第17話
僕は彼女に会ってから確実に殺しの数が減っていた。あの日以来、『彼』があまり僕に仕事を振ってこなくなったというのもあって、彼女と会う生活を続けていた。『彼』の言っていたやりたいことがなんなのか分からないまま、僕は『彼』のもとで二年半の月日が過ぎようとしていた。
「そういえばさ。大学の方は順調?」
「急にどうしたんですか?」
駅前のカフェテリアの外テラスでコーヒーカップに口付けてから、彼女がそんなことを言い出した。僕は彼女に大学二年生であるということを伝えていたが、あまり大学の話はしたことがなかった。実際には大学どころか、中学生くらいの年齢なのだから大学生活の話なんてできないのだけど。僕が聞き返すと、彼女は化粧で桃色になっていた頬を朱色に近づけて僕から視線を逸らした。
「だって。将来の旦那さん……というか娘の将来が気になるのは母親の義務でしょう?」
僕が女であることを知ってから彼女は少し喧しくなった。彼氏になったのか、娘になったのか僕には分からないが、異様に身だしなみや、普段の生活を気にするような発言が多くなった。栄養の取れたご飯を食べているかとか、洗濯や掃除、それこそ学校生活に至るまで事細かに知りたがる。僕としては彼女に興味を持たれて嬉しく思う反面、嘘をついている都合上、作り話がうまいわけでもない僕は毎回、冷や汗をかくような綱渡りをしていた。
「うーん。大学の単位は順調ですよ。うちの大学は土日に講義ないので、こうして美知子さんにも会えていますけど」
「ならいいんだけど。何か困ったことあったら言ってね。大学の講義については高卒の私じゃ役立たずだけど、料理くらいなら作りに行ってあげるわ!」
僕は思わず「うーん」と唸ってしまいたくなる。これも最近多くなった彼女の発言の一つだ。やたら僕の家に行きたがる。正直、嘘をつくよりもこれの方が困っている。僕が普通のアパートに住んでいれば、是非とも招待してあげたいが、『彼』の屋敷横にある小屋では格好がつかない。さらに、『彼』が彼女を見つけたら危害を加えることは明白だ。どうにか自宅を偽って、彼女を連れていくことはできないだろうかと思案する。僕はそこで一つの答えを見つけた。
「そうだっ! 今度、美知子さんに来てほしいです。来週の日曜日なんてどうですか?」
「えっ! いいの!? ぜひ行きたい!!」
彼女はパーっと表情を明るくさせて、「ありがとう」と言って僕の手を握った。彼女のスキンシップはこれくらい普通らしい。僕としてはドキドキが止まらないし、どうしていいのか分からなくなってしまうからそういう近いスキンシップはやめてほしい。急激に体中が熱に包まれて、手から汗が止まらない感覚になる。すぐに彼女から手を離す。
「ぜひぜひ! 待ってますから」
僕はそう言ってコーヒーカップの中身を一気に飲み干して、席を立ちあがった。今日はこのランチタイムだけで彼女はこの後、用事があると言っていた。だからもう解散しなくてはならない。僕も早くやるべきことができた。
彼女と別れてから屋敷に急いで戻って、屋敷の入り口のインターホンを押した。
「すみません。掃除屋の人をお願いします」
「……」
少し間を置いて「お待ちください」と声が聞こえて、インターホンがぶちっと切れた。僕がしばらく玄関の前で立っていると、この前車内で見た腰の曲がった老人が姿を見せた。
「どうも」
「ああ。掃除屋さん! お願いがあるんだ」
僕が彼に嬉々として話しかけると、彼は随分と顔を顰めて僕を見つめていた。僕がそのことを不思議に思って「どうしました?」と声をかけると、彼は曲がった腰を更に曲げて顔の前で手を振った。
「なにもございません」
僕は彼の不思議さに口をとがらせるが、彼は僕を見ることなく腰を低くすることに徹していた。
「僕は『彼』じゃないんだ。もっとフランクにしてくれよ」
「いえいえ。私目は、旦那様と屋敷の方々の召使でございます。相応の態度というものでございます」
老人は腰を低くして目を合わせようとはしない。僕は少しムッとして彼を見るが、彼はこちらに視線すら合わせないので意味がない。彼はそのまま話を続ける。
「ところで、何の御用でお呼びでしょうか?」
「僕の頼みってのはね……」
日も落ちて暗闇の中で、一棟の木造建築アパート前で車を停めて老人は待っていた。老人は待っている間も、なんで私がここにと嘆きたいような気持だった。『彼』から頼まれた仕事には正確にこなす自信はあるが、随分と自分勝手なお願いをされてしまったと頭を抱えたくなる。
「なぜ引き受けてしまったのか……」
どうも年を取ると、若者のキラキラとした輝きに圧倒されてしまう。思わず頷いてしまうほどに圧倒されていたのかと嘆息をもらす。
あの若者に関しても、どうも殺人鬼っぽくはない。彼の後始末で入ったことがあるが、見事な殺傷で幾重にも及ぶ死体を積み重ねている。
しかし旦那様の言っていたような、人面獣心の殺人鬼とはかけ離れている気がする。本能のままというならばそうなのかもしれないが……。この仕事も、あと何年続けられるのだろうか。旦那様の夢が成就するまでそう遠くないはずだ。今の仕事を辞めたら何をしようか。そんなことを考えながら老人は運転席で一人笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます