第12話 魔王討伐ルート

 雪村さんに避けられている。そう気づいたのは閲覧室の一件から翌日、妖精語の授業でのことだった。彼が授業を休んだのだ。


 この世界は、なぜか日本語が妖精語として使われている。「こんにちは」を十回も言わされたときはうんざりしたが、ペアで行う会話が中心で、雪村さんとの雑談にはうってつけだった。授業を担当するスコーラ先生も、妖精語ネイティブの俺たちに教えることはないと気づいたのか、授業と関係のない話をしていても叱らなかった。


『デフォートくんはわたしと話しましょうか』


 スコーラ先生はのんびりと言って、雪村さんの席に座った。妖精語は俺たちが普通に話すよりもテンポが少し遅く、母音が間延びした印象がある。俺はゆっくりとした発音を意識しながら訊いた。


『雪……クラウスくんは?』


『表向きは病欠ですが、サボりでしょうねぇ』


 授業外の時間なら避ける理由も分かるが、授業を避けるとなると俺に問題がありそうだ。


『欠席の旨を伝えに来た時、彼、昨日のデフォートくんの遅刻は自分のせいだからとがめないでほしい、ってお願いに来たんですよ』


『じゃあ、閲覧室のことは……』


『知っています。どうしても自習を続けたかったから、巡回をやり過ごして閲覧室で一晩明かした、と言っていました。寝過ごした彼を君が起こしに来てくれたとか』


 雪村さんが図書館に一晩いたことが発覚すれば、問題になるのは必至である。ゲームが原因なのは間違いないが、それは俺たちだけが知る事実だ。


 ゲームが雪村さんをどうやって巡回の目から逃れさせたのか分からないが、支配力の強さを考えれば、職員のミスを誘ったのかもしれない。もしそうだとすれば職員の処分もありうる。


 先手を打ち、雪村さんは自らが閲覧室に閉じこもった、ということにしたのだろう。俺が呼びに来たうんぬんは、おのれの罪を白状する口実というか、ついでに違いない。


『それでクラウスくんはどういった処分に?』


『検討中ですが、処罰よりもクラウスくんがどうしてそんなことをしてしまったのかが、私としては気になりますねぇ。今も悩んでいるようでしたし……』


 心当たりを訊かれて言葉に詰まる。「キャラクターイベントのせいです」とは言えない。


 スコーラ先生は黙り切った俺に何も言わず、会話が止まっているアルテミスくんとリュカくんの様子を見に席を立った。


『どうして、か……』


 昨日、閲覧室を出た後、俺は魔法学の授業に遅れて出席した。授業後はエリス先生に遅刻と授業係の役目を怠ったことを平謝りし、同室の子にノートを借りていたらほとんど潰れてしまった。雪村さんは二時間目の直前に姿を現した。次の休み時間はノートを写すことに費やし、三時間目の授業が終わると雪村さんはすぐに教室を出て行ってしまった。


 一年生の授業は、庶民と貴族の学力差を埋めるよう組まれいる。貴族階級の生徒には四時間目の授業がない。


 学食でも雪村さんの姿は見かけず、午後には「ヒノタマト」と呼ばれる悪名高い実技の授業が待ち受けていた。魔法科の生徒は精神的に、騎士科は体力的にダメージを受けた。「ヒノタマト」の洗礼を初めて受け、放課後はへばった騎士科の連中の世話に忙しく、雪村さんと話す機会は訪れなかった。


 あわただしい一日を過ごすうち激しさは失ったものの、ゲームに対する怒りは熾火おきびのように体の芯で今もなおくすぶっている。怒りが収まったぶん、少しだけ頭も冷えた。


 俺は昨日、雪村さんにを傷つけたのかもしれない。


 己の意志とは無関係に行動してしまうというのは、考えるだけでも恐ろしいことだ。昨日、授業が始まったことで雪村さんは、好感度の急上昇から解放された。いつもの冷静さを取り戻したが、自分がクラウス化していたと知って、明らかに動揺していた。俺はゲームに対する怒りを理由に、それを無視してしまった。それどころか、一晩中ずっと支配下にあった、と追い打ちをかけていた。雪村さんは、巡回していた職員のことまで考えて行動したというのに。


 ゲームがクリアされれば、攻略対象者たちは支配力から解放されるはずだ。しかしキャラクターイベントで起きた出来事は、経験として残ってしまう。


 現にゲームの支配を受けない授業中であるにも関わらず、雪村さんは俺と話すのを避け、欠席を選んだ。


 あの後、カイルはどうしただろうか。家族のことより俺を優先しようとした自分に悩んではいないだろうか。


 ここはゲームの世界だが、ゲームが始まる前も後も人生はある。


 俺はゲームに振り回されることが嫌になっていた。支配力が強いのならなおさらだ。


「この問題は、デフォートくんに解いてもらいましょうか」


 授業中に聞きたくないセリフを浴びせられ、俺は我に返った。いつの間にか妖精語の授業は終わり、四時間目の授業が始まっている。生徒が半数になった教室で、俺は明らかに話を聞いていなかった。


