第35話 氷魔法
図書館へ向かう途中、俺は意外な組み合わせを目にして思わず立ち止まった。フランクとブレク先生である。高身長のふたりが並ぶと、さながら灯台のようによく目立つ。
あずかり知らないところで起きるキャラクターイベントの予感に、俺は早めの撤退を決め込んだ。毛布を頭からかぶって、ふたりの横をそそくさと通り過ぎる。寮の部屋にあった予備の毛布は、燃やしてしまった上着の代わりである。
「逃げんな、デフォート」
なぜわかったのだろうか。フランクの腕が絡みつくように肩へと回され、引き寄せられる。フランクの体はすっかり冷え切っていた。俺で暖を取るのは構わないが、自ら好感度を上げに来ないでほしい。不意打ちのような光の瞬きに、俺は目をすがめた。
フランクがブレク先生に言う。
「デフォートくんも氷魔法に興味があるそうなので、今の説明をもう一度お願いできますか」
事情は呑み込めたが、いくらなんでも白々しい。ブレク先生に不審がる様子がなくてよかった。横目でフランクを睨み上げると、彼が耳元でつぶやいた。
「ブレク先生が何を言っているのか、全く理解できないんだ。通訳してくれ」
頭脳派・理論系のフランクと肉体派・感覚系のブレク先生では、話がかみ合わないのだろう。俺は逃げようとしていたことも忘れ、もう少し早く通りかかればよかった、と思った。久々に気分の晴れるような面白いものが見れたに違いない。
魔王討伐のかなめでもある氷魔法を、フランクは作成できていなかった。俺と雪村さんも彼を手伝って資料を探していたが、ディングタウンに伝わる秘術ということしかつかめていない。魔石の産地として知られるディングタウンは、住民の結束が固く、魔石やそれに関わる魔法を門外不出としている。一介の学生が教わることは不可能に近い。
ただ、これは俺たち魔法科が使う元素魔法の話だ。騎士科が使う養体魔法には氷魔法が数多く存在する。フランクはそれを思いつき、ブレク先生に自ら聞きに来たようだ。
「いいか、氷魔法はだな。ものすごく寒い場所を想像するんだ」
ブレク先生の説明に俺が耳を疑う横で、フランクがかすかにため息をついた。先生は俺たちから距離をとると、剣を抜いて構えた。
「俺は凍った滝に打たれるのをイメージしている」
刃の根元から切っ先にかけて霜が走る。冷気を感じ、俺は毛布の前をしっかりと合わせた。
「凍っていたら打たれようがないだろうに……」
養体魔法を元素魔法に応用するのが無理なのか、それとも聞いた相手が悪かったのか。いくら魔法がイメージの産物でも、それだけでは機能しないのが元素魔法である。
フランクの言葉に、ブレク先生は笑いながら魔法を解いて剣を収めた。
「それもそうだな。まあ、お前たち一年生も、来月の校外学習で滝行を経験できるから」
一月のシーズンイベントは大寒の滝行で、氷魔法のフローズンスプラッシュアタックが報酬だ。瀕死イベントで手に入れた技なら、それは魔王も必殺されてくれるだろう。やはり冬休みの討伐を諦めるべきなのだろうか。
先月のシーズンイベントで雪村さんの好感度を急上昇させてしまったこともあり、俺は焦っていた。
「ちなみに、ほかに氷魔法を使える方は?」
「うーん、冷気をまとわせる程度なら三年の奴らはできるが……実力なら二年のイヴァンだな」
「イヴァン先輩ですか!」
「ああ。今アイツは氷を飛ばす練習をしている」
イヴァン先輩は練習場にいるという。俺はブレク先生に一礼し、フランクを引っ張って図書館に向かった。
「練習場に行くんじゃないのか?」
「それは俺がひとりで行く。お前は雪村さんに伝えておいてくれ」
フランクは自身があだ名で呼ばれているせいか、俺がクラウスのことを「雪村さん」と呼んでも気にしなかった。図書館の前で彼と別れ、俺は練習場へと足を運んだ。
防御の幕が張られたフェンスの向こうにイヴァン先輩の姿が見えた。
イヴァン先輩は騎士科の所属だが、俺たち魔法科と同じ元素魔力の持ち主だ。彼が剣に氷をまとわせることができるのなら、俺にもその魔法が使えるということになる。
魔力を偽っていることは、いわばイヴァン先輩の最大の秘密だ。シナリオの半ばから後半のキャラクターイベントで暴かれ、親密な関係へと発展していく。
接点が少ない分、イヴァン先輩との好感度は低い。イベントを発生させるなら、無理やり状況を作り上げる必要があるだろう。場合によっては、俺よりも親しそうな第三者を巻き込まないといけないかもしれない。
近頃イヴァン先輩は朝練に来ず、ひとりで練習することが多くなった。けがを恐れているのだと思う。
騎士科の持つ養体魔力は、体の内側への作用を得意とする魔力だ。二年次の後半ともなると、日々の訓練で鍛えられた魔力により、疲労やけがからの回復が格段に早くなる。小さな切り傷程度であれば瞬時に治癒してしまう。
イヴァン先輩が一度でもけがをすれば、彼が養体魔力を持っていないことが分かってしまうだろう。彼ほどの実力者が治癒力だけ低いというのは考えにくい。
剣を振うイヴァン先輩の動きは繊細で美しい。肌にしみるような寒さの中、体から発せられる湯気が、彼をまとう光をぼんやりとかすませている。
イヴァン先輩が置かれた状況を設定として知っているが、俺は彼のことをあまりよく知らなかった。苦手意識から避けていた、と言ってもよい。練習場に来てみたものの、俺は迷っていた。
氷魔法のために、ゲームを早く終わらせるために、俺は彼の秘密を暴いてもいいのだろうか――?
