第19話


 十一月の頭に北海タイムスに退職願を提出し、十一月末で退社することになった。

 そこから苦しい時間が続いた。

 多くの者が私を避けるようになった。

 誰にも迷惑をかけているわけではない。自分の努力で、自分の力で新しい道を切り開いたのだ。私は噓を言うことができなかった。

「中日新聞社に行きます」

 噓を言うと、辞めたあと、もうこの人たちと付き合えなくなると思ったのである。

 他社に移っていった人たちはみな噓を言った。

 いわく「母が倒れたので辞めて介護をする」。いわく「実家の文房具屋を継ぐ」。いわく「トラック運転手になる」など。

 しかしみな、翌月から朝毎讀の北海道本社や共同通信社などで働いていた。遺された私たちは裏切られた屈辱に歯を嚙みしめた。だから噓を言ったら、もうタイムスの仲間と付き合えないと思ったのだ。しかしほんとうのことを言ったら辞めるまで人間関係で苦しまねばならない。

「おまえには失望したよ」

 自動車部の人には、はっきりそう言われた。

 私をすごく買ってくれ、会うたびに笑顔になって強く肩をたたき、声をかけてくれた。そして「増田はいい。あいつは将来、うちを背負っていくはずだ」とまわりに言ってくれているとも聞こえてきていた。

 私はたまたま別件で開かれた編集局の会議でも、中日新聞社に移ることを話した。「もうここの経営陣に期待はできない」と理由も言った。言いながら胃が強く痛んだ。それでも表に感情を出さぬよう淡々と話した。

 最後の勤務日は緊張しながら仕事をした。先輩たちはうつむいていて私に声をかけてくれなかった。深夜、仕事を終えて「お世話になりました」と一人ずつ声をかけて御礼を言った。

「頑張れよ」

 みんな顔を引きらせてそう言った。萬田さんや秋馬さん、多々良には個別に会ってじっくりと話した。三人とも寂しそうに肯いてくれた。

 結局、三十代の先輩が「俺もちょうど帰るから金不二へ行こう」と言ってくれた。二人で寒いなかを背中を丸めて歩き、金不二へ入った。

 先輩は潤んだ眼で言った。

「いつか出世したら、おまえがこの会社を買い取ってくれ。待ってるぞ」



「四月から入社したい」

 私は電話で希望を伝えてあったが、中日の人事部次長は「一月一日から来てくれ。現場にそう約束してあるんだ」と言った。私としては三月いっぱい、海外へ行ってさまざまな国を巡ってみたいという気持ちがあった。問題は金だが、百万や二百万なら中日へ移ればすぐに返せるのだからサラ金から借りたっていい。

 しかし人事部次長は「現場が早く欲しいって言ってるんだ」と繰り返した。

「現場現場って言いますけど、もしかして部署がもう決まってるんですか」

 私がいぶかしむと、人事部次長は小さく咳払いした。

 そして、まわりに聞かれたくないのか声を抑えた。

「ほんとは言ってはだめなんだが、中スなんだ」

「チュウス?」

「中日スポーツ総局だ。名古屋本社の中日スポーツ総局だ」

「そうですか……」

 少し拍子抜けしたが、いろいろな種目の取材を経験できそうだ。それにこちらから人事の希望など移ってすぐに言えるわけもない。

「それでな……整理部なんだ」

「え?」

「中日スポーツ総局の整理部なんだ。いいか……?」

 また整理部の地獄、つまり仕事ができれば外への異動が難しくなり、仕事ができなければ外からの異動の声がかからなくなるというジレンマに陥ってしまうのか。

「いいかい。それでも?」

 人事部次長がまた言った。

 私は黙っていた。嫌だと言えるわけがない。しかし、ただ整理部だからとか中日スポーツ総局だからとか、それだけの理由でここまで申し訳なさそうにするだろうか。そもそも巨大な一流企業なのだから「入れてやる」くらいの態度でもいいはずだ。

「俺の顔をたててくれ」

 人事部次長が言った。

「中スの整理部長がどうしても欲しいって言うんだ。あの人、言い出したら聞かないんだ。わがままなんだ」

 北海タイムスで整理部長兼編集局次長の萬田さんにつかまったのと同じパターンなのかもしれない。

 結局、一月一日の人事発令を受けることにし、一日は休刊日だから二日から出社することになった。

 人事部次長が言った。

「午後二時に人事部に顔を出してくれ。いくつか書類をいまから封書に詰めて送るから明日、いや北海道だから明後日か、着くと思う。それに記入して送り返してくれ」

 札幌を発つまでの数日間、小晴に手伝ってもらって段ボールに荷物を詰めた。柔道衣は二着を捨て、一着はまだ持っていた。しばらく考えてそれも段ボールに詰めた。段ボールは十一箱になった。ほとんどが本だった。学生時代に住んでいたひがし区のアパートから引っ越す際に本はずいぶん捨てたがまた増えてきていた。

「いつか迎えにくるよ」

 そう言ってやりたかったが、心にもないことを言って彼女を惑わせたくない。

 いろいろな意味でいま、中途半端だった。名古屋に行くといっても実家である。ひとりで名古屋市内に住みたいが、その金がないのだ。札幌の敷金は一カ月分が相場で礼金はないのが通例だが、名古屋は敷金と礼金で八カ月分くらい取られる。しかも家賃自体が札幌よりかなり高い。

