【守田】19 人は曖昧を崇める
夜の木々が生い茂った山の中で、勇次は田宮に向かって歩を進める。
とはいえ、微調整には守田のナビが必要となった。異常が侵食し始めた瞳が、このときばかりは有り難い。
勇次の背中に乗っているので、守田は逐一、指示を出す。
「二歩、右。いきすぎた。そうそう。いま、踏まなかったか? それが田宮だ」
一歩だけ後退し、勇次は地面に向かって唾を吐き捨てる。
見事、田宮の坊主頭に汚い唾がはりついた。
「聞こえてるか、田宮? お前は漫画やアニメの見すぎだろ。なんか持ったら、いきなり最強になれるなんてあるわけねぇだろうがよ」
「ふざけんな。一発いれただけで、おれに勝ったつもりか?」
だらしなく倒れているくせに、田宮の口は達者だ。
そんな態度をとっていると、また無言のまま勇次に蹴りを入れられるぞ。
仕方がないので、勇次の背中から降りた守田が、代弁してやろう。せめて、田宮に覚悟する暇を与えてやろうではないか。
「おめでたい奴だな。なんで、一発で終わるって思ったんだ?」
田宮の両手首の上に、勇次がそれぞれ足を乗せる。力いっぱい踏みつけられて、どこまで田宮が耐えられるのか見ものだ。
「いいこと教えてやろうか。オレが思うにな。ザコはザコになる努力を知らず知らずのうちにしてるから、ザコなんだよ」
「中谷勇次先生が、ご高説を述べているぞ。田宮くんはどう思いますか?」
「いてぇよ。なんでだよ。認めねぇ――UMAころしを握ったおれは最強のはずなんだ」
「UMAころしだ? ご大層な名前の武器なこった。どっちの手に握ってるかオレにはわからんから、両方ぶっ壊せてもらうぜ」
守田の瞳は、誰が傷つく様子であろうと、鮮明にうつしだす。 ミシミシと音が聞こえてきたので、田宮から顔をそらしてしまった。
顔をそらしので見なくてすむと思っていたのに、知らぬ間に守田の視野角は広がっていたようだ。田宮の指が、あらぬ方向に曲がっている。見たくないものまで見えてしまう。
いまの守田の瞳ならば、骨の折れる音すらも漫画の文字みたいに視覚できそうだ。
メキメキメキメキメキ。
ボキッ。
「ああああああああああああああああがっだたあああああああ」
悶えながら、田宮が懸命に体をひねる。逃げ出そうとしているのだが、勇次は足にこめた力を緩めない。そのせいで、田宮の足は、ばたついている。
「おい、勇次。楽しんでるとこに水をさすようで悪いけどよ。UMAころし、だっけか? あの棒なら、もう地面に落下してるぞ」
記憶違いでなければ、勇次に蹴られた際に転がっていたはずだ。少なくとも、いま田宮は何も武器を持っていない。
「てことは、ようやく本題に入れるってことか。さっきの疾風さんの話なんだが、嘘なんだよな。おい?」
「あ? お前ら馬鹿なのかよ。おれに勝ったら、死んだ奴が生き返るって思ってんの? どんだけおめでたい思考回路してんだよ。川島の死体をいたぶれる立場になっても、おれの下僕たちは死んだままだったんだよ。つまり、わかるだろ?」
「嘘ばっかで飽きてきたぞ。だったら、オレらが納得できる証拠でも見せろよ、おい」
「証拠がないから信じないっていうんなら、真実に近づかないほうが身のためだぞ」
こればっかりは、田宮の言い分が正しいのかもしれない。
守田が田宮に言いくるめられそうになった時、勇次は不敵に笑った。
その笑みの理由が、岩田屋高校セイブツ部の部員である守田にはわかる。
「残念ながら、マウントはとれねぇぞ。こちとら、UMAを追いかけ続けてる部活動してんだよ。セイブツ部の部員は、ときには自分に都合のいい情報だけを信じるんだ。そうやって、無理矢理にでも理想をつかんできたからな」
守田が代弁すると、口下手な部長はどこか嬉しそうだった。
「じゃあ、まぁ。信じる信じないかはおいといて、オレの姉貴の話もきかせてくれよ」
残酷な嘘をつきつけても、希望を見出そうとするのが中谷勇次だと、田宮もわかった頃ではないのか。ならば、そろそろ田宮も真実だけを話すかもしれない。
「鉄の女、中谷優子か。おれは本当に手を出しちゃいないぜ。楽しむ前に、おれのチンコは使い物にならなくなってたからな。せいぜい、死んだダチたちが生で出してたぐらいじゃねぇのか。そうだな、や~ま~がイッてた程度じゃねぇか」
「せいぜい?」
勇次がぶち切れた。
「程度じゃねぇかって、たいしたことないみたいに言うなよ」
守田も怒りを口にした。
いまの二人の反応速度は、川島疾風が乗るMR2よりも速かっただろう。
