(20)
「……感謝しますよ、カイ。
ボスの意味深長な微笑みなど、カイからすれば慣れたものではあった。
それでも、ボスの口から礼を言われたことにはおどろいたし、同時に疑問にも思った。
だがその疑問はすぐとは言わずとも、氷解する機会はわりと早くに訪れたのだった。
ボスの美貌や物腰、その外見だけで彼を知った気になる人間はそれなりにいる。
しかしカイは知っている。
ボスはそんな見た目だけの男ではないことを。
……それは、今しがたボスの魔法に吹っ飛ばされた
驚愕と屈辱、それから壁へ激突した痛みからか、顔をゆがめて、もとより白い顔を青白くさせている彼は、老舗冒険者ギルド《熊羽織り》の現ギルドマスターだ。
《熊羽織り》に関する数々のよからぬ噂話、そして《熊羽織り》の公認パーティを「自称していた」冒険者たちが起こした事件――それらすべてを《六本指》の仕業だとして、決闘を吹っかけてきた、この迷宮都市最古の冒険者ギルドの主である。
だがかのギルドの華々しい経歴と、立派な看板、そしてその積み重ねてきた信用は、今日このときをもって、完全に失墜したと言える。
もとより、ギルドマスターが代替わりしてからの《熊羽織り》の評判はよくなかった。
特に《熊羽織り》の現ギルドマスターの人品に関する評判はすこぶる悪い。
冒険者の等級を金品次第で不正に上げているだとか、新米冒険者を平気で騙してこき使っているだとか、ギルドマスターであることを笠に着て若い女冒険者に手を出しているだとか……。
とにもかくにも、《熊羽織り》の現ギルドマスターは、ギルドの頂点に立ち、率いるにはふさわしからざる器の持ち主であった、というわけだ。
それが今日、この場で白日のもとに晒された。
《熊羽織り》の現ギルドマスターが目の敵にしていた、《六本指》のギルドマスターの手によって。
《熊羽織り》と《六本指》のギルド間決闘の推移は、実に単純で、一方的なもので、観客の大部分を占める冒険者たちにはつまらないものだったから、彼らからは不満げな顔が見え隠れする。
原因は代替わりしたことにより、《熊羽織り》の人材の層が薄くなっていたこと、対する《六本指》との実力差が圧倒的すぎたこと。
他にも理由はあったが、カイからすればことさら並べ立てるまでもないことだった。
ただ《熊羽織り》が弱くて、《六本指》が強かった。それだけのことだ。
カイにはこの結果はわかりきっていた。
ということは、ボスにだってわかりきっていたということになる。
「――この勝利は貴女に捧げます」
その当のボスは、決闘の場となった《熊羽織り》の、今は身の丈には合わなくなった広い中庭で、片膝をついて女の右手を取った。
はっと息を呑むほど美しい女は、今日はほとんどずっとボスの隣にいた。
カイは――その見知らぬ女の正体を知らなかったが、ボスとは親しげな雰囲気だったので、特になにも言わなかった。
女はボスよりいくらか年上に見えたが、まだまだ若々しい美貌の持ち主で、ボスと並べば「絵になる美男美女」といったところだ。
そんなふたりが親しげな空気を出しているのを見て、向けられる視線は様々だった。
カイは呆れた目でボスを見た。
ボスからすれば、今回の決闘なんて半ば出来レースみたいなものだろう。
そこに――恐らく気のある――女を連れ込んで、これ見よがしのパフォーマンスをするなんて、というのがカイの率直な感想だった。
一方、《熊羽織り》のギルドマスターは――ひどく動揺した様子で、女の手を取るボスを見ていた。
かと思えば、顔を真っ赤にして、なにごとかを言葉にするのにいくらか時間をかけた様子を見せたあと、かすれた声で叫んだ。
「な――なんでそんな男と! マリアさん! 貴女は騙されている!!!」
……カイはその叫びを聞いておおむねを理解した。
ボスがわざわざ女をこの場に連れ込んだ理由を、そしてボスにとって《熊羽織り》のギルドマスターがどういう存在だったかを。
なんのことはない。カイたちはこのふたりのギルドマスターの、恋のさや当てに巻き込まれたのだ。
とは言えども、どうも実力が拮抗していた様子はないらしく、女――マリアはわずかに困惑をにじませて《熊羽織り》のギルドマスターを見た。
わざわざこうして勝負をするまでもなく、こちらもボスの勝利は決まっていたらしい。
ボスがマリアの華奢な肩をやんわり抱き寄せると、《熊羽織り》のギルドマスターは口をぱくぱくとさせ、今度こそなにも言えなくなった様子だった。
カイもまたこの勝負の真意を知り、馬鹿らしさに呆れて、なにも言えなくなった。
だがソガリは至極うれしそうな顔をして、ひとり拍手を送っていた。
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