天使の羽は砂糖菓子のように甘い

ばち公

天使の羽は砂糖菓子のように甘い

 きっと僕ら以外は知らないだろう。


「じゃあ、みんな手を合わせて」

「天に感謝を。天使を遣わされた天に感謝を」


 天使の、


「――それでは、いただきます」


 天使の羽はまるで砂糖菓子のように甘い。



「なんだってするよ」


 と、なによりもまず僕らに申し出たのは、天使の方からだった。

 子どもたちだけで暮らす僕らを天使は哀れみ、遠く天上の果てからやって来たらしい。僕らのために。


なんだって・・・・・?」

「うん」


 ほほ笑んで頷く天使に、僕らは顔を見合わせ、目を輝かせた。

 そしてその言葉のとおり、僕らは天使を寄ってたかって引きずり倒したのだった。


 しかし知らなかった。天使もいざとなれば、顔を青くするらしい。

 止めてくれないかな、そんな人間みたいな反応。




 天使の翼からは羽を一つ一つ丁寧に抜いた。翼は猛禽のそれとよく似ていたが、輝く雪みたいな、一点のシミもない純白だった。

 使うこともなくぴかぴかの皿に、ほんの一枚の羽を乗せ、長テーブルに並べた。このテーブルと椅子から埃を払ったのは、ずいぶん久しぶりだった。

 レースのような装飾の白いテーブルクロスに、白い皿に、白い羽。

 僕らはそれぞれ席について、全員に羽と、それからピューターのナイフとフォークが行きわたっているのを確認してから、天への感謝と祈りを捧げる。


「……ねえ、天使さま食べちゃうの?」


 チビのマーサが、少し不安げに尋ねてくる。しかし彼女は聡い子なので、僕以外の誰にも聞こえないように声を潜めている。


「――いいんだよ。天使さまはそれを分かって此処にいらっしゃったんだ」

「そうなの?」


 マーサは首を傾げる。枝みたいに痩せぎすの身体で、唇なんて白くひび割れているのに、それでもあの天使を慮っている。聖人とはこの子のような者をいうのだろうと、僕はこの幼い子を哀れに思う。


「ああ。天は完全で、だから全てを知っている。マーサもそうやって習ったでしょう?」

「うん」

「だからこの天使さまも、全てを分かっているなかでここに遣わされてきたんだ。僕らが餓えていることも、こうして食べられることも。……だから、食べてもいいんだよ」

「そっか」


 納得と安堵に頬を緩ませ、マーサはナイフとフォークを手にとった。僕も改めて、目の前の小さなご馳走に向きなおった。


 僕らにとっての救いとは一かけらのパン、一掬いの清い水。

 天から来たのだから分かっていたでしょう。僕らの「救いを求める声を聞いて天から来た」と、そうのたまうなら理解していたでしょう。

 まるで化け物でも見るような目をして、お前は天から何を見てここに降り立ったというのか。

 だけどもう少し早く来てくれていたら、餓えて死ぬ子も出なかっただろうに。餓えて死ぬ子の後を追って、「これで食い扶持が減るね」だなんて、笑って死ぬ子も出なかっただろうに。


 フォークで押さえた羽にナイフを沈み込ませると、それはどんなケーキよりも柔らかく切れた。小さな羽の、さらに小さな一かけら。口にいれると、味も分からぬうちに舌先で溶けた。それでも何かを口にできた歓びと、ほのかに優しい甘さだけが後味としてふわりと広がる。


「おいしい、」


 ぽろりとついて出た言葉とともに、涙が頬を転がり落ちた。

 他の子たちも泣いていた。口元を抑え嗚咽を堪える子もいれば、顔を覆って崩れ落ちる子もいた。

 しかし彼らの前に並ぶ、全ての皿は空だった。まるで初めから何もなかったみたいに清く、見えぬ糧を乗せているみたいに見えた。


「……」


 僕は、残りの羽にフォークを刺した。



 きっと僕ら以外は知らないだろう。

 天使の羽は涙のようにしょっぱくて、そして砂糖菓子のように甘い。

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