第25話

 美琴はタンス前に立って、ゆっくりと引き出しの取っ手へ手を伸ばす。綺麗に畳まれた深緑色のニットを手に取ると、服の両肩の部分を摘まんだ。その服を見つめて憂いの目を向ける。


「懐かしいな」

 

今日はいよいよ、『村田成人』逮捕へ踏み切る日だ。少し頬が強張る。少し目を瞑って心を落ち着かせようとしても、心臓が跳ねるような感覚に目を開く。これ以上にないほどの高揚感、今日という日が少しでも早く終わるよう美琴は祈った。机の引き出しからジップロックに入った腕時計を取り出した。服もいつも以上に気合が入ってしまう。一番のお気に入りで行こう。ハンガーに掛けていたライダースジャケットを手に取り、ベッドの上で綺麗に畳まれた濃い紺のデニムを広げる。外套にライダースジャケットを羽織り、深緑色のニットと、濃い紺のデニムを履いてこの腕時計を身に着ければ完成だ。


「おっと」


机の上に置いていた、山本から誕生日プレゼントでもらったイヤリングを耳に付ける。こんな格好で外へ出るのは久しぶりだ。少し羞恥心を感じながら胸上に手を置いた。


「成長したな。僕には少し小さく感じるよ、美知子さん」


薄暗い部屋の中でスマホがぼんやりと光始めた。通知だ。竹内が警視庁に着いたという連絡だった。部屋はがらんとしており、タンスとベッド、作業用の机のみでその他のものは何もなかった。形態を耳に当てて暫く沈黙が続いてから口を開いた。


「もう家をでる。よろしく頼むよ」


バッグを肩にかけて、少し高いヒールを履いて立ち上がった。玄関のドアを開くと少しひんやりと冷たい風が吹いた。少し肌寒さを感じて顔を顰めるが、これ以上の厚着はしていられない。そのままドアを閉めると、美琴は鍵をかけずに家を出た。


 竹内がすでに出社しており、制服に着替えていた。美琴も早く着替えて準備しなくてはならない。


「おはよう」


「おはようございます。ってうお! なんか……大胆な服装っすね美琴さん」


美琴は微笑んで「そうだろう?」とライダースジャケットの襟を摘んでみせた。そのまま竹内の横を通り過ぎて更衣室へ向かった。竹内はその後姿を視線で追いながら眉を顰めた。


「何かどっかで見たことある格好だな。なんだろ。思い出せないけど」


美琴が部屋に戻ってくると、青の制服に着替え終わっていた。『村田成人』の逮捕状、対策本部への報告、株式会社NestHomeへの突入と入念にやらないといけないことは山盛りだ。美琴はすぐに橋本課長の下へ向かい、竹内は対策本部の会議を行う第一会議室へ向かっていた。


「おお。みこ……峰島。いよいよだな」


山本が廊下の反対側から歩いてくる美琴に気がついた。美琴は山本の言葉に口を綻ばせて「ああ」と答える。その微笑みは山本の不安を掻き立てる。どうしようもなくなって美琴から視線を外し、身体を反転させた。


「あー。なんていうかさ。死ぬなよ」


山本は言葉尻をワントーン落とす。美琴は不思議そうに首を傾げるが、山本は後ろを振り向かずに歩き始めてしまった。


「俺も今回は待機組でいるからな。……いるからな!」


山本はそう口にして足早に去って行ってしまった。美琴は山本の背中を見つめる。


「今までありがとう。盟友――いや、ここは僕の愛しの彼氏くんのほうがいいか」


部屋の前で深呼吸をしてから扉をノックする。ノックしてから資料が脇から溢れてしまいそうになり、慌ててお尻を押さえて持ち直した。


「はいれ」


中から短い返事が聞こえて、「失礼します」と一言いれてからドアノブに手をかける。扉を開いて中には橋本課長のみならず、松柴警視総監が椅子に座っていた。美琴は目を見開いて少し固まった。少し間を置いてから松柴警視総監へ視線を向ける。


「警視総監殿も御出席でしょうか?」


「いや。すまないが、私は参加できない。しかし君の活躍を見ずにはいられなかった。被害者家族に捜査をやらせるなんて酷なことをしておいて…………無様に映るだろうな。だが本当にありがとう」


