【守田】02 復讐は日常に馴染まない

「力を貸してほしいって――ああ、なるほど。まだ腹減ってるから、パンが欲しいんだな。うちの喫茶店で出せなくなったもんが、余ってるの知ってるもんな?」


 勇次は口の中に詰めこんだものをカルピスソーダで流し込み、どこか自虐的に笑う。


「ああ、そうだな。これから体力使わなきゃなんねぇからよ。拾い食いだけじゃ足りねぇから、まじで助かる」


「体力使う?」


「いちから説明するのも、おっくうだな。とりあえず、コレ見ろよ」


 言いながら、勇次が携帯電話を差し出してくる。なんの気なしに受け取ったが、守田はすぐに後悔した。


「うわっ、ベタベタしてる。手づかみで食ってたオカズのタレとか油か、これ?」


 ざらっとした嫌な予感を、守田は冗談で隠そうとした。勇次は何の反応もみせないまま、ぼんやりと電話を見つめている。

 携帯の画面を目にするのが、なんだかこわい。たとえば、美少女の写真が表示されていて、これがオレの恋人だとか言われたらどうしよう。これからセックスするんで、野性的に腹ごしらえしてたとかなんとか。

 想像が現実となったら、殴りかかってしまうかもしれない。無論、勝てないのはわかっている。カウンターパンチ一発で地面に倒れるだろう。だとしてもだ。

 男には、やらねばならないときがある。相手が負けたくない男ならば、なおさらだ。


 歯をくいしばりながら、守田は携帯の画面をにらみつける。

 一枚の画像が表示されていた。

 裸の人間の写真。

 性別は男性。

 両手両足が、体のつけ根から切り落とされている。


「っんだよ、このグロ画像は!」


 叫びながら、守田は携帯電話をつき返す。

 いつものように、勇次は両腕をだらんと下げている。電話を受け取る気はないらしい。


「もう一度よく見てみろ」


「いやだね。このあと、昼飯食うんだよ、俺は」


「じゃあ、別の画像もあるから、そっちを見ろ」


 次の瞬間には、守田が握っていた携帯電話は奪われていた。

 勇次と喧嘩した者は、みな気づけば殴られていたと語る。

 いまのような素早い動きを見せられては、その噂が真実なのだと納得せざるおえない。


「何を用意するつもりか、知らねぇけど――」


 携帯電話をかざされると、見る気はなくても視界に入る。

 これもまた、グロ画像。

 さきほど、すぐに目をそらした画像と被写体は同じだ。ただし、こちらは顔面がアップでうつっている。


 口には無理やり突っ込まれているバイブ。

 亀頭の形を模した先端が、左頬の肉を突き破っている。

 右頬にも穴が開いており、歯と肉の繊維があらわになっている。

 生々しい傷跡に、干からびたコンドームがへばりついている。

 コンドームの先端は、本来ならば右の瞳がおさまっているところに入ったままだ。

 目をえぐりとったところにチンコを突っ込んで、射精でもしたのか。

 見開かれたままの左目は、なにかを探すように下の方向をみつめている。

 もしかしたら、削ぎ落とされた鼻でも探しているのかもしれない。


 すぐにでも顔を背けるべきだったが、なぜか隅々まで見てしまった。

 レンタルビデオ屋でAVを選んでいて、好みでもないパッケージで視線が外せなくなる感じ。

 あれ。この顔、どっかで見たことがあるような、ないような。

 手がかりは、簡単に手に入った。

 見せられている画像は、メールで送られてきたもので、このようなタイトルがつけられているではないか。


『赤グラサンは、赤い血が似合う』


 射精とは逆の感覚に襲われる。金玉が縮み上がった。


「これって、まさか? 疾風しっぷうさん?」


 川島疾風かわしましっぷう――我らの兄貴分は『MR2の赤グラサン』の通り名を持つ。


「そうかもしれねぇし、ちがうかもしれねぇ。知らないアドレスから送られてきたメールだからよ」


「っんだよ、それ。気味が悪すぎるぞ。これが手の込んだイタズラだとしても、メール送ってきたやつの頭おかしいだろ」


「ああ、完全にオレを舐めてるのは間違いねぇ」


 勇次の目元は怒りに満ちている。しかし一方で、口元が笑っていて不気味だ。


「これが本当に兄貴かどうかはわからねぇ。ああ、そうだ。わかってんのは、ひとつだ。喧嘩を売られてんだよ、オレは。上等じゃねぇか。どこのどいつか知らねぇが、見つけ出してオレの気が済むまでボコにしてやらぁ」


