第27話


 名古屋に戻った私はちゆうにち新聞での仕事に次第に打ち込むようになっていた。組合運動の鈍さなどほつかいタイムスとは異なる風土に戸惑いはいまだあったし、高校三年から目指して通り抜けた北大柔道部の残照を夜の夢に見ることがあったが、それでも日々に何とか埋没しようとした。

 北大で学問をしなかったこと、それによって動物学の分野に進まなかったこと、そういったこともときに頭をよぎった。しかしジャーナリズムの世界に操舵を切ったのは自分であるし、ここは根を詰めて編集の仕事を身につけようと思い始めていた。一般紙と違いスポーツ紙の編集はレイアウトが複雑でしかも本格的なカラー技術も必要だ。その煩雑な仕事を覚えていくのが少し楽しくなっていた。スポーツ総局内に多くの運動部経験者が集まっていることも私を楽しくさせていた。

 また、少しずつ金を貯め、春日かすが市の実家を出て名古屋市内のマンションで一人暮らしするようになったことも気持ちの整理に役立った。昼まで眠って夕方出社し、社員食堂で夕飯のような朝食をとって仕事をする。深夜一時に仕事を終えて帰りに飯を食い、毎日レンタルDVD屋で映画を二本か三本借りて一人で部屋で観た。

 そのあと、取っている日刊スポーツとスポニチを読み、早朝のニュース番組をテレビで見て自分の作った紙面の反省をして眠る。休日はふんだんにあるので読書時間も確保できた。北大柔道部の四年間で火照っていた身体と心が少しずつ静まり、腰や足首、手首などの痛みや膝のロッキングに柔道をやっていた記憶が重なるくらいで、私は日常生活に戻ろうとしていた。右大胸筋の肉離れには相変わらず苦しめられ、最終版の忙しいときには痛みでペンが動かなくなってしまうこともあったが、テーピングとアイシングでしのいでいた。

 新しい『北大柔道』は繰り返し読んだ。岩井監督や佐々木コーチの言葉、現役部員たちの声、繰り返し読んだ。しかしもっとも数多く捲ったのは、主将だった吉田寛裕が寄稿した『大陸制覇』という長文であった。四百字詰原稿用紙換算で五十枚くらいあろうというその長大な文章には、長さだけではなく密度も濃く同期や後輩たちのことがびっしりと感謝をこめて綴られていた。なにより最後の締めが北大柔道部に学生生活すべてを捧げた吉田らしい言葉で、その部分を読むたびに私は泣き、身体はしびれるような感動に包まれた。

 これほど美しい文章の終わり方を、私は小説や詩、世界のあらゆる名作といわれる作品にも見たことがなかった。吉田はまさに北大柔道部と完全に一体化しており、彼の存在そのものが、彼を知る私たち近々の先輩のすべての理想を具現化したものだった。

 吉田の書いた『大陸制覇』という長文の最後は、まるで夜、北大柔道場の天窓に瞬く北海道の星々のような美しい光を放っていた。

《恐らく歴代の先輩方もそうであったように、俺達の代も純粋に強くなろうと入部した柔道部ではあるが、周囲で恋にバイトにバイクに自由にはしゃぎ回る友人に劣等感を感じたり、留年したり、家族に不幸が起こったり、就職活動をしなければならなかったりと様々なことが起こり、最後には、初めの純粋で希望に満ち溢れた志しをもつて部活動を送ってきた者は果して何人いただろうか。しかし様々な環境と個性を持つ迷える猛者達が、七帝戦優勝を合言葉に完全に心が一つとなった瞬間は確実に存在した。俺はこの比類のないくらいに美しく尊い瞬間を色あせたものにしたくなかった。それでここに記しておく。このひたすら長く拙い文章を岩井監督、佐々木コーチをはじめ北大柔道部を心から愛する者と、これから愛するであろうまだ見ぬ後輩達に捧げたい》


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七帝柔道記Ⅲ 友たれ永く友たれ 増田俊也/小説 野性時代 @yasei-jidai

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