第36話 祐徳稲荷と隠れ里の一滴

冬の澄んだ空気が広がる佐賀県祐徳市。全国的にも有名な祐徳稲荷神社は、「日本三大稲荷」の一つとして多くの観光客を集めている。塩見遼一と茜美咲もその一人だった。茜のSNSフォロワーからの「祐徳市には、稲荷神社だけじゃなく、美味しい地酒がある」という情報をもとに訪れたのだ。


「塩見さん、この神社、本当に綺麗ですね。紅い柱と白壁が山の緑に映えて、まるで絵みたい。」

茜はスマートフォンを手に写真を撮りながら、興奮気味に話す。


「確かに美しいな。だけど、これだけの観光地がありながら、地酒が有名とは聞かない。ちょっと不思議だ。」

塩見は周囲を見渡しながら呟いた。その言葉には、期待と疑問が交じっている。


取材を終えた二人は、神社の参道沿いにある小さな食堂に立ち寄った。そこで出されたのは、「地元の誇り」と言われる地酒だった。


「こちら、祐徳庵の地酒です。このあたりの山水で作った、昔ながらの純米酒ですよ。」

店主が注いだ酒は、澄んだ輝きを放ち、ほんのりとした米の香りが漂う。


塩見はその酒を一口含むと、驚きの表情を浮かべた。

「……これは、ただの地方酒じゃない。水の清らかさと米の旨味が直に伝わってくる。この一滴には、作り手の真剣さが込められている。」


茜も試しに口に含むと、目を輝かせた。

「わあ、ほんとに飲みやすい!でも、どっしりとした感じもありますね。これが“昔ながらの酒”ってことなんですか?」


「昔ながら、か……だが、ここまでの味を出すには、単に伝統だけじゃなく、相当な技術が必要だ。」


店主が苦笑いを浮かべながら言葉を続けた。

「実はその酒蔵、『祐徳庵』って言うんですけど、最近廃業するって噂でね。代々守られてきた伝統が、途絶えるかもしれないって話なんですよ。」


その言葉に、茜が驚きの声を上げる。

「えっ、こんな美味しいお酒なのに、廃業しちゃうんですか?」


塩見は静かにグラスを置き、目を閉じて考え込む。そして、ふっと笑みを浮かべた。

「行ってみる価値はありそうだな。この酒の背景を知りたい。」


翌朝、二人は山あいにある酒蔵「祐徳庵」へと向かった。車を降りると、そこには歴史を感じさせる木造の建物と、大きな杉玉が吊るされた門構えがあった。山から流れ出る小川のせせらぎが静かに響く中、塩見は目を細めながら周囲を見渡す。


「ここが……祐徳庵か。思った以上に風情があるな。」


茜はスマートフォンで写真を撮りながら、「これ、SNSに投稿したら絶対バズりますよ!」と笑顔を見せる。しかし、その笑顔も、酒蔵の中から聞こえてきた怒号によって掻き消された。


「こんな酒、祐徳庵の名前を汚すだけだ!」

「でも、このままじゃ蔵は潰れるんだ!新しい酒を作らなきゃ、誰も振り向かない!」


二人が中に入ると、蔵元の中原源一と、その孫・颯太が激しい口論を繰り広げていた。源一は70代後半の老齢ながら背筋がピンと伸び、眼光鋭い。対する颯太は30代前半、都会的な服装にどこか反骨精神を感じさせる表情だった。


「失礼します。突然ですが、祐徳庵の酒についてお話を伺えませんか?」

塩見が丁寧に声をかけると、源一は険しい表情のまま二人を見据えた。


「客か……だが、うちの酒に用があるなら、飲んでから語れ。」


源一が注いだ酒を飲み干した塩見は、しばしの沈黙の後、静かに言葉を紡いだ。

「確かに素晴らしい。だが、ここには何か足りない。それを補うために、颯太さんは新しい酒を作ろうとしているのか?」


その言葉に、源一の目が鋭く光る。

「お前が何を知る。伝統の重みも、酒造りの覚悟も知らないくせに。」


塩見はその言葉を受け止めながら、静かに颯太の方へ振り向いた。

「君の作った酒も試してみたい。どんな想いが込められているのか、確かめたいんだ。」


颯太は驚きながらも、自分の酒を差し出す。そこから、二人の酒に込められた哲学の違いが少しずつ明らかになっていくのだった。


次回予告:「伝統と革新の狭間」


塩見と茜は、源一と颯太の作る酒に込められた想いを知る。そして、伝統を守ろうとする源一と、革新を目指す颯太の対立の理由を深く掘り下げていく中で、酒蔵そのものが抱える問題が浮き彫りになっていく――次回、「伝統と革新の狭間」。


読者へのメッセージ


祐徳稲荷神社の美しい景色と、祐徳庵の酒が持つ深い味わい。この物語では、地方の伝統が抱える問題と、それを未来に繋ぐ挑戦を描きます。次回は、祖父と孫の確執を通じて、伝統と革新の狭間にある葛藤に迫ります。お楽しみに!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る