子供のあと

照守皐月

1

じんわりとした熱が肌を包む午前四時。布団から抜け出して手袋をはき、ジャンバーを着てそそくさと外へ出ていく。まだ外は暗い。緩慢な速度で落ちゆく雪が、鼻先に触れる。じわり。冷たかった雪の塊が、わたしの体温で溶け落ちた。


ここのような田舎において、冬休みとは特に何もすることのない虚無の季節だ。遠出をしようにも路面凍結で車は思うように動かず、ともすれば新幹線や電車になんて乗り込むことすらできない。やることと言えば食べることと寝ることと雪掻き。あと宿題。それを繰り返して数ヶ月が経つと冬休みは終わっている。


学校に行ったら行ったで、特段楽しくもない授業を受けて帰るだけ。友達との会話も徐々にマンネリ化してきて楽しさが削がれゆく。あの他愛ないだけの会話も、わたしにとってはうんざりだ。


さて、ここまで冬について色々なことを言ったが雪はいいものだ。冷たくて、それでいて確かな温かさを持っている。ふかふかとする一方でどこまでも引きずり込んでしまいそうな貪欲さを持つそれは、まるで冬場の早朝における布団の魔力のようだ。


雪というのは子供を騙すのにももってこいらしい。わたしは騙されていないが。かまくらを作り、余った雪で小さな雪達磨を作りながらそう考える。


雪掻きは疲れたら遊びにシフトチェンジできるのがまたいいところだ。


親や友達を巻き込めば雪合戦だってできる。一人でも雪玉を作ったり、氷柱を折って振り回したり舐めたり、雪達磨を作り上げて家の前の塀に置いておくことだってできる。友達はみんな楽しいからやってるらしい。


尤も、わたしはそういった行動を子供のような思考でやっているわけではない。あくまでリラックスのためにやっているのだ。そこら辺、わたしは普通の子供とは違うのだと声高らかに言ってやりたい。わたしはもう小学六年生、この冬を越えれば中学一年生になる。いつまでも子供のままではいられない。


なら、せめて、この冬だけは子供でいさせてほしい。


大人になりかけのアイデンティティを、大人でいたいというプライドを持ちながらも子供でいる。それがどれだけ大事なのかは分からないけど、今のわたしにとっては年末ジャンボ宝くじで一等を当てるよりも大事な事だ。


「えいっ」


積もった雪に飛び込む。ぼふっという音が鳴って、身体が沈みこんでいく。起き上がるとそこにはわたしの跡がある。形は残らないし、冬休みを過ぎればなくなるだろうけれども、記憶には残る子供の「跡」が。

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子供のあと 照守皐月 @terukami

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