第18話

 ぐったりと横たわる男性を横目に、財布から個人情報を確認する。彼のスマホは全て指紋認証で、家族とのやり取りなどを確認する。大学での生活についても友達があまりおらず、履歴が残っていない。

もちろん事前に調べ済みだが、本人のスマホでもそれを確認する。そうすることで死亡発覚のリスクが減り、家族の捜索願の可能性もないとなれば、家の充実した家財、男子大学生という学歴含め僕のものだ。部屋の血の気を残さないために絞殺を選んだが、久しぶりの殺人にえらく疲れてぐったりとしてしまった。扉を開いて外の車へ合図を送ると、しばらくして部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「開いてるよ」


「失礼しやす。これは随分と綺麗な現場で」


老人が丁寧に靴を脱いで、靴下で廊下へ上がった。僕は壁際に寄って老人を中へ案内する。青年がベッドの上でぐったりと倒れており、長い髪で顔が隠れていた。老人は青年の首筋を見て「ほぉー」と声を上げる。


「ん?」


「いやいや、首筋に綺麗に索状物の跡が残り死んでいる。ここまでのことをこんな華奢な子がやっているとは、だれも思わないでしょう」


老人は配達員のような風体で持ってきた段ボールを開いた。僕は彼の「処理」には興味があり、あまり見せないその現場に目を輝かせていた。すると老人が青年を肩に担いで、段ボールにいれたところで手を止めた。


「こんなくれぇとこで、そんな目輝かせてみないでくだせぇ、旦那。こんなもん見ても、なんとも面白くねぇですよ」


体育座りのようにさせた青年を段ボールへ詰めると、ガムテープで止めて抱え上げた。


「ここまで台車を持ってくればいいのに」


「そんなことしたら、マジックの手品を見せるもんですわ。だからこうしてるんです」


老人は帽子を深く被りなおして段ボールを抱えた。僕は「代わりに持とうか?」と提案したが、この格好でなければ意味がないと断られてしまった。それにしても、一か月はここで住んでいても問題ないだろう。ただし、生活感を出すかは悩やみどころだ。老人が部屋を出ていってから、部屋の中をぐるりと見まわした。


「随分と質素だな」


壁紙は初期の白壁に某家具店のタンスとベッドに、可動式の机とパソコン。殺しの知識は深いが、普通の大学生生活がどんなものなのかが分からない。それに退去前には掃除屋の旦那に掃除を頼まなければならないことを考えれば、あまり散らかしたくもない。そしたらこのままにしておくのがいいか。

しかし、本人の特定へつながるものはできるだけ避けておきたい。僕は机の中から上の棚にあるもの全て、目を通して特定されかねないものを省いておかなければならない。掃除屋の旦那に発注していた教材で、棚や引き出しの中を埋めていく。何となくヘアゴムや、コンタクトの残骸を残して生活感を出しておこう。


「これでよし」


 室内に備え付けてあった壁掛け時計に目を向けると、午前3時を回っていた。随分と時間がかかってしまったと、頭を抱えたがここは「自宅」だ。ここで眠って、一週間後の美知子さんとの「おうちデート」を待てばいい。そうして目を瞑ろうとしたところで、ポケットの携帯電話が震えた。


「はい」


「俺だ。仕事だ。支度しろ、下で待ってる」


「あ。僕、今は屋敷にいなくて……少し時間かかります」


 電話口の『彼』は一瞬無言となってから「分かった」と電話を切った。おそらくはこんな時間にいないことを不審がられたのだろう。到着次第そのまま話せばいいだろう。人を殺したと話せば、容易に許してくれるはずだ。僕は寝ようと引っ張り出してきた毛布をベッドの上に広げて、少し眺めてからため息をついた。


「少し寝たかったな」


 部屋を出るとき掃除屋の旦那から厳しく言いつけられていた鍵をしてから、屋敷へ向かった。


 僕が屋敷に着くと、既に掃除屋の旦那が車の運転席についていた。屋敷の裏口に止まった車へすぐ乗り込んだ。


「遅いぞ」


「いや、少し遠くて」


「何してた」


「人を片づけてました。足も付かないようにしたので問題ないです」


 僕の話を聞いた『彼』は口端を緩めて、「そうか」と口にしてから口元を手で隠した。


「お前の成長が嬉しいよ、俺は」


「はぁ」


「しかし、お前の粗雑な犯行には不安が残る。後で連れていけ」


「はいはい」


 『彼』が僕にそう伝えた後、運転手の彼へ視線を向ける。運転手の彼が、それに気が付くと頷いた。ゆっくりと車が動き始めたが、僕はまだ行き先を聞かされていない。この車はサイドにカーテンがされていて、自分が今どこにいてどこへ向かっているか分からない。前も運転席と助手席の隙間から外の景色を窺うことはできるが、情報量が圧倒的に少ない。


