第20話

 美琴は先日、『無遺体連続殺害事件』の犯人により殺害された警察官 船橋氏の自宅を捜索していた。


「なぁなぁ竹内」


「なんですか、美琴さん」


「これ」


船橋のベッドの下からはお決まりのように成人向け雑誌が山のように出てきた。中には女性の裸体が表紙になっているものもあり、美琴はニヤニヤと頬を緩めながら竹内の肩を叩く。真剣に船橋の机を捜索していた竹内がため息混じりに「はい」と返事をしてから振り返る。

美琴の顔を見て嫌な予感のした竹内はすぐに向き直ろうとしたところを無理やり止められ、美琴が指差す方へ目を向けた。


「うぇ!?」


「あははは。凄いよねぇ。若いって」


「何してるんですか!? 真面目に探してください!!!」


声を上げて成人向け雑誌から目を背ける竹内を美琴が大笑いしながら指で突く。その手を払いながら竹内は背を向けて自分の捜索を続ける。



「事件に関係するものは特にないな。というより、あっても気がつかないが正解か」


「独り言いってないで仕事してくださいよ。船橋巡査の周辺調査は何より大事でしょう。こう言っちゃ悪いが、犯人が残した唯一の死体なんですから」


美琴に背を向けながら船橋のタンスを漁っていた竹内が釘を刺す。確かにその通りではあるが、これだけ捜索して何も手がかりが――


「ん?」


山積みとなったチラシの中に船橋のサインと押印のある紙が見えた。美琴は山積みのチラシからそれを滑らすように取ると、端を引っ張って広げた。

紙はくしゃくしゃだった。随分と酷い有様だ。


「なぁ、竹内。これ」


「はい? だから遊んでいる場合じゃ……」


「借用書だ。クシャクシャの」


紙の上部分を摘んで美琴は竹内に見せる。竹内はクシャクシャの紙に書かれている文字を目で追った。


「知らない社名ですね」


「ああ。少なくとも私たちが知れるような金融会社ではないということだ」


「…………もしかして」


竹内は髪をぽりぽりと掻きながら少し思案する。竹内が答えを出す前に、美琴が口を開く。


「この事件とこの借用書……一度、この会社について調べた方がいいかもね」


「そう……ですね。でもっ!」


「ん?」


美琴は首を捻った。複雑な表情を浮かべた竹内は、言葉を詰まらせる。


「もし、その借用書と今回の犯人が関係あるならそれは…………」


「未だに見つかっていない『無遺体連続殺害事件』の関連性を作ることになる」


竹内は口を閉ざす。先に答えへたどり着いた美琴は竹内の表情を見てようやく答えに気がつき目を大きくする。


「……ごめん」


「いえ……そもそも俺の母がそうだと決まったわけじゃない」


「そうだね」


その後の二人は言葉を交わさなかった。捜索の方も借用書以外で目ぼしいものは見つからなかった。五係に帰ってきた竹内はすぐに借用書をもって部屋を出ていった。


「はぁ。竹内美知子……彼女については少し調べておく必要がありそうだね」


美琴はポケットから携帯を取り出して山本へ電話をかけた。


「なぁ」


「ん? どうした美琴」


「珍しく君が彼氏で助かる」


「あ?」


美琴は警察署を出たすぐの公園に滞在していた。スマホでハウスクリーニングの日時希望を連絡していた。


「おう」


「あ、来たね」


「何の用だよ。俺だって暇じゃねーんだぞ」


美琴は口元に手を当てて「ふふっ」と微笑みを向ける。山本はその顔を見ると途端に大人しくなり、美琴の隣に座った。


「で?」


「ん?」


「…………いや!」


美琴は山本の話を耳で聞きながらスマホに視線を落としていた。その話を聞きながら先ほどのハウスクリーニングの日程予約をいつにしようかと考えながら山本へ視線を向ける。


「何してんの?」


「ん? この前のハウスクリーニングの予約さ。そうそう、その日程も決めたくて君に声かけたんだった」


「まぁ、いつでもいいよ。その案件なら橋本さんに言えばどうとでもなるし」


