲロウプロジェクト」は私をつくる基盤の一部となって、これからも共に生き続けるのだろう。そして私は、毎年八月、疾走感のあるギターのメロディで小学生のころの記憶を蘇らせるのだ。「自分にも実は“目”の能力が⋯⋯」と信じていた恥ずかしい過去がなければ、私は「カゲロウプロジェクト」と他人のままだったかもしれない。
小学四年生のあのとき、家族共同用のパソコンで「カゲロウデイズ」を初めて聴いた私のために、これからも私の仲間探しは続いていく。
マイ・バイブル 源倫理 @genji_ystn1000
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