【守田】05 どえらくてどエロくてはかどる

「合鍵なんて、そう簡単に配るようなものじゃないからね。私の場合は、猫部屋になる前の和室をプライベート空間にさせてもらってたから、合鍵もってるだけだからね」


「つまり、猫の前に光莉さんが飼われてたんですか?」


「飼われてるって面白いこというね。って、笑ってる場合じゃないか。疾風の名誉のためにフォロー入れないと」


 光莉は守田にとっては年上だが、疾風にとっては年下のはずだ。年上のお兄さんのことを下の名前で呼び捨てにする関係とは、どういうものなのか。きかせてもらおうではないか。


「澄乃は、先に部屋入ってろ」


 守田に言われるまでもなく、澄乃はドアの隙間からするすると玄関に入り、靴を脱いでいた。足元を見て気づくのだが、疾風が普段履いている安全靴は玄関になかった。


「じゃあ、うがいと手洗いしてくるから、お兄ちゃんが靴をきれいに並べといてね」


 脱ぎ捨てた靴は守田が直すことができる。けれど、澄乃のうがいと手洗いは澄乃本人にしか出来ない。父親に似た合理的な性格の澄乃は、人を使うのがうまい女になりそうだ。


「さてさて、お子様はいなくなったので、大人の話になっても大丈夫ですよ」


「君も高校生だから、子供でしょ? あと、期待しているような内容はないから」


「ありますよ。合鍵持ってるってのは、どえらいことだから、どエロい妄想がはかどります」


 合鍵を改めて眺めながら、光莉は乾いた笑みを浮かべる。


「そもそも、この岩田屋ハイツって、左右反転している違いがあるだけで、どの部屋の間取りも共通してるの。疾風の部屋に入り浸ってたらわかると思うけど、2LDKで親子五人の生活って、思春期にはきつかったのよね――」


 そういえば、光莉には齢の離れた弟と妹がいるはずだ。守田も澄乃と同じ部屋でずっと過ごすとなると、息がつまるだろう。澄乃のことは大好きだとはいえ、それはそれで思春期には処理しなければならない欲望とかがあるわけで。


「――で、ストレスで爆発しそうだったところを助けてくれたのが、私が中学三年の時に引っ越してきた疾風だったの。駐車場の多さでオススメされた物件だったみたいで『部屋を持て余してるから、使うか?』って提案してくれて」


「疾風さんが女子中学生を連れ込んでたって情報しか頭に入りませんが、それフォローになってます? あと、エロい展開になりそうな導入なんですが、それでいいんすね?」


「そっか。守田くんはあの頃の疾風を知らないんだね。疾風が引っ越してきた当時は情熱乃風をたちあげて、どんどん走り屋として有名になってた時期なんだよ。中学三年生の私なんて相手にしてる暇なかったよ」


 疾風の家の美人のお隣さんである光莉は、守田が初めて会ったときから成人女性だった。ライバル店だとわかっていながらも、不知火商会系列のファミレスでドリンクバーとポテトだけで、看板娘として働く光莉を拝んで、眼に幸せを与えたものだ。

 その印象が強くて、未成年時代の光莉の想像がうまくできなかった。


「それは、中学時代の光莉さんの写真を見ないことにはなんとも判断できませんね。大人でも間違いを犯しかねない魅力があったかもしれませんし」


「いまから卒アル持ってこいっていうの? 勘弁してよ。高校時代の写真なら情熱乃風の主要メンバーで撮影した集合写真で、あたしが写ってるのを疾風が部屋に飾ってたけど」


「じゃあ、続きは疾風さんの部屋でお話しましょうか? こんなところで立ち話もなんですから。どうぞ、どうぞ」


「家主が留守だからって、守田くんやりたい放題ね」


 文句を言いながらも、光莉は疾風の家に入ってくる。


「ところで、光莉さんが疾風さんを最後に見たのっていつなんですか?」


「結構、前だね。六月とか七月とかじゃないかな」


 守田が最後に会った時よりも昔の情報しかないのならば、新たな足取りに繋がる情報は期待できないか。とはいえ、光莉の疾風の不在に動じていない様子が、最悪な事態の想像を和らげてくれてありがたい。このまま、もっと話したいと思うほどだ。


「心配じゃないんですか?」


「んー、べつに。最近はそうでもなかったけど、それこそ走り屋全盛期の頃だと、家に帰ってこなかったことなんてざらにあったからね。だから、自然と私の受験勉強がはかどったり、部屋に私物が増えていったわけだけど」


「留守を守ってたって感じなんですか?」


「そこまでたいしたもんじゃないよ。でも、リフレッシュできる場所を与えてくれたお礼に、身体で返さなきゃって思いはあったわね」


 玄関からリビングに移動して話そうと思っていた。なのに、アダルトな匂いを感じて澄乃に近づくべきではないと考えを改めて、守田は足を止める。


「身体でとは、具体的に?」


「家事全般をかわりにしてたってことだよ。会えてないときも、汚れた服がベッドの周りに散乱してたら、洗濯をして。流しに置きっぱなしのお皿とかがあったら洗ったりしてたね。猫たちの世話は、その延長でいまも続いてるって感じだね」