 これが、本当に兄貴かどうかはわからねぇ。

 その言葉が、やけに耳に残った。

 手の込んだイタズラだと信じたい。

 だが、実際に画像のようなことが起こっている可能性は捨てきれない。

 有り得てしまうのだ。


 考えてもみれば、疾風と優子の失踪には不審な点がいくつもある。

 毎日、夕飯の献立を勇次にたずねるほど、弟思いの中谷優子。彼女が何も言わずに消えるのは異常だ。

 疾風と駆け落ちしたのだろうと結論をつけたが、あれはアルコールが入った場での総括に過ぎない。

 論理的に導き出したものではなかった。

 そういえば、勇次と飲み明かした日に、冗談のつもりで「何かの事件に巻き込まれたのかもな」と話していた。

 嘘だろ。

 無意識のうちに、守田は勇次の両肩をがっしりと掴んだ。


「もう喧嘩とかのレベルじゃねぇぞ。これが、もし事実だったらよ。事件だよ、事件。大事件だ! 警察には見せたのか?」


「警察? 何ぬかしてんだ、守田?」


 手をふりほどきながら、勇次は不思議そうに首をかしげる。


「お前の言う通りに最悪なことが起きてるんなら、警察なんかに頼れるかよ。オレの手で復讐できる機会をみすみす奪うってのは、マヌケすぎるだろうが」


「――!? 何を言ってんだよ? 復讐なんて言葉を学び舎で本気になって口にすんなよ」


「呆けてんじゃねぇぞ。守田だから、話したんだ。頼む。力を貸してくれ」


 勇次とは腐れ縁だから、いままで色々と力になることも多かった。

 金を貸してやった。いっこうに返済される気配はないが。

 女だって紹介した。その女に、何故か守田が殴られるハメになったけれど。

 夢を叶える手助けもした。高校で勇次と同じ夢を持つ者を探すべく、部活を作った。結局、部員は集まらなかったっけか。

 思い出せるどれもが、面倒なことばかりだ。

 とはいえ今回の件は、厄介すぎる。いままでとは比べ物にならない。


 仮に画像が合成ではなかったとする。

 考えたくもないが、本当に川島疾風が暴行を受けているのならば。

 人間をここまで痛めつけるのは、精神異常者だろう。

 あるいは、自分がこうなりたくなくて、命令に従ったに過ぎないとか。

 どちらにしても、こればっかりは力を貸せそうにない。


「悪いな。頼ってくれるのは嬉しい。けど、ヘタなことして俺の家族に迷惑がかかるのだけは、やっぱり避けた――」


 完全に断りを入れる前に、足音が近づいてくる。田中あずきが走って戻ってきたのだ。

 あずきは肩で息をしている。口をパクパクさせて喋ろうとしても言葉になっていない。


「走ったら、喉が乾いただ? たかってんのかよ。ほれ、飲めよ」


 あずきは、ぜぇぜぇとしか言っていないように思えたのだが、勇次には言いたいことがわかるようだ。

 実際にあずきは勇次からカルピスソーダを受け取って、ペットボトルに口につける。

 おそらく、あずきは気づいていないが、間接キスです。おめでとう。


「ちょっと勇次、なにこれ? ほとんど入ってなかったんだけど?」


「空きペットボトルは捨てといてくれよ」


「はぁ? ゴミ捨てさせるために渡してきたってこと? もういい。自分で買うから」


「それより、弁当を恵んでくれるんだろ? これか?」


 可愛い包みに入った弁当箱を勝手に取り出すと、勇次はまたしても手づかみで食べていく。


「嘘でしょ。私が飲み物をなに買うか迷ってる間に、なんで全部食べきっちゃうのよ?」


「弁当箱が小さいから、一瞬で無くなるんだよ――あー、だめだ。中途半端に食ったせいで、逆に腹減ってきたぞ」


「だったら、いまから俺と食堂で。まだ勇次とは話したいことあるから」


 食事が本当の目的ではなく、説得するつもりだった。危ないことはやめろと、少しでも冷静になれるように楔でも打ち込めればと思っている。

 なのに、守田の考えを知ってか知らずか、勇次は首を横に振る。


「オレが守田に話したかったことは終わってるからよ。あずきにカレーでも奢ってもらうよ」


「なんで?」


「だって、カレーは白飯が残ってたらルーがおかわり自由でコスパがいいんだ」


「カレーを食べる理由はきいてないんだけど」


「でも、あずきの弁当はなくなったんだ。どのみち、食堂に行かなきゃなんねぇだろ?」


「一緒に行ったら、奢ってもらえると思ってるよね? もしかして、チケットが予定よりも売れそうだから、お金に余裕があるって知ってるの? だったら、ケチって思われてもしゃくだし。カレーだけじゃなく、麺類も奢ってあげてもいいけど。勘違いしないでよね。深い意味はとくにないんだから。ほら、先に行ってるよ」


 高校一年生からの二人の微妙な関係を知っている守田からすれば、アニメの最終回で平和な日常に戻ってきたみたいな感動があるワンシーンに見えなくもなかった。

 あずきにしてはむちゃくちゃ頑張った。内心で、彼女がいっぱいっぱいだったのは、自動販売機を見ればあきらかだ。お金を入れたのに、ジュースを買っていない。


「おい勇次。あずきちゃんのお金だけど、冷たい飲み物でも買っていけよ」


「頭を冷やせってか? うるせぇよ」


 カレーの美味いコーヒーショップ『香』でアルバイトをしているくせに、勇次は缶コーヒーのボタンを押す。反骨心からホットを選んだせいで、普段は飲まないブラックを購入している。


「あ、そうそう。店で出せなくなったパンくれるって言ってたのも、あれやっぱりいらねぇよ。オレが守田に力を借りたいのは、そんなんじゃねぇ――わかるよな?」


「らしくねぇぞ、勇次」


 ふてくされた子どもみたいに、勇次は立ち去る。小走りになって、すぐにあずきに追いついていた。本当にらしくない。会話内容は聞こえないが、女子と仲良くなにか話している姿はまるで。


「どこにでもいる高校生の姿じゃねぇか」


 あんな写真を送りつけられていて、日常に馴染もうとしてんじゃねぇよ。

 中谷勇次は、拳で語り合う世界の住人じゃなかったのか。

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