転生少女は魔法使いなんかに憧れない。
成瀬。
混濁
ふわふわと浮かぶような心地いい感覚が続いている。海の上で力なく漂っている様な感覚。だけど私の視界にはとても綺麗な星空が広がっている。
アニメや漫画で見るような満天の星空。街灯が照らす日本の夜では殆ど見られないような美しい空。それが私の眼前に広がっている。
どうして寝転がってるんだろう。
そんな事どうだって良いくらい星が綺麗で、吸い込まれてしまいそうな気がする。どこかの山頂ならこういった景色を見られるだろうか。テレビに映る補正された星空よりもこの眼でしっかりと映す星の方がずっとずっと綺麗だ。
────山にいる……? なんで?
そんな疑問を持って、私の朦朧とした意識は覚醒を迎えた。心地いい感覚も無くなって、少し冷たい風が私の肌を浚った。
いつか、こういう星空を眺めてみたいと願った事がある。ふとしたどうでもいいような話題の中で呟いた小さな願い。まぁ機会があればね、なんて話をしていたけれど、訳の分からない状況で叶うとは。
「ユキ……?」
隣に約束した親友は居なかった。
「────────え」
代わりにあったのは、とても大きな目だった。瞳孔の開き切ったその目の中心には縦に一本の線が走っている。さながらトカゲの目の様に。
人間とは違い、下から上と閉じられる瞼。分厚いガラスの様な目の膜。黒目の部分にシルエットが浮かんでいる。
「っひ」
音が漏れた。喉からひり出した小さな悲鳴をその目は決して逃さない。その刹那で私は獲物であると認識された。
『ノエル……ッ!』
誰かが何かを叫んでいる。
男の人だ。
これは、何?
何が起きてるの?
そうだ、逃げ
その目の持ち主は、大きな顔をこちらへと向け巨大な口を開く。巨大な羽の生えたトカゲの様な造形をしているそれは、多分ワイバーンって呼ぶのが相応しい。
その巨大な口が私を噛み砕こうとして──────
『縺上た繝!』
男の人の酷く焦った声と共に、私の身体がふわっと浮くような感覚が再び戻って来た。
誰かに抱えられたという事に気付くのは降ろされてからだった。地を蹴って一瞬の内にワイバーンから距離を取る。ジェットコースターに乗っている様な素早く風を切る感覚の後に私はどさっと地面に降ろされた。
『縺翫>縲∫函縺阪※繧九°繝?シ?シ』
私の頬をぺしぺしと叩いている。英語か何か、知らない言語で話しをしている様で、私は戸惑って答える事が出来ずに、小さく漏れる、困惑の音を聞いた彼が、
『……閼ウ髴?妛縺ァ繧りオキ縺薙@縺溘°?溘??繧ッ繧ス縲√Γ繧ー?√??繝?Ξ繝昴?繝茨シ』
『繧ゅ≧繧?▲縺ヲ繧具シ∝香遘堤ィシ縺?〒?』
女性が何かを叫んで、それに応える様に男の人が私に背を向ける。
『螟ァ荳亥、ォ縲らオカ蟇セ縺ォ辟。莠九↓蟶ー縺吶ャ?』
男の人の手には銀色の剣が握られている。
「……………………」
頭が、廻る。現実を受け入れるという前に、ただ眼前に迫る恐怖が私の身体を強張らせている。恐怖が私を縛り付けている。指先が冷たい。あれらを受け入れる、受け入れないという葛藤を行う前にただ、漠然とした死が迫っている。だから余裕がない。
普通に生きていればきっと味わう事の無い感覚。お前は捕食される側であると、嫌でも解らせて来るような威圧感に気圧されている。
逃げなきゃって思っても腰が抜けて動けないし、周りの人も英語だかフランス語だかドイツ語だか解らないけれど、なんか聞き取れない言葉を叫んでいるし、思考はとっくにパンクしている。
『繧ッ繝ェ繧ェ繧ケ?√??繝弱お繝ォ繧帝?シ繧?縲∽ソコ縺悟燕縺ォ蜃コ繧具シ』
『莠?ァ」縺?縲∫┌闌カ縺?縺代?縺吶k縺ェ繧医Θ繝ェ繧「繧ケ』
男性二人が短く会話をして、アイコンタクトを終えると、斧を担いだ男性が私を担ぎ上げる。
『謔ェ縺?↑縲∝ー代@謌第?縺励※縺上l』
冷静な男は私を抱えたまま女性の元へと走り出し、叫んだように何かを告げた方の男は、ワイバーンへと剣一本のみ携えて駆ける。
「────────っぅはぁっ!」
