俺がそばで見ててやるから〜岩田屋葛藤憚①〜

倉木さとし

【守田】01 男の世界に憧れて

「わかってるよな? てめぇらが、殴られても仕方ねぇって? そーしねぇと目覚めが悪いだろ?」


 岩田屋いわたや中学校の野球部の部室に乗り込むなり、中谷勇次なかたにゆうじは啖呵を切った。

 部室にいた総勢十名以上の部員たちの大半が、ぼんやりとした表情を浮かべているだけだった。

 勇次は手近の部員の眼鏡を奪い取ると、守田裕もりたひろしのほうに向かってポイっと投げ捨てる。


 ――眼鏡外せ、顔面殴ったる。


 守田にムカついた勇次が、よく口にする言葉を思い出した。

 宙を舞う眼鏡を守田が難なくキャッチしたところで、勇次のげんこつが眼鏡を外した部員の顔面に叩きつけられる。

 部員は受け身も取れず、ロッカーにぶつかった。


「おいっ! 腑抜けてんじゃねぇぞ。俺はお前等に喧嘩売ってんだよ」


 生贄が一人では足りないのならばと、勇次は蹴りを披露する。

 平均的な身長の部員ならば鼻を潰せていたほどに高い位置へのキックだった。でも、狙ってしまったのは一番背の高い部員だった。おおかた、靴の底を叩き込める位置にいたからという単純明快な理由で攻撃相手を選んだのだろう。

 結果的に、肺の空気を吐き出させるだけで、沈めるには至らない。逆に、蹴られた部員から反撃を食らう。子供が癇癪を起したような出鱈目な叫び声をあげて、勇次に食ってかかってきた。

 それに続いて、他の部員も勇次に向かった。

 数で来られれば勇次に勝ち目はなかった。殴られ、蹴られ、汚い床に転がる。しかし、勇次は止まらない。

 すぐさま体勢を整えて、身近にいる部員を殴る。


 混戦になった部室の入り口で、守田は勇次に加勢することなく見守っていた。守田が勇次の仲間なのはあきらかなのに、誰も殴りかかってはこない。

 殴り込みをかける前の勇次と守田の予想通りの展開だった。部員たちはボコボコに出来る相手にしか挑まないようだ。

 なるほど。弱さを言い訳にするのが染み付いているのも間違いない。だから、野球部全員で、誰も躊躇うことなく二年生の井手先輩をリンチできたわけか。


 井手先輩はピッチャーの才能もある四番バッターだった。その才能は、喫煙で停学し、高校の推薦枠を煙のごとく消してしまった三年生によって、理不尽に潰されてしまった。何かを台無しにする才能に秀でた連中の腹いせは、悪行以外のなにものでもなかった。

 三年生はまず、井出先輩以外の全ての部員を恐怖によって手懐けていった。そして、下級生への暴力による支配へと広がっていく。

 人間が家畜になりさがる過程を知った際の守田は、同情の余地はあると思ってしまった。

 リンチにかけるのは、もちろん悪い。けれど、その状況では仕方がないのではないか。二年生、一年生の部員も被害者であると思った。それほどまでに、三年生の、とくに梶原富也かじわらとみやの支配は執拗で容赦がなかったのだ。