「どこへ向かうんですか?」


「まぁ少し野暮用なんだ。お前には早急に片付けてもらいたい」


「りょうかいです」


 しばらく沈黙が続いていた。完全に舗装されている道を走っているようだったが、時々がたんと大きく揺れては左右に身体を振られながら車は目的地へと着いた。『彼』が先に出て辺りの様子を確認してから僕へ視線を向けた。『彼』は無言で自分の首のあたりを指さしてトントンとした。僕はフードを被り、外へと出た。そこは住宅地などではなく、辺りが森に囲まれた大きな家だった。


「ここに住む人間は一人だ。素早く殺して帰ってこい」


「はぁ。それってどっちですか?」


「どっち?」


『彼』は訝し気に僕の方へ視線を向けた。僕も言ってからしまったと思ったが、仕方なく素直に答えることにした。


「性別ですよ」


彼は無言で顎を上げる。早く行けということなのだろう。僕は口をとがらせて、『彼』に少し聞こえるような声で「やだなー」と答えて歩き出した。最近、彼女と出会ってから女性を殺すことに、少々躊躇いが出るようになった。今回も女性だったら少し気が乗らない。そんなことを『彼』が知ったら怒るだろうが、わざわざそんなことを口にはしない。そんなことを考えていると、後ろから声がかかった。


「性別など関係ない。お前にとっては動く人形だ。肉体的特徴などただの装飾にしかならない」


「確かに」


適当な相槌をうって、屋敷へと向かった。


 大きな扉の前に立った。すごく音が出そうだ。中の人物に気づかれてしまう。僕が裏手に回ろうとした瞬間、窓ガラスが割れる音を耳にする。僕は慌ててしゃがみ込んだ。


「なに!?」


「ここから入れ」


 僕が目を丸くして音のする方に視線を向けると、『彼』がハンマーを手に持って窓ガラスの施錠を解いた。僕は思わず声が漏れそうになる。それを手で押さえて頷いた。

中へと入るとペルシャ絨毯が敷かれている床で、暗闇では先の見えないほどの豪邸だった。天井は見上げただけでは見えず、電気を付けなければ周囲を視認することすらできない。僕では見たこともないようなモニターが左手の壁に埋め込まれており、いったいどこの部屋に標的がいるのかも分からなかった。僕が一度、『彼』にその状況を伝えようと振り向くとすでに『彼』の姿はそこになかった。


「はぁ。どうすればいいんだよ」


「だ、だれ!?」


 その声が耳に届いた瞬間、僕は『彼』の思惑にようやく気が付き、下唇を強く噛んだ。女だ。僕が性別を気にしていたのを知った『彼』は標的との接触をわざとさせて、僕から冷静さを失わせる目的だろう。その声には答えず、腰に隠し持っていたナイフを取り出した。女は僕のことを視認して震えるようにその場で動かなくなってしまった。

僕は女の太ももへ向かって一突きする。女は悲鳴をあげてすぐさま逃げようとするが、刺された方の脚が身体を支え切れなかった。反転しようと体重をその脚にかけた瞬間、その場で膝をついて崩れた。すかさず女を押し倒し、女の腹部を刺して首を押さえつける。暴れる女に力はなく、声を出そうにも首を押さえつけられていて声が出せないようだった。しばらく僕がじっとしていると、女の方から動きがなくなり首から手を離した。辺りは血まみれだったが、自分のパーカーはあまり血が付いていなかった。ほっとして立ち上がろうとしたところで気が付いた。床に膝をついたところがべっとりと血が付いていた。


「きったないなぁ」


「終わったか」


 外から『彼』の声が聞こえて頷いた。いつもならそれを聞いて中へ掃除屋の旦那が入ってくるが、今日は誰も入って来なかった。僕が外に出てから『彼』が交代に中へ入っていった。すれ違いざまに『彼』は僕に耳打ちした。


「今日はもう帰れ」


「え」


 珍しく『彼』が僕だけを先に帰そうとしている。不思議に思い振り返るが、暗闇に溶けていく『彼』の背中はいつにも増して影を落としており、話しかけられるような雰囲気ではなかった。僕はそのまま車に乗り込むと車は動き出した。


僕はまた久しぶりの殺人で、ぐったりとしていた。そのまま眠ってしまおうと思ったが、掃除屋の旦那にさっきのことを聞いてみようと声をかけた。


「『彼』は連れて行かなくて良かったんですか?」

 

「ええ。旦那様のご命令です」


 掃除屋の旦那はそう話しながら、何か思い出した様に声を漏らした。


「そういえば、あの部屋はいつ退去なさるおつもりで?」


「うーん、来週一回使うんだけどそれ以降はいらないんだよね」


「ならば使い終わったら教えてくださいませ。片づけに参ります」


「ありがとう」


 来週はいよいよ、家に美知子さんを招待する。あの質素な家をどうアレンジしようか、今にも楽しみで仕方ない。早く家に帰って進めよう。しかし、今は疲れがたまって眠気が襲ってくる。揺れる車の中でゆっくり目を閉じた。

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