息を忘れていた。眼前に広がる光景を未だ飲み込めないまま、注ぎ込まれる情報に、息をしろという最重要命令さえも脳が無視をして処理を行おうとしている。
剣が輝く。星の光を反射させ剣戟が迸る。紫電の様な美しき閃が私の視線を釘付けにする。
その一閃が、甲高い音を響かせる。天井を飾る星にも劣らないほうき星が獰猛な獣の攻撃を受け流し、間隙を縫って反撃を行っている。その軌跡を追うので精一杯。彼らの戦いは凡そ私の知っている剣道や剣術だけに留まらない。遠くまで響く甲高い音。その頻度は増して一際大きく響くと互いに距離を取り合った。
「──────────ひっ、ぅ、ぐぅェ……っ」
急激に込み上げる吐き気が悲鳴を飲み込んだ。元々嘔吐恐怖症故に、吐き気がすると飲み込んでしまう。だからそれごと悲鳴も引っ込んだ。
ワイバーンを見て、じゃない。
あの男の人の人外なる動きを見たからじゃない。
私を抱えた男と大きな杖を持った少女の下に現れた魔法陣を見たからでもない。
例えこれら全てを受け入れ、意味を理解したとて、吐き気を覚える程の恐怖は抱かないと思う。だって私を抱える彼の手は優しい。
『繝ヲ繝ェ繧「繧ケ?√??貅門y蜃コ譚・縺溘?∵?・縺?〒繝?シ』
少女が叫ぶと、戦っている男の人が一瞬こちらを見て、にやりと笑った。
『菴輔r、…………ッ、鬥ャ鮖ソ縺?縺ェ縲√♀蜑』
私を抱えていた人は優しく私を下ろすと、杖の少女の肩をぽんっと叩いた。
『謔ェ縺?↑繝。繧ー繝ェ繧オ繝阪?ら塙縺悟・ス縺阪↑螂ウ縺ョ轤コ縺ォ蜻ス縲翫ち繝槭?句シオ繧九▲縺ヲ繧薙□縲∽サ倥″蜷医▲縺ヲ繧?k縺ョ縺檎塙縺ィ縺励※縺ョ驕鍋炊縺?縲りヲ矩??○』
『菴輔r縲?ヲャ鮖ソ縺ェ莠玖ィ?縺」縺ヲ繧九?縲√け繝ェ繧ェ繧ケ繝?繝。縲∽サ企屬繧後k縺ィ繝?Ξ繝昴?繝医′……っ!』
『繝弱お繝ォ繧剃ササ縺帙◆縺懊?ら函縺阪※縺?◆繧峨∪縺溘き繝輔ぉ縺ァ莨壹♀縺』
私を抱えていた男の人が駆ける。
汗が噴き出す。
斧を持ち、地を蹴って跳ぶように移動する彼もまた、その速度は異様に早い。百メートルを六秒程で走り切るのではないかというスピードに、重々しい斧の打撃音が響く。
視界が歪む。
ワイバーンはその翼を広げ無数の幾何学模様を輝かせる。それが私の足元に展開されている魔法陣と同じモノだという事に、発動してから気付いた。
私の足元の魔法陣は急速に回転を始め、淡く水色に光る。
『繝ヲ繝ェ繧「繧ケ縺」?√??繧ッ繝ェ繧ェ繧ケ縺」?√??縺ュ縺?▲?』
たぶん、少女が二人の事を呼んでいる。だけど、その声は届く事なく、打ち合う音に掻き消される。
『ぅう、ぅぅっぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁあッ!!』
悲痛な叫びの後、魔法陣は停止し、その効力を発揮した……んだと思う。
私の視界が、まるで場面カットの様に切り替わった。
「うっ、ぐぅェッ。かっ、」
吐き気が込み上げる。息が苦しい。恐怖から来るものじゃ、無い。何か、また別の要因だと、思う。
雑なカットの後、処理もせずに適当に繋げた様に私の視界はおかしくなってしまった。先ほどまで居た森のような場所ではなくいつの間にか町中に座っていた。それもかなり古めかしい……というのが正しいだろうか。日本的ではなく古い欧米のような町並み。
だがそれよりも、あの光景がまだ目に焼き付いている。空間が割れる。
あれは生物なんかじゃない。根源的な恐怖さえも感じる。浅い知識だけど、どちらかと言えばクトゥルフ神話の様な、そういうモノに近い。その光景が嫌に目に張り付いている。まるで今も私の前で空間が割れて何かが這い出てくるのかと疑ってしまうくらい。気を抜けば、そこに居る気がする。
もしも本体を見てしまえば私はその恐怖で腰を抜かし失禁していたと思う。正常な判断なんて出来るわけもない。
「…………っ、ふ、ぁっ。ここ、は」
石畳の道路に黒い街灯。──街灯? 照らしているのは電球じゃない、あれは……光の球? 落ち着け、状況を理解しなきゃ。
「……………………………………」