山本はその話を聞きながら少し眉を顰める。美琴はそんなこともお構いなしに、スマホの画面に夢中だった。


「それ、後にはできないの?」


「君にも伝えないと――」


「伝えないと?」


美琴は自分のお腹を押さえて少し黙った。山本は不審な顔をして美琴の顔を覗き込もうとすると、美琴は先に立ち上がり振り返った。


「うん。ご飯食べに行こう。お腹すいた」


「はぁ!?」



 美琴は定食屋の食台の上へジップロックに入ったクシャクシャの借用書が置かれた。山本はコートを脱ぎながらそれに視線を向けて「ん? なんだこれ」と声と共に美琴へ視線を移す。その美琴は定食屋の店員にメニューを指差して注文を始めていた。


「お客様は――」


「ん? ああ。同じもので」


「カツ定食お二つでよろしかったですか?」


「うん。問題ない」


「ありがとうございます」


店員はメモを取りながら厨房の方へはけていった。美琴は店員の姿が見えなくなるのを待ってから口を開いた。


「同じもので良かったのかい?」


「お前、美味いもんしか食わねーだろ。だからいいんだよ。俺の分もお前が考え終わったってことだ」


「変わってるね」


「誰が言ってんだ。てか、店員がいなくなった第一声はそれじゃねーだろ」


人差し指でトントンと机を叩きながら借用書へ視線を向ける。美琴もそれにつられて借用書へ視線を向けると「ああ」とあまり重要な話じゃないかのような反応をする。


「船橋氏の自宅から見つかった借用書だ。筆跡鑑定、指紋の検査、船橋氏の前後の収支など重要な項目は調べ終わっている。あとは、ここに書かれた会社のことを調べたいんだが…………あまりにも些細なことすぎて調べるのにあまり気が乗らない。だからこれ調べてくれないかい?」


「…………お前。これが本筋だろ」


「さぁ? 何を言っているか分からない」


美琴は店員が置いていったコップの水に口を付ける。山本の鋭い視線は美琴がコップから口を離して口を開くまで続いていた。


「まったく……疑り深い男だよ君は」


「刑事ってのは疑うのが仕事なんだよ」


「うん。こりゃ、一本取られたね」


頭をこつんと叩いておどけてみせるが、山本の表情は一向に変わらない。美琴はため息をついて山本の目を真っすぐ見て頭を下げた。


「頼む。これがカギになるはずなんだ。さっき言ったことはどれも決定打にならなかった。唯一なるものと言えば筆跡鑑定で本人のものだと確定できたことくらいだ」


「分かった。会社の実態調査なんていくらでもしてきたからな」


美琴は山本からその言葉を聞いてほっと胸を撫でおろした。それと同時に山本は一本指を突き付ける。


「ただし! 一つ条件がある」


「条件?」


「デート」


「でいと? 日付?」


「Dateじゃねーよ、デートだよ」


美琴は少し唇を尖らせて山本から視線を逸らす。


「そんなことか。いつでも言ってくれればいいのに」


「俺も、お前も刑事だ。いろいろと忙しいだろ」


「忙しいのは君だろう? 私はそれほど忙しくなかったよ。この事件に関わって残業が増えてしまったが」


美琴が指折り残業時間をカウントしていると、店員が間に割って入る形でカツ定食を持ってくる。


「カツ定食お二つです。ソースはテーブルの所からお取りください。からしはご利用ですか?」


「結構です」


「あ? 美琴、お前からし付けないの?」


「得体のしれないものは苦手なんだ」


山本は少し不貞腐れながらそういう美琴をくすくすと笑いながら「一つお願いします」と店員へと伝える。


トンカツに箸を滑らせながら話を続ける。


「だから、デートの件は了承した。だから会社の方は頼んだよ」


「一週間はもらうぞ」


「構わない」



その会話からちょうど一週間が経過した。集合場所は警察署前の公園。美琴がそこでのんびりと缶コーヒーに口を付けながら遊具で遊んでいる少年少女たちを見ていると、まるで殺人鬼のような形相で歩いている山本がこちらに向かって来ていた。