 最後のボーナスが振り込まれたが七万一千円ちょっとだった。そこに北海道特有の《暖房手当》というお金が二万五千円プラスで乗せてある明細が何だか物悲しかった。すでに窓の外にはたっぷりと雪が積もっており、今日も吹雪いていた。

 いよいよ札幌を離れる日になった。

 小晴は地下鉄のホームで意を決したように腕を組んできた。私もそれを振りほどかなかった。札幌駅でウィスキーの小瓶を二本買い、JRに乗り換え、二人で飲みながら新千歳までくだらない話をした。暖房が効きすぎて頭がぼうっとしていた。

 空港の喫茶店で向き合うと小晴が泣きはじめた。私は黙って見ていた。

「別れるわけじゃない。まずは名古屋に行くことから始めないと」

 飛行機が飛び立つと、白い景色が小さくなっていく。見ているうちに静かに涙がこぼれてきた。こんなはずじゃなかったのだ。私は北海道にいたかったはずじゃないのか。



 名古屋空港にはもちろん雪がなかった。入社試験を受けているときはまだ札幌が根雪になっていなかったからあまり違和感がなかったが、雪景色から一時間四十分のフライトでいきなりアスファルトと土の世界に降り立つと、さまざまな生活のにおいがした。試験のときとは違うのだ。用事がなければ札幌に行くことさえない。私にとって札幌と名古屋は裏表の関係だった。写真でいえばネガポジの関係である。

 空港には父親と妹が迎えにきており、笑顔で歓迎してくれた。

 家までの車中、妹はべらべらとしやべり続けた。

 四匹いる猫の話、新しく飼ったへいぞうという名の秋田犬の話、自分が通う大学の話。いろいろだ。不思議な気分だった。北大に合格して名古屋を発ったときに飼っていた猫が四匹ともまだ生きていて普通に家で暮らしている。三十年くらい札幌で暮らした気分でいたが、よく考えれば六年しか経っていなかった。自分の人生どころか、世界の捉え方、さらには時間感覚まで根こそぎ変わっていた。大森一郎やゴトマツを入部させたとき「人生が劇的に変わるぞ」と誘ったが、まさに自分の人生も劇的に変わっていた。景色も、父も、妹も、以前のようには見えなくなっていた。少し不安になってきた。

 その日は母がすき焼きを用意してくれていた。

「よく帰ってきたな」

 父が嬉しそうにビールを注いでくれた。

 違う。帰ってきたわけじゃない。たまたま中日新聞しか受けられなかったんだと言いたかったが黙っていた。俺は雪で凍ったアスファルトが好きで、小粒の硬い雪が横殴りに顔を叩く吹雪が好きで、かじかんだ指の感覚が好きなんだ。

「給料もよくなって安定するし、これで一人前になれる」

 父がそう言ってまたビールを注いでくれた。

 違う。俺は安定なんて求めていない。

 従弟妹いとこが二人来ていて、一緒に食べながら北海道のことを質問責めにしてきた。ビールでは満足できず、父親のサントリーウィスキーを水割りにして飲んだ。午前二時すぎまで妹と居間でくだらない話をし、座敷に敷かれた布団で寝た。あたりまえだが私の部屋はなかった。

 翌日、正午前に起き、妹にJR春日かすが駅まで送ってもらって鉄路で中日新聞社へ向かった。

 人事部に顔を出し、人事部次長に声をかけると「おう。来たか」と脇の黒いソファに座らされた。二人で向き合った。

「これだけしか出せないけど……」

 人事部次長が少しちゆうちよしながら差し出した紙には年収の概算が書かれていた。六百五十万円近かった。もしかしたら私が大学中退なので計算の上で同年齢の大卒記者より少し少なく、それを申し訳なく思っているのかもしれない。しかし私の北海タイムスでの年収は百九十万円台だった。一夜にして年収が三倍以上になったのである。かなり嬉しかったが顔には出さなかった。

「ありがとうございます。誠心誠意、頑張ります」

「おい君、酒を飲んでいるのか」

 唐突に言われた。驚いた。

 人事部次長とはテーブルを挟んでソファで向き合っている。そこまで臭うのだからそうとう酒くさいのだ。私はウィスキーの瓶をJRと地下鉄、両方でラッパ飲みしながら会社に来ていた。着いたときにちょうど飲み干したので、玄関ホールのゴミ箱に空き瓶を捨てて人事部に来たのである。

 そもそも社会人になってから毎日飲んでいたのに、市原慶子と別れてから酒量が増え、北海タイムスを辞めて他社を受けることを決めてからさらに増えていた。女を裏切り、会社を裏切っている。大きなことを言いながらつらい場所から逃げている──それに自分で気づいていて、どんどん酒量が増えていた。そこに七帝戦の最後の試合での情けなさがおりのように沈殿していた。そういったことを私はひとつも小晴に話さなかったし、小晴に話さないということは他の人にも話さない。つまりひとりだけで考え続けていた。

 自室でものべつまくなし飲んでいたので小晴は心配していた。しかし小晴も酒を扱い、酒を飲む仕事である。だから注意はしても、私が嫌な顔をすると黙った。

 一日中、酒を飲むようになっていた。アルコール依存症という病名がつくかもしれないな。自分でもそう思っていた。

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