いや、無理。状況なんて飲み込めない。私の前で蒼い顔をしている少女もまた、苦しそうにしている。
テレポート、した? 魔法? ワイバーン? それにあの街灯。私が知らないだけで、地球にはワイバーンが居て魔法があって、それであぁ言った前衛的な街灯が使われている国があるの? そんな馬鹿な。
『ゥぅぅうぅぅぁぁぁぁァぁぁぁぁぁああああアアアアアアアアッ!!!』
叫んでいる。喉が張り裂けそうな程の絶叫が、星空に響く。持っている杖を放り投げて、
『繧ゅ≧縲?俣縺ォ蜷医o縺ェ縺??ら┌逅?□繧医Ρ繧、繝舌?繝ウ縺ェ繧薙※縲∫┌逅?↑縺ョ縺ォ縲√↑繧薙〒窶ヲ窶ヲ繝?シ』
膝を着いて、涙をぼたぼたと流しながら彼女は言葉を叫んでいる。
訳が分からない。何、これは。
『髢九¢縲∵弌縺ョ邏九?ょ慍閼域オ√k繧区弌縺ョ鬲ゅh縲∬◇縺代?よ?縺檎ケ九℃繧帝□縺丈シク縺ー縺帙?る□縺上??□縺上??□縺上??□縺上??▼縺矩□縺冗ケ九£縲∫ケ九£縲らエ?縺ォ鬲泌鴨縲∵懇縺舌?鬲ゅ?諱ッ縲る幕縺代?∬サ「遘サ縺ョ窶ヲ窶ヲ繝?シうぐェ、がっぃあ……っ!』
ドンッ! ドンッ! と地面を両腕で殴るようにしながら、早口で何かを呟いていた彼女が、急に大きくえずく。胃の中の内容物がぼとぼとと吐き出されながら、彼女はそれでも、一縷に縋るように、言葉の続きを口にしようとして──
でもダメだった。ぷつんっと切れた彼女の意識の糸は再び繋がる事なく、そのままがくんっと項垂れ、地面を叩く腕も止まってしまった。
「…………なんだよ、これ」
解ってる。
いい加減自分に起きた事を整理する時だ。剣にワイバーン、そして恐らくテレポートであろう瞬間移動。いつの間にか私はどこかの街中に移動している。さっきの杖の少女が何かしたというのは解る。そして街道を照らす明かりは、私の知るような電灯ではなく、柱の先にふわふわと光の球体が浮かんでいるモノ。
私が知らないだけで世界には魔法もあってワイバーンが居て、前衛的なデザインをした街灯が置いてある街があるのだろうか。綺麗に整列した建物たちは和歌山にある中世ヨーロッパを再現した街とそっくりだ。
そういうアトラクションの一部だって言われたら少しだけ信じてしまいそう。
だけどあり得ない。私は和歌山には住んでいないし、行ったことも無い。
もういい加減現実を少しは受け止めなきゃ。
魔法があって、ワイバーンが居て、まるでゲームや漫画の中の世界の様な中世的な出で立ちの建物たち。星を見つめる前何をしていたかあやふやな事も含めて推察するに、私は多分、異世界に渡来した。
問題は、理由が全く分からない事と、気付いた瞬間に眼前にワイバーンが居た事。何かがおかしいと馬鹿でも解るくらいにあの状況は不可思議だった。
あの歪んだ空間から伸びる無数の黒い手は一体何だったのか。今も油断すればずずずっと寄って来るあれは、この世界にとっても理解出来る範疇のモノなのだろうか。
とにかく今は、気絶したままの杖の少女をどうにかしてあげなければ。道路の真ん中で倒れていては危ない。
道には轍と何か硬いモノが抉ったような跡が所々残っている。恐らく馬車が通っている。街灯が程々に照らしているとは言え、この暗さじゃ轢かれてしまう。
彼女の両腕を引っ張るようにして、脚を引き摺らせながら道の隅へと移動させる。
「おっも……いっ」
こんな非力だったっけ私? と疑問が浮かぶ程。杖の少女が着けている装備が重いのだろうか。
「はぁ、……ふぅ」
息を少し切らしながら彼女の移動を終え、残された杖を回収しようと腰を曲げ──
視界の隅に、白い髪が映った。
「────────────?」
白い? ストレスで一気に白んだか? とあり得ないと解りつつ、現実から目を背ける様に冗談のように考えた。だけどそれは無い。その白い髪は、とても綺麗で澄んでいる。美しいとも言える程その髪は綺麗だった。
髪の向こう。視界に映る髪は透けて、その先の風景が見えている。その風景の奥から小さな光がかなりのスピードで使付いてきているのが解る。
髪の毛がどうなっているのかとかそういう確認は後回しにして急いで杖を拾って少女の手元に置く。