 答えながら、光莉はドアポストに入ったチラシと手紙を分別している。手慣れた動きを見て――なんだ、面白くねぇな――と守田は言いかけてしまった。

 枕詞に『身体で』というものがきたら『ベッドの上でお礼を返しました』と、ついつい想像してしまうのだ。

 もっとも、実際に肉体関係があったとしても秘密を安売りはしないか。

 つくづく守田は、疾風のことを知っているようで知らないのだ。


「ところで、疾風になにか用があったの?」


「レンタルビデオ屋のカードを借りにきたんですよ」


「カード類なら、靴箱の上の小物入れにまとめてるから確認してみたら?」


 光莉の整理整頓のたまもので、目的のカードがないのは、すぐに一目瞭然となった。


「なさそう? だったら、財布に入れてるんだろうけど。でも、もしかしたら寝室のあそこかなぁ」


 カードのありそうなところにあたりをつけながら、光莉は自分の家のように疾風の部屋を進んでいく。後ろをついていく守田がリビングの電気をつけた頃には、寝室に入るところだった。闇の中でも、どこになにがあるか感覚的にわかっているようだ。

 視界から光莉が消えると、リビングには守田一人となってしまう。

 やはり、疾風は帰ってきていないのだ。

 澄乃が脱衣所の洗面台でうがいをしているのか、ガラガラという音がリビングまで響いていた。

 一人で来ていたら、その場で三角座りしてへこんでいたかもしれない。

 でも、妹や美人の前では情けない姿をみせられるかよ。


「お兄ちゃん、お風呂場に誰かいるよ」


「え? どういうこと? なに言ってんだ?」


「シャワー使ってる音が聞こえたの。それに、女の人の服が脱ぎ散らかされていて、新しい下着や服が置かれていて、それでね、それでね」


 小学生女児に要領をえない説明をさせるよりは、自らの目で見たほうが理解は早そうだ。

 澄乃を押しのけるようにして、守田は脱衣所に駆け込む。

 折りたたまれたタオルと一緒に、中学生がつけそうなスポーツブラが置かれていた。

 自分がいかに失礼なことをしているのかと、気づくには十分すぎた。が、ここまできたのだから、もう一歩だけ踏み込む。


「優子さんですか? 勇次が心配してますよ」


 守田の声に反応したように、風呂場のシャワーが切られた。

 キュッキュッというシャワーの栓がしめられる音に連動して、守田の緩んでいた頭の栓もしまった。

 勇次の姉があんな色気のない下着をつける訳がないだろうが。

 だとすれば、別の疑問がうまれる。いったい誰が風呂に入っているのだ。


「中谷優子さんは、やっぱり帰ってきていないんですね」


 すりガラスの向こう側から、応答がある。

 モザイクがかかったような人影から判断するに、肩にかかるかぐらいのショートカットの髪型だ。

 身体のラインから想像するに、おそらく女性だ。

 光莉に続いて、また合鍵を持っている女性の登場ということか。守田や勇次が知らないだけで、疾風の過去にはセフレがいたのかもしれない。


「あんた、誰だ?」


 訊ねながら澄乃を背中にまわして、体を張って守る準備を整える。


「欅です。疾風の大事な――大事にされてる妹の、欅です。そちらは?」


「妹さん? あ、俺は守田裕です。いつも、お兄さんにはお世話になっております」


 身の丈ほどある長い棒状のものにもたれかかりながら、彼女は大きくため息をついた。

 風呂場になにを持ちこんでいるのか、よくわからない。

 そもそも長風呂をしない守田からすれば、本やスマホを風呂場に持ち込むのも理解できない行為なのだが。


「そうですか、あたしも疾風から守田さんのお話は聞かせていただいてます」


「え、そうなんだ。俺は妹がいるとか初耳だったんだけど」


「それは不思議ですね。でも、疾風はいつも嬉しそうに話してましたよ。守田さんが喫茶店の跡継ぎとして頑張ってるって」


 自分のいないところで、褒められているのは悪い気がしない。だからだろうか、欅に向けていた疑いの気持ちが和らいでいく。

 そもそも、疾風とは長い付き合いだが、守田は疾風の実家に行ったことがない。岩田屋町とは槻本山を挟んだ槻本町に、川島疾風の実家はあるのだ。だから、欅が疾風の妹というのも、知らないだけで、有り得るといえば、有り得る。

 川島家の妹も中谷家の弟のように、行方不明の家族を探しているのかもしれない。

 だが、確信を得られるものは、以前としてなにもないままだ。


「お風呂から出ますので、コーヒーでも煎れて待っててもらえます?」


「わかりました。でも、そんなすぐにコーヒーはつくれないので、ゆっくりお風呂を堪能してくださいよ」


「ではお言葉に甘えます」


 すりガラスの向こう側で、欅がまたシャワーを使いはじめる。


「てなわけで澄乃にも手伝ってもらおうかな。まずは、お湯を沸かしてくれ」


「オッケー、お兄ちゃん」


 守田の近くで暇そうにしていた澄乃に指示を与える。

 澄乃がリビングに戻ったあと、風呂場を確認する。シルエットの欅は、座って身体を洗いはじめていた。

 もしかして、これは千載一遇のなんとかではないか。

 最低なことをするチャンスだ。

 自分自身にも言い訳はしない。

 いままで出会ってきたクズの仲間入りをすると開き直る。

 岩田屋の同年代の畜生代表ともいえる、梶原富也と肩を組むような気持ちで行動を起こすのだ。

 

 守田は、脱ぎ散らかれた欅の服を漁りはじめた。

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