松柴は深々と頭を下げる。美琴は松柴の行動に動揺が隠せなかった。松柴の肩を掴んで身体を起こそうとするが、肩に気安く触れてもいいものかと触れそうなところで手を止める。


「け、警視総監殿! 顔をお上げください!!」


美琴が声をあげて橋本へ助け舟を求める視線を向ける。橋本は美琴を助けるどころか、面白そうに笑って助けてくれない。橋本課長は機嫌がいいのか、美琴の肩を叩いて「君のそんな顔、十年以上いて知らなかったよ」と笑った。


「そんなこと言ってる場合では……」


「ありがとう。君には本当に感謝してもしきれないよ。ご家族の無念を晴らそう」


松柴は彫の深い顔をさらに険しくして美琴に言った。美琴もそれにこたえるように険しい表情で頷いた。


「お任せください。この件は私が終わらせます」


美琴はそう言って橋本課長の後ろに付いた。


「そろそろ」


美琴は橋本課長に耳打ちすると、松柴へ身体を向け、頭を下げた。


「十年間、お世話になりました」


「大げさな。これからも頼むよ」


松柴はそう美琴に声をかけて、橋本に手のひらを見せて「もう行ってくれ」とジェスチャーした。


 美琴と橋本は第一会議室までの道のりを一言も話さなかった。いや、美琴だけではなく橋本も緊張を隠せてはいなかった。十五年間追ってきた事件の終止符というものは、当事者でなければ推し量ることのできない感情が押し寄せる。橋本自身も『村田成人』にたどり着けなかった悔しさと、部下のおかげでここまで来た喜びで美琴に何と声をかければいいか考えあぐねている間に会議室へ着いてしまった。


「入るぞ」


後ろの美琴へ声をかける。美琴も無言でうなずき、橋本が扉を開くと20名近くの捜査官が席についており、橋本が顔を見せると同時にしんと静まり返った。


「早速だが……村田成人逮捕の流れについて説明する」


「峰島と竹内を含む捜査員10名は、会社前の空き部屋で待機。私含め、5人の捜査官が株式会社next homeへ突入後、同ビル内の社長室に被疑者がいると思われる。被疑者を確認次第、確保。その他捜査員は各自の持ち場について事前に知らせていた通りだ。以上」


 橋本は部屋から急ぎ足で出ていこうとする。そこへ竹内が駆け足で寄っていき、橋本の動線を塞ぐ。橋本はそれを払いのけようとするが、竹内は引くことなく声を上げる。


「課長!! なぜ僕が村田の逮捕に参加できないんですか!! 聞いていない!」


「それぞれの配置については報告した通りだ。変更はない。下がれ!」


今度こそ橋本は竹内を押し退けて引き離した。部屋を出ていき、そのまま足早に一課へ戻ろうとする橋本に小走りで追いかけてくる足音が聞こえた。


「……っ! いい加減にしてくれ! これ以上は――」


「ああ、申し訳ありません。橋本課長、ちょっとお話が」


橋本が振り返って声を上げようとしたが、その人物が竹内じゃなかったことに気がつくと口を噤む。橋本に駆け寄った男は周囲を見回してから橋本へ耳打ちをする。


「…………」


「一度、呼びますか?」


「いい。今は村田の逮捕に集中する。それ以外……関連であろうと話はあとでつける」


額に手を当ててため息をついた。


「行け」


「はい」


男は橋本から離れる。男の背中を見てある程度離れると廊下の壁に背中を預けて目を瞑った。


「訳がわからん。私はどうしたら……」


「橋本課長」


「今度は――」


今日はよく話しかけられると、辟易としながら橋本は顔を上げた。その正面に立つのは美琴だった。一瞬、困惑を瞳に宿して美琴を見つめたが、すぐにそれを振り払い美琴を見返した。


「どうした」


「いえ。松柴さんにはお礼を言いましたけど、橋本課長にお礼を言っていなかったので」


「そんなもの――」


「これが最後になるかもしれませんから。だから――ありがとうございました。パパに育ててもらって、私は幸せでした。蜜美ちゃんとは本当の姉妹みたいに育てられて本当に嬉しかったです」


「美琴……っ最後だなんて物騒なこと言うな。お前は突撃に入れていない。被害者家族が自らで村田をという気持ちも分かるが、感情的になるなという方が難しい。だからこれでいいと思っている。最後なんてことはない。これからも励めよ」