ぱからっぱからっと軽快な音を響かせながらやってきたのは予想通り馬車で、中には少女が乗っていた。手綱を握っているのもどうやら少女らしい。
馬車の少女は私達を見つけると馬を止める。馬車を照らすランタンを私達に向け顔を確認すると、
「何してるの?」
と問う。馬をなだめてから、よっと、と勢いよく馬車から飛び降りて彼女は杖の少女を見つめる。
「酷い有様だ。魔力欠乏による意識の剥離か。このままだと高熱に
綺麗な金髪だった。フランスだとかそういう国の人の様な出で立ち。だけど、何というか、纏う雰囲気はかなり大人びている。見た目から推察される年齢は殆ど私と変わらない。外国の人の年齢なんて当てるのは難しいけれど、でも多分同い年くらいのはずだ。
馬車の少女は、杖の少女に駆け寄って、息や心拍を確認する。
杖の少女の顔色は酷く、以前気絶したままだが、先ほどより酷くなっている様にも見える。彼女をどうにかしてあげたいという気持ちも勿論があるけど、だけど今、私に起きている事への理解が追い付かず、少し頭がぼぅっとしている。
「魔力欠乏は、ノエルも知っての通り、体内魔力が枯渇している状態で魔法を行使しようとすると起きる症状だ。……状況を鑑みるにテレポートを使おうとしたんだろう。いつもの二人が居ないのは、何かイレギュラーが起きたという事で間違いなさそうだ。後で状況を詳しく聞かせて貰うよ、ノエル」
彼女は、私をノエルと呼んでいる。違う、私はノエルなんて横文字の名前じゃない。私にはきちんと渡良瀬いつきという日本人らしい名前が付いている。私は日本人なんだから。
だから私をノエルと呼んでいる事に気付いた時に、なんで? と少女を見つめた。
名前を間違えたからじゃない。それは、そもそも私と馬車の少女は初対面なのだから、名前を知っている訳がない。
そうじゃない。私が疑問に思ったのは、どうして私は彼女の言葉を理解出来る?
「聞いてる? 早く運ぶよ。このままだと重症になる」
「え、ぁ」
反応出来ずにしどろもどろな返答を返す。
「………………………………」
馬車の少女が私を一瞥し、すぐに杖の少女に向き直ると、薬があったはずだ、と馬車へと戻って行ってしまう。
多分、私がノエルじゃないという事に気付いたんだと思う。私は何も言えず、ただ彼女を目で追っている。
馬車から布と小瓶を取り出した彼女は、杖の少女に駆け寄って口元を布で拭った後薬を無理やり口に流し込む。
「杖をお願い。この子は僕が運ぶ。キミは触れるな」
牽制するように言いながら、馬車の少女は杖の少女を軽々と持ち上げた。一体その細い腕のどこにそんな力があるのか甚だ疑問だが、とにかく私は言われた通りに杖を拾って後ろを着いて行くように馬車へと寄る。
「ありがとう」
杖を渡そうと手を上げる。
でもどうして私をノエルという人と間違えたんだろう。
「…………なぁ、ところでさっきから気になっていたんだが、キミは一体、どこの誰だ? ノエルじゃないだろ、キミ」
馬車の少女は私をじっと睨むようにしながら問う。
私は私、渡良瀬いつきだ。それは誰に何を言われようと変わらないはずだ。東京生まれ東京育ちの現役女子高生で、成績は普通。身長は百五十三で、BMIは小数点切り捨てで二十程。お母さんは専業主婦で、お父さんは製薬会社に勤めている。ユキという親友が居て、学校でも放課後でもずっと一緒に居る。来月ライブに行こうって約束したばかりだし、バイト先だって同じになるはずだ。
だけど杖に反射する私の顔は、知らない顔だった。
白い髪。赤みがかった目に、少しだけ掘りの深い顔立ちをした少女の目が杖の金属部分を通して私を見ている。所謂アルビノと呼ばれる人達と身体的特徴が似ている少女。それが反射して映っている。
そこに、渡良瀬いつきは居ない。
「──────────え?」
渡良瀬いつきは、渡良瀬いつきでは無かった。それが今、唯一解る事だった。
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