「お前ら。ぶち殺す人間を間違えてんじゃねぇぞ! リンチすんのはどー考えても三年生共だろうがぁ。誰かに助けられんの待ってんじゃねぇ」


 一人の部員がその場で泣きだした。勇次は抑え込む三人の部員を振り払って、嗚咽を漏らす彼の泣き面を蹴り飛ばした。


「弱けりゃあ、何でも許してもらえる訳ねぇだろっ!」


 部室の床に転がった部員は起き上がると、勇次に飛びかかった。

 勇次は犬歯を向き出しにして乗っかってきた部員の頬に拳を埋める。部員はその上で、勇次の顔に拳を振る。


「わかってんだよぉ!」


「わかってて出来てねぇーじゃねぇか。ボケ!」


 中谷勇次は、救いようがない馬鹿だ。

 清々しいほどに大馬鹿野郎だ。

 勇次はこの期に及んで、部員たちは殴られることで目が覚めると信じている。改心すると期待を寄せているのだ。


 勇次は拳で語る世界にいる。

 一見単純に見えるけれど、実は複雑なコミュニケーションの世界に惹かれつつあった。

 でも、そんな世界に憧れを抱くな。

 人生最大の汚点となるぞ。

 当初の予定通り、頃合いを見計らって教師を呼びに行く役割に徹しろ。

 などと自分に言い聞かせている時点で、守田も男の子なのだ。


 何人目、何回目かもわからないが、部員が勇次を背後から殴ろうとする。

 きづけば守田は、そいつに向かって、ドロップキックをかましていた。

 なんで、ドロップキックなんていうプロレスの空中殺法を選んだのだろう。

 攻撃が成功しても、守田は床に倒れるように落ちてしまう。

 倒れた勇次が、好き放題に殴られて蹴られる姿を目の当たりにした直後だったのもあり、身体を丸めて亀のように防御に徹する。


 様々な角度から衝撃を受ける。

 だが、思っていた以上に攻撃の数は少ない。自らの頭を守っていた腕に隙間をつくる。

 血を流しても戦い続ける勇次を下から観戦する形となった。守田に襲いかかろうとする連中を優先して、勇次は拳を振るう。

 やめろ、そんなのらしくねぇぞ。

 決して手を差し伸べはしないその背中に守田は鼓舞される。

 自分の戦いに集中できなかった勇次が膝をついたタイミングで、守田は立ち上がった。


「おれの立ち位置を、足手まといの特等席にするつもりはねぇからな」


   ∀ Ψ Ո  ∀ Ψ Ո  ∀ Ψ Ո


「授業中、携帯いじってたみたいだけど。勇次の居場所、わかったの?」


 クラスメートの田中たなかあずきは、休み時間の度に同じ質問をたずねてくる。守田の回答も、残念ながら同じものとなる。


「色々と目撃情報は入ってきてるけど、確定情報はねぇな」


 守田は人脈を全て駆使して、勇次の情報を集めている最中だ。仲のいい友達だけでなく、因縁のある梶原富也なんかにも情報はないかとあたっている状況だ。

 だが、敵味方関係なく、ダメ元で力を借りようとしたのは、考えなしの行動だったなといまは反省している。

 勇次と敵対していた連中の情報は、真偽がハッキリとしないのだ。あいつらの情報をまとめると、勇次は同じ時間帯に別の場所にいるなんてことがざらにある。


「そっか。わかった。あ、いや、別に残念とかじゃないから。そもそも、私じゃなくて、矢山行人ややまゆきとさんっていうお隣さんが勇次に用があるだけだから、変な勘違いしないでよね。ちょっと、なんでニヤニヤしてるのよ」


 最終的に怒りながら、あずきは自分の席に戻っていく。乙女が片意地をはっている。横目で勇次の席を見た瞬間に、寂しそうな表情になるのは、そういうことだろ。

 気分転換が必要だ。今度は守田があずきの席に移動する。


「なぁ、あずきちゃん。ジュースでも買いにいかねぇか?」




 四階にある三年二組の教室から、一階の渡り廊下の自販機地帯に移動するまでの間に、守田とあずきは岩田屋高校の話題の中心を何度も耳にした。


「どうやら、校舎の中にタヌキが入ってきたみたいね」


「そんなしょうもない話題で盛り上がれるなんて、幸せだな。別に騒ぐようなことじゃないだろ。岩田屋高校なんて、槻本山つきもとやまのお膝元ともいえる田舎の高校なんだからよ」


