第21話

 僕は刑事同士の会話を聞きながら嘲笑った。村田愛子殺人事件。もちろん自分で起こした事件だから記憶している。しかし、あの場に自分の痕跡など残してはいない。それに死体だって、そういう風にわざと残したものだ。誰かがそこから自分を見つけることなんて不可能だ。


「……ザッ……ので……ザザッ」


「雑音がひどいな」


僕はそう思いながら刑事が次の現場に行く情報を手帳にメモした。山梨か。少し遠いなと思いながら、最近ちょろちょろと嗅ぎ回っている刑事に嫌気を指していた僕としてはこの場で始末できるのは願ったり叶ったりだった。


「なら、準備だね」


ロープにナイフ、携帯用盗聴セット……それらをリュックサックに詰めながら僕は笑ってしまった。それはまるで遠足前の子供のようだ。僕がここまで心躍ってしまうのは、あの捜査官たちが僕にとってかなりつっかえになっているからだ。ようやくケリがつくと思えば山梨など近すぎるほどの遠出だ。


「あ、これこれ」


僕はシルバーの腕時計を手に取ってバッグの中に押し込んだ。


 当日。僕はクラッチバッグを片手に自宅前の自動車へ乗り込んだ。


「おはよう」


「おはようございます」


僕は手元のスマートフォンで位置情報を送った。少しして運転手が携帯に目をやると車を走らせる。車内では一言も言葉を交わさず、イヤホンをして捜査官の動向を探る。探ると言っても、屋敷にはいつごろ到着するかの情報が欲しいだけだ。新幹線の駅アナウンスが聞こえてくれば時刻を大まかに割り出せる。


「…………ザザッ…………本日は……海……線をご利用いただき…………静……駅へは十時四十七分の到着となります」


「ははっ。都合いいな。いいところだけ聞けた」


僕は運転席のシートを掴んで前のめりになり運転手へ声をかけた。


「十一時三十分にあそこで」


「承知いたしました」


僕はイヤホンを外して少し目を瞑った。大仕事を前に眠気が身体を襲った。少し休もう。この車の中は限りなく安全だ。そう考えるとフッと意識がなくなり、背もたれに身体を預けた。


…………様


………………様


「ん~。ん?」


ゆっくりと目を開いて背伸びすると、運転手が僕のことを呼んでいた。


「着いたのか?」


「はい。まもなく、十一時三十分となります」


僕は腕時計に目をやると、確かにあと二十秒で十一時三十分となるところだった。僕が覚醒したとともにちょうど秒針が十二を指していた。


「ぴったりだ」


 僕は車を降りて屋敷の鉄柵を押した。鉄柵を完全に戻してから足元へ目を向け、地面にある跡を見る。捜査官どもはかなり鼻のいい奴らだ。こういった細かい痕跡も残さないだろう。念には念をだ。僕は足で土を荒らして跡を消した。


「さてと、どこに隠れようかな。こういう時に一番いいのは扉の後ろとか、カーテンの裏とかだけど、今回はリビングの台所裏かな。捜査官は犯行現場に夢中だろうからね」


僕は屋敷の壁伝いに歩きながら窓が開いている箇所で立ち止まった。


「ここだね」


僕はクラッチバックから黒い袋と、ハンマー、ベルトを取り出した。黒い袋に入れていた手袋をはめた後に、ベルトでハンマーとクラッチバッグを身体と挟むように固定した。靴を脱いで靴の上に立った。少し高めの段差を越えて部屋の方へ着地する。靴を回収して黒い袋へ詰める代わりに、中から帽子とサングラスと取り出した。自身の防犯対策はばっちりだ。唯一忘れていたことと言えば、くるぶしほどのパンツを履いてきたが、中にスパッツを履いてきていない。単純に、部屋から車の移動だったせいで暑くて脱いでしまった。


「まぁこれは自分の存在を残さないこととは別だから大丈夫」


中に入ると、すぐのところにロープで人の形を模られたものが置かれていた。それ以外は特に荒らされた様子もなく整然としていた。僕はゆっくりとそのロープを越えてリビングへと向かった。洗い物の途中だったと分かる皿や包丁がシンクに転がっていた。僕はその包丁を手に取り、思い出して笑ってしまった。


