塔
しばらく草原がつづいた。
鳥は長い一本道を歩いた。ぽつぽつと小屋がたっていたが、すべて空き家である。さみしい土地にあきあきして、だれもがいなくなってしまったのだ。
鳥は線路に吸いこまれた男について考えながら涙をながしていたが、やがて長い長い塔にたどりついた。塔は千人が手をつないで囲んでも両手がつかないほど太く、一万人が肩車をしてもてっぺんに指がとどかないほど高かった。
鳥は柱を見あげて、
「ひやあ、高いですね」
と話しかけた。
すると、塔から声が聞こえた。
「偉大なものは大きくなければならいので」
塔は風貌に似あわない謙虚な声色で、話をつづける。
「でもね、自分としては、もっとささやかな……人の手ですこしずつ積みあげた塔にあこがれるものです。そして、神様に目をつけられたいのです」
鳥は塔がなにを話しているのか見当もつかなかったが、
「神様にあいされたいのですね。私もです」
と、敬礼をした。すると、柱はくすくす笑いをして、
「どうぞ、お入りになってください」
と、自動ドアをあけてくれた。
中には受付があり、清潔な台に呼び鈴がおいてあった。鳥がコートをぬいで呼び鈴をならすと、どこからか金髪の受付嬢が現れた。
「お待たせいたしました」
りんとした姿勢の彼女は髪をきゅっとまとめ、首から入館証を下げていたが、ほかにはなにも身につけていなかった。鳥は目を白黒させた。
「面接に来たものなのですが……どうも、鳥ですみません」
受付嬢は鳥のあわてたようすを面白がり、自分のちぶさを両手で見せびらかした。
「いいんですよ。たしかにこれは人間用ですけど、鳥だってこの健康さをあじわうこ
とができますから」
「健康さですか」
鳥は堂々とした受付嬢にびっくりしたが、たしかにその健康さにおそれいり、今度は尊敬の目ですみずみまで観察してしまった。
「まあ、失礼ですのね」
と、受付嬢は怒った。
「そんなふうにあじわえとは言っておりません」
「はあ、それは、すみません……人間は健康さを、もっとつつましく味わうのでしょうか?」
「まあ! つつましくですって! 面白いことを言うのね」
受付嬢は歯をきらりと輝かせて笑った。
「あのね、人間について教えてあげましょう。はじにはじをかさねると、ふしぎなことにはじじゃなくなるの! くっついてしまうのですわ。ですから、できるだけはじらって見せるのですわ。試合延長ということですわ」
「つまり、あなたは本当は、はずかしくない?」
「もちろんですわ。自分が自分であることの、なにがはずかしいのでしょう」
受付嬢は鼻で笑うと、うぶな鳥をかわいがるような目でなでまわし、黒いふかふかの羽毛にだきついた。
「社長にお会いになるの?」
「ええ、そうなんです」
「さようでございますか。でも、残念ながら、社長は忙しくてお相手ができないんですの」
受付嬢は受付の横にあるモニターのスイッチを入れた。
金色の飾りがたくさんついた機械にかこまれた社長が、体中からはえた百本の手でスロットをまわしている。その体は台と渾然一体になり、目は物理的にスロットの回転にはりつき、二本の足はやることを失って、社長の口のかわりにタバコを吸おうとやっきになっていた。
「仕事中毒ですわ。ああやって稼いでは使わないと、うまく世間がまわらないので」
「あれが仕事とはふしぎですね」
「ええ、ええ、まともな精神状態ですと、そう思うに違いありません。ですが、社長の頭の中ではあれが仕事なのです。ああやって必死にスロットをしていないと、もうやることがなくなっちゃって、困るのですわ」
「社長も大変だ」
「ですから、かわりに人事部長が面談をさせていただきます」
受付嬢は鳥をエレベーターに案内した。すべてガラス張りで、広大なうつくしい空模様が見えるように設計されている。
「どうして就職なんてしようと思ったの?」
受付嬢がそうたずねた。
「せっかく鳥というすばらしい職業についているのに」
「もっとだれかの役にたちたいと思って」
「あなたたちはいるだけで、だれかの役にたっていますよ」
鳥はありがたく思って、
「そう言ってくださって、とてもうれしいです」
と言った。
「でも、真っ黒だから、どうしてもね」
「そうですね」
エレベーターが到着すると、開いた扉の先にガラス製の廊下がつづいていた。雲がいくつも浮いており、おびただしい量の肌色の人形がぶらさがっている。人形のまわりに作業服の人々がいて、退屈そうに粘土の腸を押しこんだり、ニッケルの脳みそをはめこんでいる。