「……ありがとうございます」


美琴は橋本の背中が遠く見えなくなるまで頭を下げた。


 美琴と竹内、そして浦田という新人警部補が空き家の窓から株式会社なるシムのビルを見つめていた。睨むようにビルを見続ける竹内の横に浦田が座った。


「……」


浦田は胸に抱え込んだ缶コーヒーを一つ取って、竹内のそばに置いた。


「どうぞ、竹内さん」


「…………ああ」


美琴は椅子に座ってため息混じりの息を吐いて、浦田から差し入れられた缶コーヒーに口をつける。窓の外をじっと見つめる竹内に美琴は声をかけた。


「そんなににらめっこをしていても、突入まで1時間はある。もう少し、肩の力を抜いたらどうだ?」


「…………」


「――あ、そうそう。峰島さんって、橋本課長の秘蔵っ子って噂っすけど、本当ですか?」


「?」


浦田が美琴の対面の席に腰をかけた。美琴は浦田の話に首を傾げて「なんのことだ?」と投げかける。


「いや、一課じゃあ有名な話なんですよ。課長が峰島係長を娘って呼んだことがあるとかないとか」


「うーん。火のないところに煙は立たないってね。私は15の時に橋本課長に養子として迎え入れられていてね。恩人ではあるが、父なんか思ったことないよ」


「……へ、へえ。じゃあ本当なんですね、あの噂」


「まぁ、あながちね。浦田くんこそ、この任務につくなんて、よほど優秀なんだね。若いのに」


「若かないですよ。もう30です。竹内くんや、峰島係長には負けますよ」


浦田は背後でずっと窓とにらめっこをしている竹内と美琴を交互に見た。美琴は驚いたような表情をして、すぐに素の表情に戻す。


「す、すまない。そういう意味じゃなかったんだ。私はもとい、竹内はこの事件の関係者だ。だからこそ、捜査に役立つこともあるのではないかと推薦されただけさ。通常時は五係なんて一課のお荷物さ」


「そんな。村田婦人殺害事件と今回の無遺体連続殺害事件を同一のものとして考えることで犯人を炙り出すことに成功したんです」


「それは……まぁそうなんだけど、あれには橋本課長のお力添えあってこそさ」


「へぇ。なんか意外だなぁ」


「意外?」


浦田は顎を引いて美琴を見つめた。美琴はそんな浦田の姿を見て不思議そうに首を傾げた。


「正直、ここに来るまでは峰島係長がどんな人か分からなかったんです。22歳で警察大学卒業後、一課配属のエリートが5年後には係長。トントン上がりのエリート警部はどんな人かと……」


「ふっ」


「え?」


「エリート……そんなことないよ。私はエリートなんかじゃなかったよ。ずっと価値のない人間だった。だから価値が欲しかっただけ。これが私の価値」


美琴は胸ポケットから警察手帳を摘み上げて、照れくさそうに笑った。浦田はその様子に感嘆の息を吐いて、首を振った。


「いやあ、すごいです。エリート様ですよ。その価値を作れるのは一部の人間だけです」


浦田は悲哀の表情を見せて、美琴の警察手帳を見つめた。美琴はその浦田の表情には気が付かず、警察手帳を胸ポケットへしまった。美琴はそのまま、竹内の方へ視線を向ける。ここに着いてからずっと話をしていない。村田逮捕へ向けての熱意は――


「なぁ、竹内。君は犯人が村田であると確信しているか?」


「……何言ってんですか、美琴さん」


「もちろん。その確証を作ったのは僕なわけだが――」


「…………僕?」


竹内が振り返った瞬間、美琴の対面に座っていたはずの浦田が床に倒れ込んだ。竹内が驚愕の表情で浦田の倒れる姿を追うと、その後ろに足が見えた。


「美琴さん?」


「僕はね、人殺しなんだよ。今までで十三人。人の命を殺めた。そして、僕は君の母親『竹内美知子』を殺害した」


「は?」


竹内は思考が停止した。あまりにも唐突な告白はこの場では、酷いブラックジョークだ。竹内は足元の缶コーヒーが転がった。その音に反応して脳が動き始めた竹内は、腰元の拳銃を引き抜いた。