「懐かしいな」


そのまま包丁をシンクの中へと戻した。もうそろそろ捜査官がこの屋敷に到着するはずだ。笑みがこぼれてしまう。長年の夢がかなう瞬間だ。早く来いと切望するほどに――


――ガチャ


玄関の扉の開く音がした。誰かが入ってきた。いや、誰かが入ってきたなんてそ知らぬふりは止めよう。あの女捜査官に決まっている。少し泳がしてから頭に一撃喰らわせてやろう。僕は背中にベルトで固定していたハンマーに触れる。少し胸の鼓動が速くなるのを感じる。スポーツの大会前のような高揚感と緊張と、冷静さが入り混じったまさにベストコンディションだ。

向こうがゆっくりとした足取りで渡り廊下を歩く足音。リビングの扉を開ける音がする。耳をすますとなんでも聞こえてきそうなほど無音の空間だ。呼吸一つも意識しなければ相手にばれてしまう。少しでも相手に勘づかれない様に音のしない短い呼吸を繰り返す。長く息を止めてしまうと、息を吸うときに必ず大きめの音がしてしまう。短く呼吸を繰り返している方がよっぽど音は響かない。


「あれ、窓が開いてる」


それはもともと開いているものだ。意識しなくていい。早くリビングのシンク近くまで来い。女捜査官の足音が少し遠ざかる。僕の期待とは裏腹に窓際の方へいってしまったようだ。今、様子を窺おうと顔を覗かせるのは危険だ。うっかり顔を合わせてしまうリスクがある。まずは相手がこちらに来るのをじっくりと待つフェーズだ。


「そうか。当時のままなんだね。ならば余計に情報を探さなければ」


「竹内くんは到着が十二時三十分ごろだね。ざっと一時間」


もう一人の捜査官は一時間後の到着か。まったくのんびりとしているものだ。たるんでるんじゃないか?と苛立ちすら覚える。まぁ、僕の滞在時間が増えることへの苛立ちだが。女捜査官はそのあたりをうろうろしている足音だけ聞こえてくるが、棚に触れたり何か捜査しているような感じが一切なかった。


(何をしている? いい加減、捜査を始めろ)


僕が苛立たし気に眉を顰めていると、足音が少し近づいてきた。漆の棚が置かれている方へ向かう影がここからでも見えた。そろそろだ。僕がハンマーを構えると、女捜査官は棚から黄色いファイルを取り出してペラペラと捲っているのが分かった。少しずつ近づいていき、中腰になった女の頭を見据える。鼓動はどんどんと早くなっていき、僕の耳では振動を感じてから音が耳に届いているかのように…………


「あ」


ひらりと飛んできたチラシは僕の目の前に落ちた。


(まずい)


 声を出すよりも早く僕はハンマーを女捜査官へ振り下ろしていた。ハンマーは女捜査官の頭に見事命中し、そのまま倒れた。ひらひらと飛んできたチラシを払いのける。

女捜査官の方へ近づいていき、手に持っていた黄色いファイルを無理やり奪って中身を確認する。スーパーのチラシばかりで何の参考にもならないそれを捨てて、女捜査官の髪を掴んで持ち上げた。目は焦点が合っていないようで、口元には泡が溜まっている。目は開いているが、ほとんど意識がない。髪から手を離してスマホを取り出す。連絡を入れて、女捜査官の腕を掴んでリビングの中央へ連れていき投げ捨てる。


「後はこのまま放置してもう一人の捜査官が来るのを待つだけだな。えーっと」


女捜査官の胸ポケットにある警察手帳を持ち上げる。ペラペラと捲って『無遺体連続殺人事件』の捜査について様々なことが書かれている。


「峰島美琴警部」


警察手帳を放り投げる。一人目。僕は零れる笑みを押さえることができなかった。あともう一人始末すれば、無遺体連続殺人事件の対策本部は事実上の解散だ。これ以上喜ばしいことはない。これでようやく僕は解放される。もうすぐだ。僕は血の付いたハンマーを横たわる峰島警部のジャケットで拭き、シンクの裏へ戻ろうと立ち上がったところで峰島警部のスマホが鳴った。ポケットの中に手を入れて中を探る。震えるスマホを取り出して画面を開くと、竹内警部補から電話が来ているようだった。


「もう一人は竹内警部補っていうのか。へぇ、あの橋本とかいう刑事はこの事件から降りたのか」


ちょうど十四年前に最後の事件を起こしてから橋本とかいう刑事がしつこく追っていたが、最終的には対策本部からも下ろされたのだろう。僕は少しだけ重くなったハンマーを腰に戻した。


「こいつはここにあると邪魔だな」


スマホの電源を切り、テレビ台の方へ投げる。あと一時間、何をしようかな。

僕は今日の昼ご飯のことを考えながら竹内警部補がこの屋敷に来るのを待った。



――――美琴さん!!!