「でたぞ」


「ありがとう。それが?」


美琴は山本が手に持っていた書類を指さして言った。


「ああ。ほら」


美琴へ投げるように渡されたその書類を受け取り、ペラペラとページをめくると美琴は目を大きく見開いて手を止めた。


「これは…………」


「随分と悪い奴みたいだな」


「私も驚いている」


美琴が手を止めているページを横から覗き込む山本が、すぐに視線を逸らして公園で遊ぶ子供たちへ視線を向ける。


「金貸しの大元としてそいつの名前が出てくるとは思わなかった。だけど、面倒なのはそいつ。政治家も懐で飼ってやがる」


「こりゃ大物だったね」


「ああ。――村田成人。村田夫人殺人事件、船橋警官殺人事件、無遺体連続殺人事件。全てが繋がったな」


「まだ証拠がない。それを見つけない限りは検挙できないからね」


「それについては、村田夫人の殺人現場へ向かう必要が出てきたってことだな」


「ああ。すぐに向かうことにするよ」


「俺も行こうか?」


美琴は首を振った。


「いや、君にこれ以上迷惑はかけられない。それに――私には優秀な部下がいるからね」


美琴は少し微笑みながら山本へ言った。美琴はその資料を持って立ち上がる。山本へ後ろ向きに手を振りながら警察署へ向かった。


「はあ!?」


「今日から山梨の方へ泊りとなる」


美琴はコートとカバンを手に持ちながらパソコンに向かって何やら資料を作っている竹内へ投げかける。


「と、泊りって何しに行くんですか!」


「村田夫人殺人事件の現場へ向かう」


「村田夫人!?」


美琴は資料を竹内に向かって投げる。その資料は、橋本からもらった村田夫人殺人事件と、山本からもらった船橋氏の借用書に書かれた会社の詳細の二つだった。竹内はその資料を見てしばらく沈黙してから「分かりました」とだけ返事した。その返事を聞いた美琴はそのまま部屋を出ていき、「集合場所については追って連絡するよ」と言葉を残した。



 竹内が電車から出ると山梨は雪が積もっていた。サクサクと音を立てて雪をふみ歩き、バスステーションの辺りをキョロキョロと見回す。


「いないじゃん……」


時計を見ると、十二時を指していた。約束の時間なのに……ため息をついたところで、ポケットに入れていたスマホが震えた。スマホの画面に目を落とすと、美琴から位置情報だけ送られてきた。


「場所だけかよ」


竹内は三度溜息をついてタクシーを探した。ちょうど正面で止まるタクシーへ手を挙げると、タクシーのドアが開いた。タクシーに乗り込むと、運転手が低い声で目的地を訪ねる。


「どこまで?」


「あー。ちょっと待ってくださいね…………ああ、これこれ」


運転手に地図アプリを開いてみせる。運転手が少し無言になってから車を発進させる。


「お客さん」


赤信号で止まると、運転手は竹内へ声をかける。座席に深く腰掛けて、移動時間で寝ようととしていた竹内は慌てて居住まいを正した。


「は、はい!」


「ご親族で?」


「え? ああ、いや、仕事でして……」


運転手の突然の問いかけに明瞭に答えるわけにいかない竹内は仕事と誤魔化した。


「仕事……なにかそういう……テレビの仕事とかですか?」


「テレビ? ああ、いえいえ。そういうもんじゃないですよ」


「そう……ですか」


運転手はそれ以降、一言も発さなかった。しばらく市街地を走ってから山道へ続く道へと入っていく。当初は寝る予定だった竹内だったが、運転手の変な問いかけで妙に運転手を意識してしまい眠れなかった。山道は昼間のはずが薄暗い。周囲を囲む大きな木々が日の光を遮り、その影を地面に落とす。竹内はその雰囲気だけで少し心がざわついてしまう。


