命日
架電家電
命日
八月十五日は父の命日である。特に予定のないお盆休みの最中、スマホのブルーライトを浴びまくって少し霞んだ目で、この文を書いている。
父を思い出してみる。他人から見た父の印象は、家族思い、職人気質だけど人を笑わせるのが好きな、明るく愉快な人間。そんな感じだろうか。幼い頃の私は、父のことがあまり好きではなかった。これは父が居酒屋を経営しており、夜型の生活を送る父と顔を合わせる時間が少なかったためだ。よく触れ合う母と違う、固くて大きな手のひら、浅黒くて分厚い身体。こもったような低い声。体が小さく警戒心が人一倍強かった私はそれらを異物と認識して、父と出かけることを嫌がり、「お母さんがいい」とよく泣いていた。
少しずつ心を許し始めたのは幼稚園ぐらいの頃だったと思う。父は子供をあやすのが好きな人間だったから、いつでも笑わそうとしてきたし、父の大きい身体に肩車されたり、抱っこされてぐるぐる回転されるとなんだか楽しいぞ、ということに気が付いた。幼い姉と私をたいそう可愛がり、おいしいものを食べさせ、来客や行きつけの店の従業員たちに冗談めかして「別嬪さんじゃろ」と自慢する。そんな父親だった。(私たち姉妹が思春期になってからも父のこれらの行動は変わらなかったため、一番最後の部分に関しては本気で二人とも嫌がっていた)
父と強く紐づいている思い出の風景がたくさんある。よく一緒に見に行った百貨店のお酒コーナー、様々な形の瓶が並んでいるところ。一度だけ連れて行ってもらった秘密基地のような薄暗いカフェ。そこで出されたもったりしたアイスココアの、真ん中に数粒浮かぶチョコスプレーとか。すっかり日の落ちた公園で、私がいつまでも乗れない自転車の練習に付き合ってくれた父。「下の車輪のとこじゃのうて、とおーくを見ない」 ※「見なさい」の方言
じゃあビルとか空の方を見ればうまく行くのか!と私が一漕ぎ、二漕ぎと自転車を進めた時、さっきまでその存在に気づかなかった月が、雲の向こうにうっすら透けて見えたのを覚えている。気を取られてぶっ転んでしまい、その日は諦めてとぼとぼと二人で家に帰った。
私は性格が暗く、友人もほぼいないに等しい。目つきも悪い。見るからに地味だ。学生時代、友人たちが自分に対する時だけ発せられる語気の強さとか、そっけなさとか、後ろから聞こえてくるくすくすとした声の中から聞こえてきた「知恵⚪︎⚪︎⚪︎」の単語とか、目に見えないものが恐ろしくてしょうがなくて、布団からまったく動けない日々を過ごしていた。今だって何かに怯えているし、お風呂場や布団の中で自分を責めることはあるけれど、自分を身限って手放すようなことはできない。父がよく私に言っていた、「うちのかわいい、大事な◼︎◼︎さん」の言葉が奥底に根を張っているからだろうと思っている。娘に対して真っ直ぐにそんなことを言ってのける、親馬鹿だったのだ。
父が亡くなって数年経つ。身内から聞こえてくる父の話は、あまり良いものではない。姉の大学進学の時、姉に「金を出して欲しいなら、頭を下げてお願いすべきだ」と言い放ったこと。営業する店はほとんど自己満足のようなもので、生活のお金のほとんどは母が稼いだものであったこと。店の客に対して母の欠点を論い、いつも笑い話の種にしていたこと。
外面のいい内弁慶、うつ気質、愚痴っぽい。これが父の本質なんだろうなと思う。だけどそこに目を向けるほど、幼い頃目にした父の姿が強く眩しく思い浮かぶ。それがなんだか恐ろしい。どちらも父だ。
父がいい人間だったとは思わない。けど、私の記憶の中の父に「嫌な人間」の文字を上書いて終わらせてしまうようなことはできない。これから先もそうだ。地獄よりは、天国に行っていて欲しい。かつて飼っていた猫と、病気の治った健康な身体で過ごしていて欲しいなと思う。
「うちのかわいい、大事な…」父の声がどんなだったか、忘れずにいたい。
命日 架電家電 @kadenkaden
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