 僕としたことが、竹内警部補が来るまでうたた寝をしてしまっていたようだ。眠気眼を擦りながらシンクから少し顔を出した。竹内警部補は美琴に走り寄り、身体を見て損傷個所を押さえるようにして頭を高くなるように持ってきていたバッグを床と頭の間に置いた。


(ずいぶん冷静な相棒だ。だいたいは身体を揺すって慌てているのが関の山だろうに)


僕は少しずつ覚醒していく頭を振りながら、美琴へ釘づけになっている竹内に少しづつにじり寄っていく。


「早く救急車を――――」


救急車を呼ばれては面倒だ。僕は素早くハンマーを振り下ろした。竹内警部補の頭に命中し、頭を押さえて転がった。そのまま追いかけて追撃でもう一振りをしなければ。まだ意識はある。僕がすり足で竹内警部補に近づいていき、もう一撃。


――――ずるっ


ずる? 僕はすぐに何が起きたか分からなかった。足元に転がっていたの竹内警部補はそのまま蹲っている。ならばなぜ僕は床に向かって倒れているんだ? 激しい痛みがまず鼻先から走る。床に顔面から落ちたようだ。すぐに起きなければならない。僕は立ち上がろうとするが、足が掬われて立つことができない。


「くそっ!」


「…………逃げろ!」


「……う」


僕が首をめいっぱい捻って後ろを見ると、気絶させたはずの峰島警部が僕の脚を掴んだ上に僕が立ち上がろうとするたびに後ろへ引いて立ち上がれないようにしていた。


……腹立たしい。


 僕の下腹部の辺りから沸々と怒りが湧き上がる。激しい痛みで判然としないはずの峰島警部に僕計画が邪魔された。こいつは殺さないと。

僕は横に蹴りを入れるようにして身体を振り、峰島警部の腹部に蹴りを入れた。


「う」


峰島警部は痛みに手を離したが、すぐに僕の足を掴もうと手を伸ばす。僕は体を捻ってその手を避けて、すぐに立ち上がった。こうなればもうこいつを殺すだけだ。二人同時に殺しながら、捜査について聞き出そうなどとくだらないことを考えていたのが馬鹿だった。


「…………」


僕が峰島警部をしっかりと見据えて、ハンマーを振り下ろす。峰島警部は僕の方を向いて唖然としていた。ここまで判然と対応してきた刑事もあっけないものだ。僕は思わず笑みがこぼれてしまった。


「……や……めろ!」


僕の振り下ろしたハンマーが峰島警部に当たる前に空中で宙ぶらりんになる。身体を羽交い絞めにされて腕を振り回せない。竹内警部補だ。どいつもこいつもふざけやがって。時間がない。早くこいつらを始末しなければ。僕は後ろに向かって頭突きをする。しかし、後ろに目が付いているわけでもない。頭突きは躱され、向こうから頭突きをくらわされる。


「……うっ」


脳しんとうだ。軽い症状だが、思考がまとまらない。身体がふらつく。しっかりと立っていることすらままならない。


失敗だ。


このままこいつらを相手にしていることはできない。目標を変更して脱出だ。早く逃げないと。僕は脇をしめて目いっぱい身体を振った。相手も重症だ。簡単に振りほどくことができる。


「に……がすかっ」


「……くそ、くそ、くそ!」


僕はなりふり構わず、とにかく窓から出てこいつらから離れないと。振り解いた身体でふらつきながら窓に向かって一直線に走る。後ろからは転びながらも追いかけてくる竹内警部補が、何か大声で叫んでいる。


「この人殺し! お前の尻尾捕まえて、必ず牢屋にぶち込んでやるからな。母さんを殺したお前だけは…………許さない!」


何を言っているんだこいつは。こいつの相手をしている暇はない。僕は一秒でも早くこの屋敷を出なければならない。


「は……やく」


 僕は一度も後ろを振り返らず、走り続けた。しばらくして屋敷の方角で救急車のサイレンが聞こえてきた。僕はすぐにスマホで連絡を入れる。位置情報を送った。しばらくすれば迎えがくる。僕は木に背中を預けて、ゆっくりと腰を下ろした。


――暫く眠ろう。

今は、失敗のことなど考えなくていい。後で考えればいいことだ。

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