第16話 俺んちの妖精さん

 ブレク先生が二階の安全確認を終えるまでの間、俺は雪村さんとリュカくんに狭い店内を案内した。パンが焼きあがったので、家族を紹介するのはもう少し後だ。


 店内は日本の町のパン屋とほとんど変わらない。三方の壁側に棚、中央に大きな台、奥に勘定場、いわゆるレジが置いてあるような長いカウンターがある。一角には氷の魔石を使った冷蔵ケースが置かれており、中には具沢山のサンドイッチが並ぶ予定だ。


 冷蔵ケースを含め今は棚のほとんどが空いており、パンの名前を記した札だけが並んでいる。


 リュカくんが珍しそうにパンの名前を読み上げた。


「ロールパン、コッペパン、フランスパン、クロワッサン」


 雪村さんの呆れた声が続く。


「パリパリパン、ヒラタイパン、日替わりソーザイパン……」


「名前がわからないやつは、俺が考えたんだ」


「ソーザイパンは惣菜パンで構わないのでは?」


「漢字が分からなくて」


「関係ないですよね、漢字」


 リュカくんにそれぞれのパンがどんなパンかを教えていると、上から大きな物音が聞こえてきた。


 ブレク先生は、部屋に妖精が住んでいることを知らない。


 俺はふたりを連れて階段を駆け上った。


「先生、そいつは――」


 自室の扉を開けると、ブレク先生が梁の上にいるヨーゼフを捕まえているところだった。


「危うく切るところだった」


『離せ小僧! 妖精はか弱き生き物なんじゃぞ!』


 わめくヨーゼフを先生から受け取る。


 ヨーゼフはノームをてのひらサイズにしたような妖精だ。いぼが噴き出た大きな鼻と不満げに突き出した唇、目を覆うほどの長い眉毛。美形たちに囲まれる道中だっただけに、久しぶりに見ると醜悪さが際立つ。それでも手の上で湯気を出しながら地団太を踏む姿は、懐かしくて笑みがこぼれた。


『ごめん、ヨーゼフ』


『昨今の若者は妖精の扱い方も知らんのかっ!』


 ブレク先生にヨーゼフの存在を伝えて置かなかったのは、俺の落ち度だ。焼き立てパン五つの差し入れを約束し、何とかなだめる。


 ヨーゼフは腕を組んで胡坐をかいた。


『それで、もう退学になりおったのか?』


『帰省だよ』


 失礼な妖精だ。俺はヨーゼフにリュカくんが会いたがっていることを伝え、戸口で様子をうかがうふたりに向いた。ブレク先生は部屋の隅で待機している。


 リュカくんが前に出た。


『あの……ぼく……』


『なぜ……スプリラ様を裏切ったのですか……』


「えっ?」


 ヨーゼフは立ち上がると、ふらふらとリュカくんに向かって歩き出した。俺が抱えるよりも早く、ヨーゼフが落下する。


「ヨーゼフ!」


 床と接触する寸前、ブレク先生がヨーゼフを受け止めた。先生からヨーゼフを受け取り、俺はぐったりとした彼を、サイドテーブルにある寝床に横たわせた。


「ごめんなさい、ぼく……」


 血の気の引いた顔でリュカくんがつぶやく。雪村さんがリュカくんの背中に手を添えた。


「なにか誤解があるのかもしれません。デフォートくん」


「はい」


「僕たちは一階で待たせてもらいます。彼が目覚めたら話を聞いてください」


「了解です」


 雪村さんの冷静な指揮官っぷりに、思わず敬礼する。扉が閉まる寸前にらまれてしまった。なぜだろうか。




 階下から聞こえてくる笑い声に安堵しながら、俺はヨーゼフが起きるのを待った。「スプリラ様」とは誰なのだろうか。


 ヨーゼフが目を覚ました。


『いったい、どうしたんだよ』


 俺は枕に肘をついてベッドに寝転がった。ヨーゼフが眉を寄せた。


『すまん。あまりに似ていたもんでな』


『リュカくんが? 誰に?』


『姫様の思い人じゃ――』


 ヨーゼフは語り始めた。知られざる悲恋の物語を。


 種族ごとの小国が連なる妖精界。スプリラは、その中でも大国に位置する国のお姫様だった。この国はヨーゼフのような別の種族も受け入れており、彼はスプリラの従者として働いていた。


 初代ルクスブライト家当主が開拓を始めたころ、一帯には魔物がはびこっていた。

『当時のわしらは、国ごとに結界を張っておってな。魔物の流入を完全に防ぐことは難しかった』


 結界の弱い部分が魔物の通り道になっていた。


『魔物が放つ魔素は、濃すぎればわしら妖精にも影響する。魔物の数が増え、わしら妖精たちの力は弱まりつつあった』


 ルクスブライト家による開拓は、妖精界の危機を救った。人間界側の魔物が減り、力を取り戻すことが出来たのだ。


『そんな時じゃった。ルクスブライト家から使者が来たのは』


 使者は二代目当主の次男だった。彼は結界強化の請願と協力の申し出をしてきた。


『で、妖精界の代表が姫様というわけか』


 人間に近い容姿と大きさということもあり、スプリラが選ばれた。人間の年齢に換算すればスプリラは使者と年も近く、ふたりが恋に落ちたのは必然ともいえた。


『妖精界の結界は強化され、わしらも平和を享受するようになった。だが、ふたりの恋を王は認められなかった』


 反対された若いふたりは駆け落ちという道を選んだ。王がふたりを見つけたとき、スプリラのおなかには子が宿っていた。


『それって……』


『もともと人間に近い種族ではあったが、姫様が無理をなさったことは確かじゃ』


 「必ず方法を探す」という約束の言葉を最後に、ふたりは離れ離れとなった。


『子供は?』


『死産じゃった、と聞いておる』


 人間との子供を産んだことでスプリラの体は弱まっていた。寝込む姫を置いて行くことはできず、ヨーゼフは懸命に看病した。


『姫様は約束だけを希望に生きておられた』


 しかし約束が果たされず、彼女は若くして命を落とした。寿命の四分の一ほどの年齢だった。


『姫様が亡くなった後、しばらくしてわしは妖精界を出た。ルクスブライトに理由を問いただすつもりじゃった。奴はもう墓の下じゃった』


 長い時を生きる妖精と人間とでは、流れが同じでも時間に対する感覚が違う。ルクスブライト家も代替わりしており、村は町へと変貌していた。


『妖精界には?』


『戻らなかった。あそこには姫様との思い出がありすぎる』


 寝床から這い出ると、ヨーゼフは窓に登った。


『さっきの子に、謝っておいてくれ。それと、また会いに来てほしい、と……』


『伝えるよ』


 窓の外を見つめる背中が、なんだか一回り小さくなったように見えた。

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