「ここが、うちのかなめです。新入社員はここからスタートするのですわ。まず製造ラインに入ってもらって作りかたの勉強。そのあとは営業部に行って、そのあと適正によって開発部や企画部に配属される流れです」
「開発部なんてものがあるんですね」
「ええ、ええ、ありますよ。みんな長いこと昼寝から起きてきませんけれど」
受付嬢は、とある雲の上を指さした。白衣を着た死体が積みかさなって山になっている。
「でもあなたは羽がはえているから、きっと特別な仕事があるはずだわ」
鳥はほんのすこし得意げな顔をすると、頭をかいた。
受付嬢はふいに、
「あれを見なさいよ」
と、高笑いした。そこには、白い毛むくじゃらがいた。マジックペンをにぎって人形の股間になにかを書きつけている。
「あれも特別な仕事よ。あのおじいさんはね、ずっとアソコの毛を書く仕事をしているの」
「そりゃすごいや」
鳥はまじめに感心した。というのも、そのマジックペンが描く線は非常な職人技だったのだ。
「おもしろそうだ。その仕事がしたいなあ」
職人は、ちらっと鳥を見ると、
「あんたの羽を一本くれるならいいぜ」
と、言った。
「それはむりよ」
受付嬢がニヤニヤと笑った。
「あんたの影とひきかえにしても、しょせん人間は飛べないんだから」
「だが、俺たちは天国に近い場所にいるよ」
「近い場所に、ね。落ちたら遠ざかるだけ……」
受付嬢はふいに悲しそうに眉をひそめ、廊下のはしにハイヒールの角をひっかると、ぴょんと身をなげた。彼女の体は降下して小さくなり、雲と空のあいだに消えていった。
鳥と職人は、その姿を見送った。
「あわれな。あんたがそっけないから」
職人はつぶやいた。
鳥はそう言われてはじめて、羽を与えなかった自分の罪を自覚して悲しくなった。だが、羽をあげることはできなかった。受付嬢が言うように、人間に羽は生えないのだ。
「私、人事部長さんに会えって言われたんです」
「どうして?」
「就職をしに来たんですよ」
「ふうん」
職人は雲から降りて、鳥をさらに上階へ案内した。エレベーターのボタンを押す手に毛がからまりついていたので、鳥は心のなかで「ウエッ」と思った。
「なんであなたは専門家になったんですか?」
「そりゃ、女がすきだからさ」
「でも男の毛だって書かなきゃいけないでしょう」
「だからだよ。俺の毛を女のアソコに生やさなくちゃならん」
鳥は、やはりこんな会社はよしておくべきだったかもしれないと思った。男はそんな反応には、なれっこなのか、
「世間しらずなんだな」
と、べつだんバカにするようすでもなく感想を言った。
「男と女になれているやつは、この話をすると笑いだすものさ。なぜって、どんなきれいな女の毛でも、アソコの毛は汚いからさ。俺の毛なんだから当然だって、何度も言ってやってるのに」
「あなたがきれいだったよかったんですけどね」
鳥がそう言うと、職人は鼻で笑った。
「わかっていないね。きれいじゃないほうがいいのさ。きれいじゃない女のほうがあいされるよ。俺は女がすきだから、あいされるようにしてやりたくて、わざとうす汚くいるんだよ」
すると、職人はみるみるうちに受付嬢になった。彼女の顔は白と黒の大理石に変わってしまっていた。
身を投げたあと、地上にゆっくりと押しつぶされた顔面が、ついに硬化して石になってしまったのだ。
「どうして、私は男と女になれていないんだろう?」
鳥がそう聞くと、受付嬢は石灰の唇でぎこちなくほほえんだ。
「だって鳥は卵生だもの」
「たしかに」
廊下のつきあたりの扉をひらき、ふたりは人事部長の部屋にたどりついた。受付嬢はすわりごこちのよさそうな椅子に近づくと、腰をかけた。
すると、美しい金髪が抜けおちて、小太りの中年男が現れた。
「どうも」
鳥はあわてながら帽子をとり、会釈をした。
「君はなぜ帽子をとる?」
人事部長はたずねた。
「頭のうえになにかがおいてあると……それってすごく失礼らしいんですよ……」
鳥はこそこそと言った。人事部長のうしろの大きな窓に雷の幼虫を見つけたのだ。将来雷おやじになる予定だが、まだ幼いため、窓にはりついて空を見はり、なにか腹にすえかねることがないか探しているのだ。じつのところ、鳥は人事部長のためではなく、彼らの不評を買わないように帽子をとったのだった。
