あとがき

だいぶ遅くなりましたが、ふと思い出して書きたくなったのであとがきです。


正直に申しますと、この作品は生まれてはならなかったものです。見るに堪えないし、見る価値もない。そう言い切れます。

この作品は、休日に昼ドラの浮気シーンを見てイラついて、さらにそれを思い出してしまった。そのフラストレーションに対する、一種の意趣返しのつもりで書きました。

その中で、浮気されて猛り狂うだけの主人公では情けない気持ちもして、「人が一番されて嫌なことを平然と行う主人公」にしよう、と思い立ちました。言うなれば、私が嫌いなタイプの人間を主人公にしよう、と思ったわけです。

そのために、徹底的に「嫌いな人間とは何か」を考えてみました。すると私は——こういうことを言うとニーチェが奴隷道徳とか宣ってせせら笑うかもしてませんが——情愛とか同情とか、そういったものを否定する人間が嫌いなんだと気付いたわけです。だからそこを、さらに一歩踏み込んだ。

否定するならまだしも、そもそもそういう感情を感知できない人間はどうだ?

そこから思案が加速してしまいました。愛は知らないが、生命一般の至上命題、つまり、子孫を残す・自分の遺伝子を残すということについては達成したい人間にしよう(これは、浮気シーンを絡めるという縛りの中で捻り出したものですが)。その目標のためにはあらゆる手段を使える合理的で理知的な人間にしよう、といった具合に。


ですが、私は作っている途中になって、こんな人間は存在してはいけない、もし架空の存在だとしても、そんな人間を私の手から生み出すわけにはいかない、と恐れるようになり、「ただ子孫を残すことを目的としたマシーン」のように描こうと方針転換しました。これは大正解だと胸を張って言えますが、また同時に、ある意味失敗だったと思います。悪く言えば、私はそういう人間(現実世界にいるかはわかりませんし、いないことを願います)を描くことから逃げたわけですから。


ところで、レビューの中に、「主人公は、妻を愛したわけではなく、彼の中の何らかの基準を満たしていたから妻にしたのではないか?」と書いてくださった方がいました。その通りです。彼が妻(になる莉子)と結婚した理由は、莉子が母体として優れていたからです。


「莉子は顔が良いので、生まれた子供も美形になる可能性が高いだろう。顔が良ければ、生まれてくる彼/彼女が番を見つけられる可能性、ひいては子を為せる(つまり、「私」の遺伝子が残される)可能性は高まる。」

「莉子は母性が強いから、子供が生まれたとしてそれを虐待する可能性は低いだろう。夭逝のリスクは低い方がいい」


といった具合に、です。「私」は別に莉子を愛したわけではありません。母体として「使いたい」から、彼女を手に入れるために表面上魅力的に振る舞っただけだし、彼女が子供を産むまで逃げられないように、夫婦生活を可能な限り順風満帆にしただけなのです。そのため、彼女が数人子供を「生産」してしまえばもう用済みだった。


さらに、彼女が達也と浮気をした以上、自分の遺伝子をキチンと継いだ子供を産む確率が高いのは「自分の精子を買った女」のほうです。

これ以上はあまりに酷いだろうと思って書かなかったのですが、「私」は本編外で、莉子を顧みることは無くなっていきます。浮気に怒ったからではありません。自分の遺伝子を継がせない判断を下した以上、彼女を尊重して機嫌をとる意味がないからです。利益のないことに投資をしない、と言えばいいでしょうか。彼は人の心など持たず、ただ徹底して合理的なだけの空虚な存在です。


私が彼を人間として描きたくなかった理由はこれでした。ただの文字情報とはいえ、こんなクズを描きたくない。最初は浮気シーンへの意趣返しから始まったはずなのに、生み出されたキャラクターは人倫を踏み躙る化物でした。吐瀉物の煮凝りを下水管の中で腐敗させたような、救いようのない純粋悪が生まれてしまったのです。


しかし、もしかしたら私は、心なき合理性の恐ろしさを書こうと識閾下で思っていたのかもしれない、とも書いた後になって思いました。だからこそ、そういうメッセージを受け取って欲しいと思って、この作品(個人的には作品とすら思いたくありませんが)を世に放ったのです。

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