第21話 臨海学校
生まれて初めて見る魔物に恐怖を覚える暇もなく、俺たちは両手で持ったボールに魔力を貯めていた。
夏の日差しは容赦なく照りつけ、砂浜が焼けるように熱い。とてもコールドコーストという名を冠しているとは思えなかった。
「そこの一年! もっと集中して!」
厳しい言葉とは裏腹に、二年生が魔法で風を送ってくれる。俺は頭の中に響く奇妙な声を無視して、魔法具に向き合った。
七月のシーズンイベントは臨海学校だ。六月はギフト集めと夏至祭当日、という二段階のイベントだったが、今回は一日限定で行われる。
内容はコールドコーストに出現する海の魔物を倒す、というものだ。イベント報酬は人魚の鱗である。羽衣を作る素材のひとつだというが、羽衣と人魚になんの関係性があるのかは分からない。
『……がい……に……て……』
今日、砂浜に足を踏み入れた時から、俺の頭には女性の声が聞こえ続けていた。訴えかけるような悲痛な声に、集中力がみるみると奪われていく。
海で魔物を倒しているのは騎士科の二年生だ。カイルやイヴァン先輩は、ひざ下を海に沈めながら魔物相手に剣を振っている。近くでは騎士科のブレク先生と魔法科のエリス先生が、不測の事態に備えて待機していた。
浅瀬にいるのはアルテミスくんや室長など、騎士科の一年生だ。彼らはボール型の魔法具を魔物に向かって投げつけている。魔法具が魔物にぶつかると、痺れの魔法が発動し、魔物の動きを鈍らせる仕組みだ。
俺たち魔法科の一年生は、魔法具に魔力を貯めるのが役目だった。
魔法科の二年生は、波に浮かぶ魔法具の回収と運搬、一年生の護衛など、細かいが幅の広い支援を行っている。
イベントが始まっているため、雪村さんふくめ攻略対象者たちには近寄れない。俺は魔法具を取りに来た室長を捕まえ、訊いてみることにした。
「なんか女性の声が聞こえない?」
「デフォート、お前……!」
室長は深刻そうな顔で俺の肩に手を置いた。
「禁欲的な姿勢は立派だと思うが、行き過ぎると不調が出てくるんだぞ」
「大きな誤解だ……」
室長含め同室の子たちには、恋バナに参加しない俺が禁欲的に見えるらしい。俺としては、彼らの話題に上がる女の子たちが全て二十歳以上年下なだけなのだが……。
室長が隣町の女子校を覗く計画に誘ってくれたが、俺は丁重にお断りをした。砂を蹴り上げながら海へと向かう彼を見送る。俺も戻ってイベントに専念しよう。
『……ね……ちに……き……』
踵を返そうとしたところで、波に浮いた魔法具が流されていくのが見えた。回収担当の二年生は誰も気づいていない。魔物の出現場所とは逆方向だったこともあり、俺は引き寄せられるように魔法具を追いかけた。
波打ち際は海水によって砂が固められているので歩きやすい。大きな岩を迂回し喧騒が遠ざかると、魔法具は海からはじかれ、砂浜へと転がった。
『こっちよ』
明瞭な声色は、伸ばしかけた手を止めさせるのに十分だった。俺の横を魔法具がすり抜ける。
魔法具は砂浜を出て、林の中に消えていった。
俺は誘いに乗ることにした。
ここコールドコーストは、転生後の雪村さんが生まれ育った場所でもある。彼の一家がホテル業で財を成したことは聞いていたが、こんなに自然が豊かな場所だとは知らなかった。
魔法具が転がる山道は、散策路と呼べないほど人の手が入っていない。緩やかな傾斜を選びながら幾重にも蛇行し、飛び出した低木の枝がむき出しのすねを払う。日差しを遮る木々を揺らす風が、火照った体に心地よかった。
はだしに刺さる小石を払いながら魔法具を追いかける。まぶしさに目をくらませながら林を抜けると、切り立った崖の上に出た。
来るまでの間に予想はついていたものの、目の前の事実をどう受け取るべきなのだろうか。
中空に腰かけて漂う彼女に、俺は声をかけた。
『スプリラ……さん?』
『驚いた。私を知っているの?』
彼女――スプリラは背中の羽をピンと立たせ、目を見開いて、口に手を当てた。凛とした見た目とは異なる可憐なしぐさだった。
没になったシナリオに登場するヒロインのスプリラだ。悲恋の物語は、どこまで先があるのだろうか。
『ヨーゼフからあなたのことを聞いた』
俺がヨーゼフのことを話すと、彼女は懐かしそうに微笑んだ。
『ヨーゼフに怒られちゃうかな……』
そう言ってスプリラは、彼女の物語を話し出した。
死んで魂だけの存在となった彼女は、コールドコーストを訪れた。思い出の地を見納めたら天に旅立つつもりだった。
『ここで彼と再会したの。彼も幽霊だったし、消えかけていたけど』
スプリラは、彼から子供が生きていることを知らされた。死産と伝えられた子供は、彼女が知らぬままルクスブライト家へと預けられていたのだ。
『彼には向こうで待っていてもらうことにして、私だけ子供を探すことにしたの』
子供の姿を一目でいいから見たい。そう願うスプリラの想いは強かった。彼女をこの世にとどまらせる力があったが、それは永く続くものではなかった。
『いくら私が妖精でも、魂のままこの世にとどまるのは難しいのよ』
だから魔物と契約したの、と彼女はこともなげに言う。
スプリラと契約したのは、ここコールドコーストに来た海の魔物だった。魔界と人間界をつなぐゲートを作る手助けと引き換えに、彼女は魔力を得た。
『子供とは会えた?』
『ううん、まだ。でもアナタのおかげで手がかりが見つかったわ』
『俺?』
『ポケットの中を見て』
洗濯が魔法で行われるせいで、俺はポケットの中身を出すという習慣をすっかりと無くしていた。雑多なものをポケットに入れてしまうという悪癖もある。小銭や、しわくちゃになったメモをよけると、滑らかな石が指に触れた。
『ギフト……』
六月に見飽きるほどもらった白い石が出てきた。夏至祭で奉納しそびれた石だ。
妖精三姉妹の末っ子、ミィが妖精にはギフトの違いが分かると話していたのを思い出す。この石の贈り主がスプリラの子供なのだろう。
『ようやく居場所がわかったの。でもね、魔物との契約で、私はこの地にとらわれているの』
『魔物なら今みんなで倒しているけど……』
シーズンイベントで魔物の発生理由は語られていなかった。彼女が理由なのだろうか。
『違うわ。だからアナタを呼んだの。魔物を倒してもらいたくって』
ほかの魔物を倒すついでにお願い、と言ってスプリラは俺を崖から突き落とした。
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