第二話 どら猫現る

梓希が階段を早足で降り、玄関付近に備え付けられたインターホンの通話ボタンを押した。


「はい、うちの調査所」


念の為仕事の時の硬めな口調に切り替える。

その声はしっかりとインターホンを押した人物に聞こえたらしく、どこか慌てた様子の中年くらいの女性の声が届いた。


「梓希ちゃん大変大変!」

「シズさん?何かあったの」

「あったの!とにかくちょっと外出てきて!!」


興奮した声に交じった意味深な言葉に、梓希は首をかしげつつも言われるがままサンダルを履いて外に出る。

ドアを開け振り向きざまに映と示の姿が見えて、梓希は二人に声をかける。


「示、映。一応お前らも一緒に来てくれ」


その言葉に示は『はいッス!』、映は『了解!』と、どちらも元気よく頷いた。


梓希が外に出ると同時、落ち着かない様子の小太りの中年女性――シズに腕をつかまれる。


「梓希ちゃんこっちよ、こっち!」

「いや、ちょほんとに何があったの?!」


引っ張られた勢いで走る事になり、梓希は急な運動で息切れしつつも状況を把握しようとシズに問う。

するとシズは


「どら猫が出たのよ!」


と、荒い息になって叫ぶように答えた。


「どら猫ぉ?え、何『とんでもないの』ってもしかしてそいつのこと?捕まえろって事?」


梓希は先刻のシズの言葉を出してさらに詳しい情報を聞き出そうとする。


「そういう事!今日あたしンとこの干物屋で出してたアジを盗み食いしてったやつがいてね、頑張って追っかけてたんだけどソイツその途中でもくさんの店でも焼き鳥盗んでったの」

「もく爺まで被害あってんの?あの人の店、見張りの犬の見た目でだいたいの盗人だのどら猫だの寄りつかねぇのに」

「あのどら猫それが効かないタイプみたいなの!」


話を聞くに、どうやらどら猫とやらの被害に遭ったのは、シズの経営する干物屋ともく爺と呼ばれる元露天商が店を構える焼き鳥屋とのことだった。

依然として荒い息になっているシズではあるが、走っているうちに身体が慣れてきたのか前よりも聞きやすい声で説明をしていた。

それを聞いて、梓希は内心で他の店にも被害が及んでいる可能性を考えながら走る。

それから梓希とシズ二人分のサンダルが地を蹴る音がゆっくりになっていったのは、ほんの数十秒後の事。

四番通りの店が集まる所――結び糸商店団が見え始めると、梓希達に手を振っている老人がいた。


「シズさん〜、梓希くんも来てくれ〜!」


老人は小さい背丈ながらも精一杯腕を上げて手を振り、出せる限界ギリギリの大きな声で梓希達を呼んでいる。その老人こそが焼き鳥屋のもく爺である。


「もく爺!どら猫って一体……」

「あそこじゃ、あんなとこ登られたら流石の儂でもどうしょうもない」


速度を落としてもく爺の前で止まれば、彼はすぐさま自分達の後ろ――――シズさんの干物屋の瓦屋根を指差した。


「それ俺だって無理なやつでは……?」


疑問を口にしつつも瓦屋根の方を見る。

そこで、


「――――――なんじゃそりゃ」


と、ひどく驚いたような声を出した。

途中からもく爺達の話を聞いていた示と映も同様の顔をする。

三人、もく爺達を含めれば五人の視線の先。

瓦屋根に登っている『泥棒猫』は四つん這いの形で白色の体を支え、長い尻尾を揺らめかせ猫耳を平べったくさせていた。

縦長の瞳孔もしっかりとこちらを睨みつける。

ただそこに、一つだけ普通の猫と異なる要素があった。

最初『どら猫』と聞いて梓希は単なる野良猫を想像した。

干物屋や焼き鳥屋を狙う猫なら、おおかた腹が減っていたやつで捕まえたあとに餌でもあげれば万事解決。

けれども、混交街では猫を捕まえるのですらそう簡単にはいかない。


視線の先にいたのは。




「フシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウァ…………」


威嚇の声を上げ、牙をちらつかせる猫。

ただ、その姿はどんな人でも最低二度見はするくらい現実離れしている巨体。

ずんぐりむっくりにも程がある、あまりにも巨大な化け猫だった。


「……シズさん。一応聞くけど、アイツもしかして元々あのでかさ?」


困惑でどら猫を指した指を震わせて梓希は問いかける。


「違う違う!あたしが見つけた時はあそこまでおっきくなかったわよ。こんくらいだったわ」


首を大袈裟に横に降って答え、シズは手で三十センチ程の楕円を描くジェスチャーをした。

今目にしている化け猫と比べると小さい。おそらく威嚇のためにいるのだろう。


「て事はでかく化けたって事になるのか……。にしてはよく瓦屋根崩れないな」

「そこ気にしてる場合じゃなくないッスか?!」


気が動転しているらしい梓希の発言に、先刻まで隣で唖然としていた示がツッコミを入れた。


「え、でも気にならない?」

「なりますけど!今はそれより捕まえないとッスよ」


思考が化け猫の大きさに耐えられている瓦屋根に囚われた梓希を、示は肩を掴み前後に揺らす。

結構な力で揺さぶられているからか、梓希は声にならないような声を出し最終的に「分かった、分かったから」と示を止めた。



「……つっても、アイツどうあそこから降ろす?下手に刺激しないほうがいいと思うんだけど」


軽く首を傾げてどら猫を見つめる。

どら猫もこちらを見ており、毛並みがそよ風に吹かれてわずかに動く。

時々視線を左右に動かして、示や映の方も見ていた。

互いに大きな動きを見せず、数秒が経つ。

ふとその時どら猫と目が合って、梓希は嫌な予感を感じた。

どら猫の瞳孔、縦長だったそれはゆっくりと幅を広げいつしか綺麗な円になる。

そして尻尾の方をフリフリと動かしだしたのに気づいて、思わず梓希は一歩後ずさる。


が、時すでに遅し。


どら猫は突如瓦屋根を蹴ると自らの体躯を全く考えず梓希に飛びかかる。


「ぶな――――――ぉ」

「ぐべふぁっ?!」


どむ、と効果音さえしたような衝突。

周りにわずかに煙が舞っていたのは、煙羅煙羅と人間の半妖である梓希が衝撃を分散させようと体を煙にしたからだろう。

どら猫は梓希を下敷きにすると、体を数回り小さく変えてからくるりと向きを変えて商店団の道を駆けていった。


「だ、大丈夫ッスか梓希さん」


示のすぐ近くには人の形になりつつある煙の塊、即ち梓希の姿がある。

幸い梓希はすぐに煙から人の形に戻り、呆然と仰向けで天を見上げていた。

示は倒れたままの梓希を引っ張り起こす。

ふらつきながらも立って、両手で服についた砂ぼこりを払うと、ため息をついてどら猫が逃げた方を見る。

そして、



「アイツ絶っ対ぇとっ捕まえてやる……」



と、怒りをしっかり燃やして拳を握った。


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うちの調査所営業中。 椿カルア @karua0222

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