金盞香
「キンセンカはキンセンカでも、ホンキンセンカのことじゃないかなぁ」
それなら一体、何の花を差しているのかとニシキに訊いたら、案外あっさり答えが出た。私はあまり外出ができず、故に図書館を利用することもできないので、知りたいことはニシキに訊く。
この里が隣り合っている現世と季節が重なったこともあり、冬の先駆けにあたるこの村も、すっかり寒くなってきている。一度、掘り炬燵に入ってしまったら抜け出せないほどだ。もちろん入りっぱなしは良くないので、こうして庭が見える別室で、ニシキと話をしているわけだが。
「ホンキンセンカなら十一月から花が咲いて、霜に耐えて春まで咲いているんだ。冬知らず、なんて名前も持っているらしい。きみの庭にも植えてみる? 明るい黄色の花だから、見ていて気持ちがいいと思うよ」
『……育てられるかな』
さらさらと書簡に字を書けば、私の口に代わって言葉が浮かび、読み上げられる。口を封じているのは不便だが、今となっては便利な書簡を介したやり取りにすっかり慣れ、自分の体を使うのと変わらない感覚でいる。
「簡単に育てられる花だったと思うよ。キンとギンに育て方を教えれば、すぐに覚えて面倒を見てくれるだろうし……きみが平気なら、村のみんなと協力することもできるんじゃない?」
『かもしれない。さすがに、急にとなると困るけど……』
さりげなく差し出してもらった手を、やんわり断ってしまったが、ニシキからの提案は嬉しかった。
私はあまり、他者との交流を深めずにきたのだが、最近は徐々に交流を復活させようとしている。ニシキがよく連れている郵便局員、梓くんとも仲良くなれてきた。仲がいい存在、大切な存在を増やすと、もしかしてと不幸を予測せずにはいられないけれど、過剰に恐れる必要はないのだと分かってきている。
「きみにはきみのタイミングがあるからねぇ。なに、焦ることはないさ。ここは一種の常世、時間ならいくらでもあるんだから」
鷹揚に言って、ニシキは立ち上がり伸びをした。「換気するよ」と断りを入れられ、頷けば、開けられた戸口から冷えた空気が流れ込んでくる。生気のない、透明な冬の匂いがした。
「いにしえの人々は枯野見なる遊びをしていたらしいが、そろそろ、きみの庭にも色が増えていい頃だ。ホンキンセンカ以外にも、何か植えたい花とかある?」
『すぐには思いつかないわ。ニシキの方がたくさん知っているでしょう?』
「それもそうだ。村や近くの道になら山茶花が咲いていたから、山茶花も候補の一つかな。ふむ……今度、花の図鑑を送るよ。配達は梓くんに頼むから、ついでに相談にも乗ってもらったらどう?」
『そうする。それにしても、冬場にも咲く花はたくさんあるのね。知らなかった』
この里へやって来た当初、あまり周囲に物がない場所に住みたいとニシキに申し出たのが、遠い昔のようだ。加えて、ニシキの住んでいる所からも近い場所として紹介された立冬の村の外れは、願ったとおり何にもない所だったけれど、しばらく住んでいると多彩なことに気づく。落ちてはいくけれど、秋の色彩は寒さに打たれて美しさを増していくし、透き通った薄青の空は、晴れ渡ると清々しい。
風が吹けば、何も無い庭に生え放題の芒や荻が揺れて、銀色に波打つのも見えた。遠くには紅葉と枯れ木、常緑に針葉が混ざり合った山の景色。褪せて遠ざかる秋を眺めながら、多くが眠りに就く冬の傍に身を置くというのは、何とも静かで落ち着くものだ。今はニシキという来客がいて、庭に植える花の話をしているので、ささやかながら賑やかだけれど。
『私が知らないだけで、冬も綺麗な季節なのね』
「もちろん。けど、きみは幸運だよ、氷雨。これから、数多ある冬の美しさを知っていけるんだから。もしかしたら、他の季節の美しさにも触れられる時がくるかもしれない」
まだ何も無い庭を背に、ニシキが両腕を広げる。秋の夕暮れ、宵の入り口を思わせる色合いを身に纏っているニシキは、冬が始まろうとしている中では鮮やかすぎて浮いていた。だからこそ、その姿がよく分かる。
「私はこの通り、秋贔屓な晩秋の住民だ。秋の美しさについて知りたくなったら、いつでも私に尋ねてくれたまえ」
『あら。秋以外は誰に訊いたらいいの?』
「ふ、私の交友関係をナメてもらっちゃあ困る。きみの準備ができ次第、きみの交友関係も広げてやるから、覚悟しておくといい」
『準備ができるまで待ってくれるのね』
「当たり前だ。私は相手の事情を無視して、余計なお節介をやく厄介者じゃないぞ」
立腹とばかりに、ニシキは広げていた手を腰に当てる。
もう充分、空気の入れ替えもできただろうと戸口を閉めてから、ニシキは隣に戻ってきた。庭にどんな花を植えるのか談義は、その後もキンとギンを交えて進められたけれど、やはり図鑑が必要なことは変わらなかった。
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