「本当に悪い冗談はよしてください。これなんなんですか? 俺には美琴さんが人殺しなんて考えられない」


「君のセンスがないだけだ。だが、落ち込む必要はないよ。橋本課長ですら気づかずに、僕を保護という形で養子にしたんだから。しかも、君の母親を殺した後でだ」


竹内の脳へ急速なまでに流れ込んだ血液によって頭がぼーっとする。まるで夢の中にいるかのような感覚。視界がぼやける中で、美琴は確実にこちらに向かって歩いて来ていた。


「この腕時計……いいだろ? 君のお父さんのものだよ。殺したときにいただいた」


美琴が左腕を見せる。闇夜に光る銀色の時計を見て、竹内は驚愕の表情を見せる。それは小さいころにずっと母が大事に持っていたもの。「これはね、私がお父さんに初めてプレゼントした宝物なの」母の言葉がよぎる。竹内はこの時確信した。この女が、母を殺した真犯人なのだと。


「峰島美琴!!! 止まれ!」


「おいおい、あんまり暴れるなよ」


竹内は興奮状態で美琴に向かって発砲した。弾は美琴の頭を越えてコンクリートの壁に当たる。美琴は両手を空に向けて首を振った。竹内は興奮状態で発砲したためグリップを慣れない片手で握っていた。反動で銃口は上を向き、身体も半身ほど逸れていた。


「話を聞けよ。君は昔からそうなんだから」


「……はぁ、はぁ。うっ」


正面の美琴に足を引っ掛けられて、尻から床に倒れ手から拳銃を離してしまった。美琴は素早くそれを拾い上げると、左腕で竹内の首を押さえつけて銃口を眉間に向けた。


「知りたいだろ? 君の母親の最期」


美琴は竹内に14年前の話を始める。竹内はその瞳に涙を浮かべながら、美琴を睨みつける。美琴の瞳は虚空を見つめ、竹内の視線を意に返していなかった。


「助けて、助け――」


「うるさいなぁ」


美琴はふくよかな女性が逃げようと這いずる足首を掴んで引き戻し、椅子の背もたれと腕を縄で括り付ける。女性の悲鳴を鬱陶しそうに片目を瞑り、ハンドタオルを棒状にして猿轡にする。暴れる女性を横目に、椅子の脚を蹴っ飛ばす。


「ん。んんん……」


「黙れよ。騒がしいな」


腰に隠していたナイフを取り出して、ナイフと女性を交互に見る。それから椅子の周りを回るように部屋を眺める。


「うーん。金目のものは何もないな。それにしても――」


美琴は彼女の前に立って中腰になる。彼女へ満面の笑みを浮かべた。


「――自殺、してくれない?」


彼女はめいいっぱい首を振ってそれを拒否する。美琴は不満そうに頬を膨らませて「えー」と不満を漏らす。


「殺人って面倒くさいんだよ。警察だってそうだろう? 自殺なら捜査は早く終わるのにさ、君の我儘で他人に迷惑をかけるってひどくない?」


美琴はため息をついて、ナイフを彼女の腹部に突き立てる。


まずは、1回。


「んんんん。ぶふっ」


口から吐き出た血液が真っ白いハンドタオルを赤く染める。


――2回。


「ん」


彼女にはもう抵抗するほどの力も残っていなかった。目は虚ろで床を見つめていた。美琴は不満そうに彼女の頬を鷲掴みにする。


「つまんないなぁ。死ぬんだよ? 抵抗してみてよもっと」


「…………」


彼女は声を出すこともやめてしまった。それどころか彼女はだんだんと白くなっていき、体外に流れた血液のせいで肌の血色も失われていく。しかし、その姿を見た美琴は表情を明るくして飛び上がった。