嘘の話の中でも、中谷優子を傷つけられるのは許せない。
仮に、本当だとしたら――どうなるか、考えたくもなかった。
「ぶっちゃけると、おれは川島疾風よりも、女のほうに会いたかった。いかせまくって、おれなしではいられない体に調教したかった。ビッグマグナムが使えなくなっても、おれのテクならどうとでもなったはずだからな。あの鉄の女を。高校のときから、すかしていた中谷優子を、おれは、おれはっ!」
神の鳥が棲むと言われている槻本山の中で、見下している側と見上げている側には、とてつもない温度差がある。
同じ人間として、田宮が生を受けたことは人類史の汚点だと守田は考えた。
たった一人で、人間の品格が落ちてしまう。
誰彼構わず関わった人間を不幸にするだけの最悪な生物。
「そんな目に合わなきゃならないことを疾風さんや優子さんが、したっていうのか?」
「したね」
「お前、即答で嘘をつくのもたいがいにしろよ!」
自分でも驚くほどの大きな声だった。初恋の相手の優子や、男が惚れてしまう疾風の名誉を守るためには、どこまでも守田は熱くなれる。
「嘘じゃねぇよ。このおれ! 田宮様に逆らった当然の報いだ」
「ぶっ殺すぞ、この野郎」
怒りに任せて、守田は奥歯を噛みしめる。すると、守田の口の中で、音を立てて歯が崩れ落ちた。
あり得ない事態なのに、妙に冷静だった。
口の中の歯が邪魔で、喋りにくいと思うだけで、感想は終わる。
変化しているのは身体的な部分だけではなく、精神にも影響が及んでいるのかもしれない。
あるいは、自分のことすらも、いまこの瞬間はどうでもいいだけか。
疾風と優子が、もはやなにも出来ない存在になったのだとすれば、生きている守田が代わりにできることは、なんでもいいからしてあげたかった。
だが、歯が生え変わっている最中の口では、うまく喋れそうにもない。
「ふざけんなよ。お前、自分が悪いと、この期に及んで思っちゃいねぇのか?」
別に守田が喋れなくても同じ気持ちの勇次がいれば、問題はなかった。
「おれが悪い? 意味わかんねぇこというなよ。悪いのは、お前らだろ」
折れ曲がった人差し指で、田宮に指差された。
地べたに寝そべっている奴が、立っている奴を見下すなんて不条理を、簡単に田宮は引き起こせるようだ。
「考えりゃわかるだろ。喧嘩を売る相手をまちがえたのがいけないんだ。おれのプライドを傷つけておいて、ただで済むわけないだろ」
「そういうのは、プライドって言わねぇんだよ。オレは、兄貴にそう教わった。そんな兄貴を、てめぇは!」
叫びながら、勇次は右足を自分の顔よりも高く振り上げた。
限界まで高く昇った右足は重力に引かれながら加速し、勢いよく踵から落下する。
落下地点にあった田宮の体は、くの字に曲がる。
殴る価値のない相手が足元で悶絶する。口の中に溜まったものを吐き出して、いやしくも田宮は呼吸を再開した。
ぜいぜいと、うるさい。そうまでして生きようとするな。死ねよ。
願いにも似た怒りだった。
「悪い、守田。しばらく、こいつと二人っきりにしてもらえるか? その間に、へんてこな棒、UMAころしだったか。あれの回収を頼む」
折れた歯が邪魔で、守田はろくに返事もできなかった。
「あああ、がががが、をぬぬぬぬ」
いくつもの歯を飲み込みながら、田宮の耳障りな悲鳴から守田は離れていく。
考えてもみれば、なにが原因なのかわからないこの身体の変調も、元をたどれば田宮のせいだ。
あいつが疾風と揉めなければ、今日は穏やかな一日だった。
家で澄乃と一緒に遊んでいたら、実家の手伝いでのストレスもリフレッシュされて、明日からも元気に活動できただろうに。
「田宮のせいだ。全部、あいつが悪い」
ぶつぶつとつぶやきながら、守田は地面に突き刺さったUMAころしを発見する。
UMAころしは、あまりにも現実離れしている物だ。田宮の醜い声が、完全に感覚から切り離されるほどの、神々しさがあった。
まるでRPGなどで目にする伝説の剣みたいだ。
UMAころしには持ち主を選ぶ意志があり、地面から抜いてくれるものを待っているような雰囲気が漂っていた。
それは『物』と呼ぶには、あまりにも色がなさすぎる。
存在があやふやだ。
曖昧なものほど、人間はよくも悪くも崇めるものだ。
神だったり、愛だったり、UMAだったりと。
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