第19話 微妙な距離感

 一琉と白菊の前から危機が去り、負傷している二人がHESの救助を待っている時のことだった。


 彼の方が横たわったままの状態で、不意に何かを思い出す。

「——あ……そうだ!」

「わ! びっくりした!」


 と、すぐ傍にいた白菊がその言動に驚いていると、一琉が少し気まずそうな視線を少女の方に向けていた。


「……ここにHESの人が来る前に、自分の名前を向こうに伝えたいんだけど……その前段階のことを、少し手伝ってくれないかな? 今は見ての通りで、こんな状態だからね。通話自体は自分自身でやるつもりなんだけど……いいかな……?」


 改めて自己の状態を自覚しながら、そんなことを白菊に頼んでいる。だが、一方の少女にはその理由がよく分からなかった。

「名前? どうして?」


 一琉の顔を覗き込みながら、不思議そうに尋ねている。すると、彼は小一時間前の香久山とのやり取りも思い出しながら続けていた。


「……自分はHESには何度もお世話になってるんだけど、その際には状況の説明を求められることが多いんだ。今回も、多分そうなると思う。でも……君はその点に関して、自ら説明するのは難しいんだよね? スキルのことを抜きにしても」


 この半分想像での確認に——

「……!」

 白菊が瞬時に押し黙っている。それを肯定と読み取った一琉は、そこで小さく頷いてから、さらに続けていた。


「自分は事情が特殊だから、HESに専任の担当者がいてね。だから、自分の名前を告げて、よく知ってるその人に来てもらうつもりなんだ。その上で、君のことは自分が適当に説明しようかと思って。ただ、知らない人が来ると、その辺の融通が利くかどうか分からないんだよね」


 この丁寧な説明に、少女の方も是非はないようだ。

「それは……確かに、その方がいいかも……」

「うん。じゃあ……とりあえず、その前段階までをお願いしてもいいかな?」


 と、一琉が再びその件を頼んでいるが、少女の方はそもそも自身の携帯端末を持っていない。そこで彼の持ち物を何気に確認していたのだが、どこにもそれらしい物体は見つからなかった。


「……あなたのスマホって、今どこにあるの? 手ぶらに見えるんだけど……」


 そんな風に、小さく戸惑いながら聞いている。すると、一琉はなんとか自分の首を動かし、この駐車場の端へと視線を向けていた。


「……あそこに落ちてるボディバッグの中。この現場に飛び込む寸前、咄嗟に置いてきたんだ。壊れたら困るからね」

「あ。あれだね」


「とりあえず、その中にあるスマホを自分の口元まで持ってきてほしい。色々と手数を掛けて申し訳ないんだけど……」


 と、一琉が思わず恐縮をしている。お互い、無傷ではないことも充分に分かっているからだ。ただ、一方の白菊も確かに足を負傷していたものの、彼の状態よりかは遥かにマシだった。


「分かった。ちょっと待ってて」


 少女は素直に応じると、なんとか向こうまで這って行こうとする。だが、その前にふと何かに気づき、改めて一琉の顔を覗き込んでいた。


「……それで? なんていうの?」

「ん? 何が?」

「あなたの名前。間接的に聞く前に、直接聞いておこうかと思って」


 この発言に——

「——!」

 一琉の方も、ようやく気づく。まだ、お互いに名前も知らなかったことを。そこで、自らが先に名乗った上で、少女の方にも問い返していた。


「自分は……久比川一琉。君は……?」


 ただ——

「——ッ!」

 そこで何故か相手が動揺して、視線の方を逸らしてしまう。

「……?」

 その妙な反応に一琉が首を傾げていると、少女が小さな声で告げていた。


「……私は……白菊。そう……白菊です……」


 だが、その口調が少し前の敬語に戻っている。一方の一琉はこの微妙な変化に小さく戸惑っていたが、とりあえず確認の方を優先していた。


「それって……下の名前かな? それとも……?」

「……私は……白菊です。それ以上でも、それ以下でもありません……」

「そう……なんだ」

「はい……」


 そんな小さな返事をしたあと——

 少女は何故か神妙な面持ちになって、そのまま沈黙してしまう。なんにせよ、一琉は一連の反応を見て、どこか寂寥感せきりょうかんに近い感情を覚えていた。


 先程までのように、生死を共にしても——二人の間には、まだ距離があるらしい。その事実にもどかしさを感じていたが、だからといって相手の事情に深く踏み込むべきではないとも感じていた。


「……そっか。分かった……」


 それだけ呟くと、ここで改めて白菊に前段階の件を頼む。一方の少女もそれには素直に応じており、意識を切り替えながら駐車場の端へと這って行った。


 その後、すぐに戻って来た白菊に介助をされながら、一琉はHESへと連絡を入れる。すると、しばらくして彼の希望通りに香久山がやって来ていた。


 また、バグ・キメラの処理班も同じタイミングで現着をしている。ただ、一琉達の存在は特に気にしておらず、そのままトラックの荷台にモンスターの死骸を淡々と積み込んでいた。


 そんな中、香久山が横たわったままの一琉の傍で腰を下ろす。次いで、半眼になりながら口を開いていた。


「なんかさ。二回目だよね? 今日、君の処置をするの」

 開口一番の、このとげのある声。それに、一方の一琉は気まずそうに視線を泳がせている。

「……そうかもしれませんね……」


「てゆーか……私、ちょっと前に避難しろって言わなかった? なんで、あのバグ・キメラと対峙してたの?」

 と、香久山がモンスターの亡骸なきがらに視線を向けながら聞くと、一琉は白菊の存在を意識しながら答えていた。


「……全部、成り行きですよ。この辺でこの子が襲われてるって気づいたから、無理やり割り込んで身をていしたんです。知ってると思いますけど、自分は条件付きの不死身なんで」


「そう言われてもねー。そもそも、どうやってこの現場のことを知ったの? あの路地からここまでって、だいぶ離れてるよね?」


 ただ、この問い返しに——

「……それは……」

 一琉は言葉に詰まってしまう。


 例のクエスト現象。それが、まだ終わっていないからだ。彼の頭の中には、確かに概念だけの道標が残っている。ここまで来て用意されている結末を見逃す訳にはいかないため、素直に答えることを躊躇していた。


 すると、ここで白菊の方も小さく首を傾げる。

「?」

 先程はそれどころではなかったが、今は状況の方が落ち着いているため、少女も香久山の指摘が気になっている様子だった。


 その一方——

「……⁉」

 一琉は白菊からも疑念の眼差しを向けられ、さらに困惑している。ただ、ここで香久山が急に面倒になったらしく、些末なことは全て棚上げにしていた。


「……まぁ、いっか。この子が助かったことは、事実のようだし」


 この言動に——

「——!」

 一琉が小さく安堵をしている。一方の白菊は少し釈然としない表情だったが、これ以上踏み込んで聞くつもりはない様子だった。

 

 その後、香久山が早速仕事に取り掛かる。彼の方は放っておいても特に問題はないため、まずは少女の方から治癒を行うことにしていた。



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