第16話

「へぇ、あれって僕の家族だったんですか」


『彼』は動き出す車の中で、僕の声を聞いて笑い声をあげた。僕は目を見開いて『彼』を見返した。僕は『彼』と関わりを持ってから二年間、笑い声なんて聞いたことがなかった。信じられないものを目にして固まってしまった。


「はは。すまないな。お前の成長が嬉しく思うよ」


「どうも」


僕はぶっきらぼうに『彼』へ返答した。車は止まり、『彼』に降りるように伝えられる。僕は車から降りると、扉を閉めて窓だけ少し開けた。


「手筈通りに」


『彼』は一言だけ伝えると、車を走らせるように指示を出した。

 

 僕はナイフの切れ味を確かめるため、部屋に転がっている掛け布団に突き刺して、真一文字に引いた。何の抵抗感もなく布団は引き裂かれ、綿が飛び出した。


「何の問題もないな」


僕は静かな部屋の中で、足音を立てないように歩いた。山本浩二。今回のターゲット。警察庁一課の課長。課長であるが、女とギャンブルで破産寸前らしい。しかし、今回はその山本を殺すわけではない。その側近である「村本」という男を見せしめで、殺して枕元に置くのだという。なんとも悪趣味な話ではあるが、僕の仕事は村本を殺すことまでだ。


 随分広い家で渡り廊下のフローリングを歩くのも一苦労だ。オシャレな螺旋階段で歩きづらい二階に上がり、すぐ右手の部屋に手をかける。その時に思わず左手首を確認してしまう。ちゃんと外してきている。黒い手袋をしていてもその感覚だけはしっかりとある。手入れがきちんとしてあるのか、新築なのか知らないが、音一つ立てずに扉がすっと開いてくれた。夫婦で別々の部屋を使って寝てくれているおかげで、犯行を実行しやすい。


「あれか」


――ベッドですやすやと寝息が聞こえてきそうなほど穏やかに寝ている男。


「随分とお行儀がいいんだな」


いびき一つかかず、寝返りもあまり打っている様子がなかった。しかし僕は、それにしかめっ面をする。こういう人間は決まって眠りが浅い。少しの物音、空気の変化で目を覚ますことがある。しかも刑事だ。そんなことは当たり前に可能性として挙がってくる。だから事前に犯行する段取りは決めている。叫び声すら上げられないほどの一瞬で殺害する。それしかない。部屋の中でゆっくり、ゆっくりとベッドに近づいていく。音は聞こえていないはずだが、村本は布団の中で少し身じろぎする。起きるのではないかと心臓の鼓動が早くなる。

人体の解剖にはものすごい知識があるわけではないが、人間を殺すのは正面からではなく、背後からとよく言われている。人間は正面に多くの急所を持っている。そのため、その急所を避けるため、守るために人間の身体は非常によくできている。だから背後から内臓を破損させることができれば、ショック死させることができる。そのため、村本の身体を少し倒してうつ伏せにしてナイフを差し込めばいい。ただし、普通に差し込んだところで肋骨に阻まれて刺しきることはできない。


――だから


「なっ!」


 横向きに寝ている村本をうつ伏せにして馬乗りになった。ようやく村本は気が付いて、身体を起こそうとするが動くことはできない。成人男性であってもうつ伏せで馬乗りにされると、簡単に起き上がれない。それを知っている僕は、素早く背中の腰より少し上の辺りを親指の腹で押し付け、でっぱりを確認する。肉が付いていても、ボコッとした肋骨の隙間は見つけることができる。そのまま真横にナイフを突き立てていく。


「ぐふっ」


未だ暴れる村本は声を上げようとするが、うつ伏せで声を上げても布団に声が吸収されてしまう。布団から体を離そうとしても腹のあたりで馬乗りされているせいで、腹筋が使えない。人間は腹筋を使えないと起き上がることすらできない。藻掻くことしかできない村本を無視して、突き立てたナイフはどんどんと奥へ進んでいき、先端に柔らかい感触があった。


「ここだ」


僕はそのままぐいぐいと奥までナイフを進めていくだけで、数秒後に村本はこと切れた。まるで糸人形のように手足を放り出してベッドの上で動かなくなった村本を見て、僕は携帯を取り出した。


「始末した。掃除屋を」


僕はそれだけ口にして二階の窓から下を見下ろした。芝生のある庭だ。ここから一般の人間が下りたとしたら助かるだろう。しかし、貧弱な自分では骨が折れて動けなくなりそうだ。僕は仕方なく歩きづらい螺旋階段を下りて、堂々と玄関を出ていった。玄関を出ると黒塗りのバンが停められており、中には『彼』が乗っていた。もちろん『彼』が運転手ではなく、隣に運転手を乗せていた。


「随分と荒い犯行だったな」


「そうですか? 僕的にはスマートに事を終えたと、自覚してましたが」


『彼』はため息をついて、首を少し捻った。そのまま顎をくいっと上げて車に乗れとジェスチャーをした。僕は素直に車の後部座席へ乗り込むと、老人が一人座っていた。


「君は?」


「へぇ。掃除屋であります。ご主人の命令通り、彼は片づけて山本という男の枕元に添えておきます。掃除屋としては、現場があまり荒れていないようですのでありがたい限りです」


「世辞を言うな。こいつのせいで誰か起きた可能性がある。面倒だが、発見したら処分しておけ。仕事を増やして悪いが、頼むぞ」


「承知」


腰の曲がった老人は車から降りて、山本宅の玄関から堂々と入っていった。僕は老人が玄関へ入っていくまで視線で追ってから、『彼』を怪訝な表情で見つめた。


「あれ。本当に大丈夫なんですか? どう見ても頼りになりそうじゃないんですが」

 

「あはははははは。そ、そうか。お前もそんな風に思うか」


なんとも嬉しそうな声音で笑う『彼』が不気味で、少し顎を引いて距離を取った。怪訝そうな表情で『彼』を見る僕を見て、さらに大きく『彼』は笑った。


「気持ち悪いです」


「あはは、はは。すまない。いや、実に愉快だ。あれほど優秀な掃除屋でありながら風体はみすぼらしく、無能さをあふれ出している。私の求めていた完璧な人材だ。人材がこれで揃った。ようやく私のやりたかったことが成就する。働いてもらうぞ」


ギラギラと光る眼が、外の宵闇と合わさってより一層妖しさを際立たせる。僕らも知らない『彼』のやりたかったこと。だが、彼との約束でまで五人だ。これでようやく解放されて、僕は彼女とどこか遠くで暮らしていける。しかし僕は、一般的な生活ができるだろうか。そんな不安が頭をよぎるが、それより今はいつか来る未来に心躍らせて車に揺られていた。

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