「うわ! 肌白くて綺麗だなぁ。君、今までで一番きれいだよ! ま、初めましてだから知らんけど」


美琴は運び入れていた台車からビニールシートを取り出して、彼女の遺体を包んだ。それから横長い段ボールの中に彼女の遺体を詰めて、他の段ボールに紛れ込ませて運んだ。


 美琴が話し終えて、竹内は急激に暴れだす。足で美琴の背中を蹴ろうとするが、首を押さえつける力を強められ酸欠になり動けなくなる。


「お、お前がっ! 母さんを! 母さんが何したんだ! この異常者!!!」


「だからさ。君のお母さん。綺麗だったよ。死んだ時が一番きれいだったんじゃない?」


「ふざっ……けるな!!」


首を押さえつける腕を引き離そうと掴んで力を入れるが、美琴の腕は一向に退こうとしない。美琴は改めて拳銃の銃口を眉間に当てて目を細めた。


「あのさ。分かってなくない? 君、僕が引き金ひいたら死ぬんだけど」


「…………」


竹内は美琴の腕から手を離し、下唇を強く噛んだ。


「で、そのあと死体を山奥に捨てたんだけどさ。そのとき橋本課長に会ったってわけ。そのあとは知ってるでしょ? 殺人鬼を養子にして刑事にさせちゃうあのウスノロのこと」


「あははははは」


「ねぇ? 聞いてる? 僕一人で喋ってるじゃん。君も言葉を発してみなよ。それくらいなら許可するから」


美琴が少し腕の拘束を緩める。しかし、もう片方の銃口は眉間に照準を合わせたままだ。


「……がはっ、うぇ。うるせぇ、異常者。お前に話すことなんかないんだよ。この場から出たら地獄に落としてやる」


「あっはっはっはっは。あの女の子供だからか。頭までお花畑だな。君にはこの拳銃が見えてない?」


美琴が馬鹿にしたような顔で拳銃を横にして竹内に見せつけた。竹内はその拳銃の銃口が自分の眉間から離れたことを見逃さなかった。美琴に勝てることがあるとしたらこの一瞬だった。拳銃を握った腕を内側からくぐらせる様に掴み、もう片方の腕で肘を掴み取った。後は美琴のお尻を膝で押し上げ体勢を崩させ、横転させる。転がるように横転したことで今度は自分が馬乗りになり、美琴の上に身体を押さえつけた。そのまま拳銃を掴んで引っ張り、強引に奪い取った。


「形勢……逆転ですね」


「なぜ敬語? 君忘れてない? 僕が君の母親を殺めた殺人鬼だってこと」


「うるさいっ!」


「おいおい、拳銃を持つ手が震えてるぞ。拳銃のグリップをしっかり握りなよ。片方の手が疎かになってるとさっきの二の前だぞ」


竹内はグリップを握った右手を左手でゆっくりと包んだ。そして、美琴の眉間にその銃口を向けて肩で大きく息をしていた。


「早く引き金を引かないと、他の捜査官が来てしまうぞ?」


「お前に指図なんてされない。まずはお前が携帯している――」


竹内は拳銃を下ろして自分の腹にしまうと、美琴の腰辺りを叩くように触れて確かめる。


「……ない?」


「ない? あまり女性の腰回りを触らないでくれよ。僕だって最近は肉付きが良くなって恥ずかしいんだ」


「なぜ拳銃を携帯していない」


竹内は美琴のうわ言を無視して、思案を巡らせる。出立前に相互確認を行った拳銃がないこと確認する。いくら探しても拳銃は出てこない。美琴は拳銃を携帯していなかった。


「なんだ、僕の拳銃を探しているの? うーん。そりゃ、無いよ。こうすることを決めてたから。君の銃で殺すつもりだった」


「…………なら」


どこまでもふざけたやつだと思いながら、竹内は拳銃を構えた。


「最後に聞かせろ。なぜ母だったんだ。なぜ母を殺した」


「……それは…………僕の前を通り過ぎたからに決まってんだろ、バーカ」


竹内はその言葉を聞いて急激に脳みそへ血液が流れて顔の熱が上がっていくのを感じた。もういい。竹内は拳銃の引き金をゆっくりと――


「峰島!!」


部屋に入ってきた捜査官はクリーム色のコートをたなびかせて、息荒げに扉をあけ放った。竹内と美琴の姿を見るや否や、竹内に向かって蹴りを飛ばし右手の甲に蹴りが当たった。拳銃を手から零し、地面に身体を押さえつけられた。美琴はその様子を横目に自分の背中に付いた汚れを払った。軽蔑の視線を竹内に向けて、ため息をついた。


「くそっ! 大人しくしろ!」


「離せ! あいつを……あいつを!」


「はぁ。ありがとう、たくみ」


「何があった!? さっきの銃声は?」


竹内を押さえつけながら美琴へ視線を向ける。美琴は首を振りながら山本に背を向けた。


「さぁ。私にも分からないよ。急に彼が発砲してきた。僕も応戦しようと彼から拳銃を奪い取ったが、それもうまくいかず死を覚悟していたところだ」


「お前も話せ! 竹内! なんでこんなことした」


山本は竹内を押さえつけながら手錠を付けようとはしない。山本自身も同じ警察官同士で争いがあり、発砲事件になったとなればかなりの問題だ。それ自体も判断を自分で取れないため、手錠をかけることはできなかった。


「あいつは。あいつは……俺の母親を殺したんだ!」


山本は弾かれるように美琴の方へ視線を向ける。美琴は背を向けたまま何も答えない。沈黙は答えか。山本が目を見開いて固まった。思考を巡らすことができずに硬直してしまう。欲しいのは彼女からの否定だった。


「はぁ。犯人は村田成人だよ。たくみ、君にも分かっているだろう? あの証拠は偽装できない。間違いなく彼だ」


「……そうだ。竹内、お前の勘違いだ。村田成人が犯人しかありえない。話は後で聞く。今回は突入まで少し時間もある上に、発砲だと気づいたのはこの建物で待機していた俺らだけだ。職務に戻れ。この件はそのあとだ」


「はぁ。たくみ、申し訳ないが君の部屋で私も待機していいか? 少し心が落ち着かない」


「そうだな。とりあえず今は、村田成人の逮捕だ」


山本が竹内を開放し、立ち上がった。美琴へ視線を向けて自身のコートを背中に掛ける。


「大丈夫か?」


「ああ。少し焦ったよ。最後に少し……君のことを考えていた」


「な、なんだよ!」


「いや、私が死んだら君は悲しむかなって。すこし気になった。ふふっ」


「おまえなぁ」


「とにかく、早く――――」


――パァン。


――――――パァン、パァン


銃声が部屋に響き渡ったとき、一人だけその状況を理解し言葉を漏らした。


「はは。少しはやるようになったじゃないか」


彼女の言葉は銃声に吞まれてしまう。3発の銃弾は彼女の身体を射抜いた。倒れ込む美琴に駆け寄ることもできず棒立ちの山本と、しっかりと両手で拳銃を握って発砲した竹内。直後、この場は静寂に飲まれ風の音すら感じなかった。


「…………」


彼女は倒れてからぴくりとも動かない。


――ジジッ。只今より、村田成人の逮捕へ向かう。


無線から聞こえてくる声が山本の意識をこの部屋の中へ戻した。


「美琴!!!!!」


山本は彼女の肩を掴み、仰向けにする。銃弾は背中と腰の辺りに2発。全て命中していた。多量の出血を止めようと手のひらで覆うが、それでは止めることができないほど溢れていた。


「ああ。死ぬな。死ぬな、美琴!」


「…………」


彼女の腹部を二箇所、ハンカチとワイシャツを千切って強く圧迫するが、彼女の出血は止まらない。彼女の手に触れてみるが、まだ少し温かい。


「きゅうきゅうしゃ……救急車!!」


振り返り、竹内に声をあげるが竹内は虚で拳銃を持ったままぴくりとも動かない。唇をかみしめて、自分のスマホで救急車を呼ぶ。すぐに応急処置へ戻るが、出血の量が減る様子もない。


「……ヒュー……ヒュー……」


「なんだ? どうした美琴!」


美琴は霞がかった視界で、目の前の人物へ言葉を伝えようとする。しかし、弱った身体では声にならず空気が抜けていくばかりだった。山本もその言葉に耳を傾けようと、彼女の口元へ耳を当てる。


「……り……とう」


「ゆっくりでいい。何か言いたいことが――」


「……ありがとう」


彼女はそれだけを口にして目を閉じた。まだあふれる血は温かい。温もりも彼女から感じることができる。まだ彼女は生きている。


――ビビッ。ビー。村田成人確保ー!! 村田成人確保!!!


ピーポーピーポーピーポー。


無線から聞こえてくる声と外から聞こえるサイレンが騒がしい。山本は救急隊が部屋に入ってくるその瞬間まで、彼女の止血に心力を注いでいた。

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