「あれ? デフォートくん、上着はどうしたの?」
驚いた用務員さんの声に、俺はイヴァン先輩から目をそらした。
「……燃やしました」
「ああ。魔物を倒したのキミだったんだ」
彼はスプリラに似た目を細めた。
「おいでよ。忘れ物が用務員室にあったはずだから」
俺は用務員さんの甘言に釣られることにした。
用務員室にたどりつくころには雪がちらつき始めた。今はみぞれに近いが、夜になれば積もり始めるだろう。季節は着実に冬へと足を進めていた。
俺は事務机と棚が置かれた手前側を通り過ぎ、衝立の奥へと案内された。小さなテーブルと椅子が二脚、奥には二階へと上がるための階段があり、右側には簡易的なキッチンが設えられている。
布巾に伏せられたカップの数に、俺は当初からの疑問を口にした。
「もしかして、ほかの用務員さんっていないんですか?」
「そうだよ」
「この広い学園を、ひとりで?」
俺が驚くと、用務員さんは笑った。
「妖精たちに手伝ってもらってるんだ。居心地のよい住処を整えるのを対価にね」
一年のうち入学式のある五月を除き、学園全体が妖精たちの住処として提供されている。入学して初めて妖精を見る生徒も多く、六月までは学園中にいた妖精たちが森に集まるという。森に来た新入生にいたずらを仕掛けるのは、狭いところに押し込められた不満を晴らすためらしい。
魔石式のコンロが湯を沸かすまで間、俺は用務員さんから上着を受け取った。一年たっても持ち主が現れず、破棄する予定だったという上着だ。袖から手が出ないほど大きかったが、来年には身の丈に合うだろう。それまでに燃やさなければ、の話だが。
「安心して、それは対価じゃないから」
紅茶を入れたカップを両手に、用務員さんが言う。俺はテーブルの上にあった新聞を脇に寄せた。解きかけのクロスワードパズルが目に入り、生活感を感じてしまう。
秋分イベントの翌日、彼から「貸しができた」と言われたのを思い出した。
「あれって本気だったんですか?」
「キミねぇ、妖精にとって『対価』という言葉がどれほど重たいか分かってるの?」
俺の家に住むヨーゼフが対価に縛られないことを話すと、用務員さんは珍し気にうなずいた。
「力の弱い小妖精だからかもね。おれの場合、母親が季節の妖精だからなぁ」
「妖精界で暮らそうとは思わないんですか?」
対価に縛られるぐらい妖精の力が強いなら、人間界では何かと不便だろう。
「う~ん、もう少ししたら考えてもいいかもね」
用務員さんがテーブルに頬杖をつくと、俺と目の高さが同じになった。
「それ、何十年後って意味ですよね?」
「痛いところを突くなぁ。時の流れの違いはいちばんの理由かもね。だって、つい最近まで義姉で通していたマーサが、今は義母だよ?」
だから一年ごとの変化のある学園に就職したのに、と用務員さんはぼやく。
妖精の血を引く用務員さんは人間よりも成長が遅いため、レオンさんの死後、ディングタウンへと預けられたという。魔石や秘術と同様に、彼のことも町全体で守っているのだそうだ。
「というわけで対価はさっさと払うに限る、ってわけ。キミが卒業したら、追いかけるのも面倒だし」
ふたたび対価を問われ考える。さすがに秘術を教えてもらうのは無理だろうが、ディングタウンと聞いて名案が浮かんだ。これならイヴァン先輩の秘密を暴かずに済む。
「氷の魔石を貸してください、俺個人に」
用務員さんは片眉を上げて目を細めた。
「予想外かつ同等を思わせる要求……サマンサが気に入るわけだ」
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