人事部長はぎょろぎょろと部屋を見渡しながら、
「すわりたまえ」
と言った。
鳥は羽をおりたたんで、そっと床にすわった。
すると、彼の体はどんどんと大きくなり、やがて天井に頭がつきそうなほど巨大になってしまった。
人事部長は鳥を見あげて、
「なぜ大きくなるのかね?」
と聞いた。
鳥はこんなことになると思っていなかったので「いやはや」と、なんどもくり返した。
「なぜと聞かれましても」
「私は若いころ、わるい人間だったのだ」
と、人事部長は話しはじめた。
「母親の鼻をおり、父親の尻をけったのだ。道を歩く老人の杖をこわし、子供の靴をうばって下水道にほうりこんでしまった」
「どうしてそんなわるいことを?」
「むずかしい問題だ。だが、わるい人間でいると、ひどく疲れると気づいてね。労力のむだづかいだったから、わるいことをやめた。すると私は……」
人事部長は眉をひそめた。
「私は人間の見本であると言われるようになった」
部屋が、どっと笑った。この部屋は人事部長のことをきらい、雨もりを人事部長のつるつるした頭皮に落としたり、ほこりをわざと舞いあがらせて、うっとうしがらせていた。そのときもわざと人事部長の鼻に鳥の毛を落として、大きなくしゃみをさせた。
「ごめんなさい」
と鳥はあやまった。人事部長は片手をふりながら、うんざりした顔で、
「君は私より大きい」
と言った。
「そうですね」
鳥はうなずいた。
「でも大きいことが、なんの役にたつでしょうか?」
「それを考えるのが私の役目だ。心配しなくとも、適切さとは仲がいい。今朝、ゴミ出しに行ったときもあいさつをした」
人事部長は考えごとをしながら椅子をまわした。すると、雷の幼虫が窓ガラスからすべりおち、空のむこうに落下してしまった。
鳥は人事部長が必死に頭を悩ます姿を見守りながら、そのみじめなはげ頭や、しみが三つある右ほほ、たるんだ口元と健康な歯をじっと観察した。
すると、なんだか心の奥がきゅっとなって、
「あなたにいいことがありますように」
と、思わずつぶやいた。
「どうしてそんなことを?」
「鳥は祈ることが好きなんです。ほかの人のためにしてあげられることが、それしかないので」
人事部長は重々しくうなずいた。
「他人に倒れこんで生きているわれわれとは真逆だな。おたがいに倒れこんでいるので息苦しいが、非常に重なりあっているために本当に倒れきることもないのさ」
「支えあいですね。私は人間のそういう部分がすきでして」
部屋が笑った。笑いすぎて、がたがたと窓枠がゆれ、ガラスにひびが入った。人事部長は天井を見あげた。
「よし、君によい仕事をやろう」
「本当ですか!」
「ああ。人をむかえにいってほしいんだ。とってもえらい仕事だよ。君は……」
人事部長は言いよどんだ。
「君は、ずいぶん大きな鳥のようだからね」
鳥は感謝のために、もう一度帽子をとろうとした。
すると左腕が当たったはずみに、ついに天井がわれてしまった。セメントのかたまりがごろごろと落ちてきて、人事部長の頭にぶつかった。
天井につづいて壁がくずれおちる。ついに、部屋は崩れおちてしまった。
鳥はパックリと頭が割れてしまった人事部長をみおろした。彼は床にキスをして、
「もっと良い人間になりたかった」
と、つぶやいた。そして、また受付嬢のすがたにもどった。
空にとりかこまれた世界は、びゅうびゅうと風が吹きすさび、雲が怒り、雨が泣き、雷おやじがうろうろしていた。
そんな混雑をすりぬけて、電車で背広の男の影を食べさせてやったときぶりに彼がやってきた。
「なんてやつらと一緒にいるんだい!」
と、彼は驚いた。よき鳥である友人が、淫売や浮浪者や犯罪者と肩を並べているなんて信じられなかったのだ。
「こいつら、ひどいやつらさ。ぼくを足蹴にして生きてきたのだもの」
鳥は悲しそうに、黄色と黒のテープがまかれた爪で彼らの影をまきとった。そして、彼に食べさせると、
「さあ行かなくては」
とつぶやいた。
「どこにいくの?」
「もっと上へ」
鳥は黒い羽をひろげた。それがあまりに大きいので、雲も雨も雷も驚いて逃げだそうとしたが、すぐに羽毛に飲まれてしまった。
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