「一度や二度はタヌキを見たことあるよね」


「どうせ紛れ込むならば、もっとレアなものがいいよな」


 守田的に興奮するのは、全裸の美女の徘徊だ。さすがに、チンピラの勇次でも、全裸の美女にはテンションを上げて、どこからともなくやってくるかもしれない。


「あ、そうだ。勇次の好きなUMAとかが学校に紛れ込んだら、あいつ走ってやってくるかな?」


「UMAの場合だと、そのまま、追いかけてどこか遠くまで行きかねんぞ」


「あ、いるじゃん」


「いるって――ああ、勇次じゃなくてタヌキかよ」


 渡り廊下のベンチに腰掛けている女子たちにタヌキは餌付けされていた。


「チョーかわいい」

「もぐもぐもぐもぐ食べてる」

「きゃー。もふもふしてるんですけど」

「うんうん。人懐っこいよね、このコ」


 守田は寒気を覚えた。迷子の動物を可愛がることで、彼女たちは自分たちの魅力が上がるのを知っている。

 だが、それは女子だけでなく男子でも使えるテクニックだ。守田のように、茶髪で耳にピアスを開けているようなチャラい感じならば、更に効果が倍増するだろう。

 そんな邪な気持ちを察したのか、女子の一人がタヌキを抱きかかえた。

 パニック映画のエキストラのように、彼女たちは渡り廊下から全速力で立ち去っていく。

 ベンチの前にはタヌキがかじったパンや、弁当箱の蓋の上に盛られた可愛らしいオカズだけが残った。


「もしかして、おれがタヌキを利用して、ギャップ萌えからモテようとしたのがバレたのかな?」


「そんなこと考えてるとか、わかるわけないでしょ。立ち去った女子ばっかり見てるせいで、まだ気づいてないんだね」


 自販機に用事があるのに、あずきは渡り廊下から飛び出した。向かった先にいるのは猫背の――


「なんだ、勇次のやつ生きてたのか」


 勇次も迷い込んだタヌキと同じで、学校にいるのが似合わない姿だ。TシャツにGパンという私服での登校だ。


「我が道を突き進みすぎだろうが」


 あずきに何かを言われながらも、勇次はズボンのポケットに手を突っ込んだまま歩き続ける。

 ジュース一本ぐらい奢ってやろうかと思って、守田は財布を取り出す。財布の中の十円玉を一個ずつ自販機に投入していると、勇次の声が聞こえてきた。


「矢山行人? 誰だよ、それ。知らねぇな」


「とにかく、勇次に会いたがってるのよ。時間つくってあげてよ」


「そんな暇ねぇよ」


 自販機の商品ランプが点灯しているのに気づくなり、勇次は躊躇いなくカルピスソーダのボタンを押した。


「ちょっと、アンタは何をナチュラルに買ってるのよ?」


「あとで守田に金かえせばいいだろ。いま、財布持ってねぇんだ」


 缶のプルタブを開けながら、勇次は自販機にもたれかかる。


「いまにも倒れそうアピールかよ? 心配してほしいのか?」


「いらねぇよ。なんか食ったら回復するだろうからよ」


 口の端を釣りあがらせると、カサカサに乾いた勇次の唇が割れる。飯はおろか水分補給すら、ろくに出来ていなかったようだ。


「優子さん、まだ帰ってきてないの?」


 あずきの質問には押し黙ったままで、勇次は表情を強張らせた。

 割れた唇から、真っ赤な血が流れる。口元を拭ったあと、地面に赤い唾を吐き捨てる。その唾を踏みつけるように歩を進め、勇次はタヌキに献上された餌の前で膝をつく。

 そして一心不乱に食べはじめるものだから、あずきがあたふたする。


「なに考えてるのよ、馬鹿勇次。お腹空いてるなら、私のお弁当持ってくるから、待ってなさい」


 どこか嬉しそうに、乙女は走っていく。その背を一瞥することもなく、勇次は野性的に餌を食べ続ける。


「あずきちゃんを追い払うために拾い食いしたのなら、もう十分だぜ?」


 伝えるのは別に遅くはなかったはずだ。なのに勇次は、拾って食えるものを全て腹の中に入れていた。


「実はよ。守田に力を貸してほしいんだ」

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