「余計眠れない」


「もうそろそろですよ」


竹内が顔を上げると、山道の先に光が見える。木々が途中で途切れて開けた場所へ辿り着いた。青い屋根の大きな一軒家の正面にある鉄柵の門構え。その前でタクシーは止まった。


「着きましたよ」


「ありがとうございます。ここです、ここ」


タクシーのパネルをいじって金額を表示した。そのまま体を半身捻ってトレイを肘掛けに置いた。


「1560円です」


「これで」


竹内はスーツの内ポケットに入れていたカードケースを取り出すと、クレジットカードを運転手へ渡した。運転手は一拍置いてクレジットカードを直接は受け取らず、トレーに乗せて預かった。端末に差し込み、支払いを終えると竹内へそのカードを返した。


「お客さん……」


「はい?」


 竹内がそのカードをカードケースに仕舞い、内ポケットへ入れるところで声をかけられる。運転手はすごく難しい顔をして、竹内を見ていた。竹内が首を傾げていると、運転手はゆっくりと口を開く。


「いや、刑事さん。お疲れ様です」


「え!? 刑事って……言いましたっけ??」


「ああ、いえ。職業柄、目はいいもんで」


「あ」


竹内は胸ポケットにしまっていたカードケースと警察手帳に目を落とす。まさかスーツの胸ポケットにしまっていたのを見られるとは。刑事は必要以上に慎重でならなければならない。美琴に口酸っぱく言われていたのにドジを踏んでしまった。


「どうも」


竹内は頭をさすりながら軽く会釈をしてタクシーから降りた。そのタクシー運転手はそれだけでそれ以上に触れることもなく去っていった。


「なんだったんだよ」


竹内はそのタクシーが遠く見えなくなってから門が前の正面に立って、左右に目を向ける。美琴の影はない。「本当にあの人、自由すぎんだろ」と愚痴をこぼしながら鉄柵を押した。鉄柵を押した時、少し違和感に気がつく。


「あれ、跡ができてる」


鉄柵の先は鋭く尖っており、押し開くと土に跡が出来るようになっていた。今では廃墟になっているという村田邸で、鉄柵が開かれたということは…………


「あの人、中か」


少し早足に建物へと向かった。


 美琴は村田邸の殺人現場であるリビングに立っていた。人型に置かれたロープは被害者である村田愛子がその場で絞殺されたという印だ。カーテンが閉められてはいるが、窓は開いていた。村田愛子が亡くなってから現場は時間が止まっていた。鑑識の現場検証や、刑事の捜査が二回ほど行われてから一度も現場は人の手が入っていない。そのため、犯人が残したままの現場になっている。美琴はリビングに置かれた漆塗りの棚へ目を向ける。その場でポケットから白い手袋を取り出して手を合わせる。殺人の現場とは普通、もっと凄惨なものが多い。それは人が死ぬという行為への抵抗による痕跡だ。


ただこの現場はその限りではない。まるで村田愛子自らがこの場で自殺したのかと錯覚するほどによく整頓されたものだった。美琴は棚の中に入れられたいくつかのファイルを取り出してひとつずつ目を通していく。何か手掛かりがないか確認していくと、黄色いファイルに閉じられたスーパーのチラシをまとめたものがあった。


「スーパーのチラシ?」


チラシはそれぞれが違う店舗のもので、東京の店舗のものや、この辺のものが入り混じっていた。美琴はそれぞれを見て眉間に皺を寄せる。


「なんのためにこんなもの」


美琴がそのチラシをペラペラとめくっているところで一枚の紙が床に落ちた。


「あ」


美琴はそのチラシを目で追った。美琴はそのチラシを拾おうと手を伸ばす――――


――――ゴンッ


鈍い音が耳に広がった直後、衝撃から耳鳴りが始まり身体は横倒しになった。震える手が自分の目から見える。身体を起こそうとしても動かない。視線は自分の伸びた手へ釘付けになっていた。


「…………」


微かに聞こえる足音と、自分が持っていたファイルが強引に奪われる手の感触はあった。遠のく意識の中で、これから来るはずの竹内に来るなと心の中で願い続けた。

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