 心はここにあらずでも、年は食っている。俺は勢いよく立ち上がって言った。


「すみません! 分かりません! 聞いてませんでしたっ!」


 遺恨は残さないに限る。




 魔法学の授業係である俺は、実技の授業中も先生の手伝いをしなければならない。雪村さんに声をかけるタイミングがなく、彼は俺と視線を合わせようとすらしなかった。


 放課後、俺は同室の子に授業後の片づけを代わってもらい、グラウンドから寮に向かう彼を追いかけた。


「雪村さん!」


 攻略対象者にアクションを起こすと好感度が上がってしまう。俺はキャラクターイベントの翌日ということもあり、今朝は雪村さんに声をかけていなかった。キラキラが見え、俺のことを無視しようとしているのが分かった。


 雪村さんは着替えた後、図書館に向かうのだろう。少々強引だが、俺は立ち去ろうとする雪村さんの手首をつかんだ。


「話がしたい」


 返事がないので、つかんだ手に力をこめる。雪村さんから光塵がこぼれるが、俺は引き下がらなかった。


 振り向いて、雪村さんが言う。


「分かりましたから、手を放してください」


「悪い」


 俺は両手を上げ、肩をすくめてみせた。


「鍵のかかる閲覧室の前で、天鈿女命あまのうずめのみことを演じたくなかったんで」


 雪村さんの声に宿った剣が、わずかに和らいだ。


天岩戸あまのいわとですか……」


 グラウンドを出た後は会話もなく、俺は雪村さんを池に連れてきた。


「ごめん! 俺、無神経だった!」


 石橋の中央で、俺は雪村さんに頭を下げた。視界の端にある雪村さんの靴がわずかに後退するのが見え、急いで上体を起こした。


「頼むから逃げないで」


「ここまでついてきて逃げませんよ……驚きはしましたが」


 欄干に両手をついて雪村さんはうつむいた。俺は少し離れて彼の隣に立った。


「雪村さんの気持ちも考えず、ゲームの支配力を調べようだなんて言って……悪かった」


「確かに……あの後の作業はキツかったです。設定を書いていた紙の途中で、筆跡も内容も違う文が現れるんですから」


 どうやら雪村さんは一晩中クラウス化していたようだ。紙には本から写したと思われる文面やクラウスの推論が書かれていたという。


「ゲームの支配力は、相当強いとみたほうがいいな……」


「僕のほうこそすみませんでした、避けるような真似をして。気持ちの整理がつかなくて……」


 言葉を探す雪村さんを俺は待った。池の睡蓮は昨日よりも開き、鮮やかな黄色が見えていた。


「逆かもしれない、と思ったんです」


 水面に映る雪村さんの顔がゆがんだ。


「逆?」


「僕がクラウス化していたのではなく、クラウスが僕から体を取り返しただけなのではないか、と」


「憑依だと思ってたのか……」


 雪村さんは転生者という言葉を知らなかった。俺はアニメやライトノベルのおかげで状況をすんなり理解できたが、雪村さんは苦労したことだろう。それに俺はデフォートのことを全く知らないが、彼はクラウスを知っている。自分がゲームの登場人物だと気づいたとき、雪村さんは「生まれ変わった」のではなく「クラウスを乗っ取った」と考えたのかもしれない。その考えがキャラクターイベントでふたたび沸き起こったのだ。


 それはゲームに支配されることより恐ろしいことかもしれない。


「一晩という時間は、演じるには長すぎませんか?」


 クラウスとの邂逅かいこうはほんの短い時間だったが、俺にとっても衝撃は大きかった。


 雪村さんはクラウスだけど、クラウスは雪村さんじゃない。


 俺がいまだに雪村さんのことをクラウスと呼べないのも、それが理由かもしれない。


「なあ、雪村さん――」


 俺は体を反転させ、欄干に肘をついて背中を預けた。雲ひとつない青空がまぶしい。


「――シナリオ無視して魔王討伐しない?」


 雪村さんのクラウス化が、なのか俺たちには一生、分からない。


 だが、俺がシナリオ通りに魔王討伐を進めれば、少なくとも四回は雪村さんとのキャラクターイベントを起こす必要がある。そのたびにクラウスの影におびえるのは、苦痛だろう。


 ゲームを終わらせるだけなら、ゲームのシナリオ通りに動く必要はない。ゲームクリアの条件さえ満たせればいいのだ。


 俺がそう説明すると、雪村さんは顔を上げた。


「もし僕がクラウスを乗っ取っているのだとしても、僕は体を返したくありません。これ以上、彼には出てきてほしくありません」


「ああ」


 俺だって限りなく無個性なデフォートくんのことは考えたくない。


 雪村さんと目が合うと、彼は力強く笑った。


「無視しましょう、シナリオを」

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