花咲く音が聞こえる頃に
茉莉花 しろ
はじまり
「私って、本当に不幸!」
小さな個室の中に、私の声が響き渡った。ほんの数十分だけ持っていたシャーペンが重く感じる。数時間書いていたみたいに手は痛いし、集中力も切れてしまった。ピーマンよりも嫌いな勉強が楽しく感じる時なんて、ほとんどない。例え、目の前で大好きな先生がいたとしても、だ。
「かのんちゃん、どうしたの。また何かあった?」
「またって何、またって。先生、いつも私が何かしら文句言っているって思ってる?」
「え、そうじゃないの?」
「そうだけどさぁ!」
そうじゃん、と笑いながら先生は止まっていたペンを動かした。さっき私が分からないと言った図形の問題の解説を書いている。言葉だけでは理解できない私は実際に図を描いて解きやすくしてもらっていた。
前まで大の苦手だったこの証明問題も、今では平均点くらいは取れるようになっている。全部、この
「だってさ、友達とは言い合いをするし、部活では顧問に怒られるし、親には『もうすぐ受験生でしょ!』って言われるし。何で私ばっかり!」
「そう、大変だねぇ」
「先生、本当にそう思ってる?」
「思っているよ。かのんちゃんは、不幸な少女なのでしょう?」
「なんか、その言い方腹立つ。馬鹿にしてるじゃん」
「してないって」
ケラケラと笑っている先生。ほら、笑っている。私がどんな話をしても、いつもぬるっと抜け出していく。いい先生ではあるのだけれど、どこにでもいる普通の先生ではない。大人と話している感覚があまりないと言ったらいいのかな。何というか、親戚のお姉さんと話している感じ。学校の友達に何度も説明したことがある。ほとんど信じてくれないけれど。
先生はクルクルと器用にキャラクターの絵が描かれているペンを回し始めた。
「でもさ、不幸って、何を基準に不幸って言うんだろうね」
「えー? うーん。自分がそう思ったら、とか?」
「なるほど。その理屈が通るなら、発展途上国の人たちは幸せってことだ。圧倒的にかのんちゃんの方が恵まれているのに」
うわ、出た。山上先生の面倒くさい質問責め。私は露骨に顔をしかめた。先生が変わり者と呼ばれている理由の一つだ。この先生は当たり前のことを質問してくる。そんなの、頭の悪い私でも分かるような内容を『どうして?』と聞いてくる。教え方も分かりやすく上手だけど、こういうところがたまに嫌煙されているとか。他の生徒が似たようなことをされて、「先生、面倒くさーい!」と言われているのを見たことがある。でも人気は変わらないんだけどね。
「もう、何でそんなこと言うの! 先生、面倒くさい!」
「えーだって気になるじゃん。先生、色んな生徒見てきたけどさ。恵まれた子ほど『私は不幸だ』って言うし、大変な思いをしている子ほど『私は幸せだよ』って言っているんだもん。不思議だなーって思って」
ふふっと、私を見ることなく視線は紙に落としたまま笑っていた。回っていたペンはいつの間にか止まっていた。そんなこと言われると、何も言えなくなってしまうじゃないか。
確かに少し嫌なことがあっただけで『私は不幸だ』って叫んだけどさ。私が言いたかったのはそうじゃない。むぅと口を尖らせていると、先生は静かになった私に気づいたらしい。動かしていた手を止めてこちらへ向き直った。
「不満そうだね」
「だって、先生がそんなこと言うから」
「まぁ、そうか。ごめん、ごめん。……でもさ、昔、自分のことを全く不幸だって思わず、懸命に生きていた子がいたんだよ」
「そうなの? どんな子?」
そうだなぁ、と言いながら先生は天井を見上げた。小さな部屋での話は、外には聞こえないらしい。他の生徒が一対複数で指導されている中、私は山上先生を独り占めしている。ほんの少しの優越感の中、数秒黙った先生は話し始めた。
いつもは明るく、何事もポジティブに変えてしまう先生が口を重く開いたと、その時初めて思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます