海に沈むジグラート 第7話【波間に漂う】

七海ポルカ

第1話 波間に漂う

 静かに扉を開くと、ベッドで眠っている姿が見えた。こっちに背を向けて、少し身体を丸めるように眠っている。深く寝入っているようだ。


 ……安心した。


 音を立てないよう注意して、扉を閉めると、扉の下に手紙を入れておいた。

 街に戻ること、もし戻りたいのなら、副官に伝えてくれれば街に送らせるようにしておくこと、昼ごろに戻る予定なので、そのままここでゆっくり過ごしてくれても構わないこと、ただし、フェリックス以外の竜には危ないので一人では近づかないようにしてほしいことが、簡潔に書いてある。


 一階に降りて行くと、一階の会議室に待機中の二人の副官とその侍従四人がいて、気付いて立ち上がった。彼らは本を読んだり、増設中の騎士館の進行状況をまとめた書類を読んだり、侍従は神聖ローマ帝国軍の騎士になるための勉強をしている者もいた。ヴェネトでは何かが起こるまではとにかく待機ということになるので、待機時間はすぐ動ける状態でいてくれれば、なるべく好きなことをして気を紛らわしてくれて構わないとフェルディナントは伝えている。

 新しい守備隊が揃えば、今いる竜騎兵団、最初からここに着任した三十騎は一度本国に戻らせて休暇も取らせてやりたいと考えていた。とはいえ、まだ先のことだ。今は緊張感は保ちつつも、この状態を維持していかなければならない。


「おはようございます、将軍」

「おはよう」


 びしり、と成された敬礼に、返す。

 ここは竜騎兵団団長であるフェルディナントの為にあてがわれた騎士館だが、要するに古い教会である。すぐ隣に聖堂があり、ここはかつて修道士の宿舎だったわけだ。

「街に戻る。客人も連れ戻るつもりだったが、眠っているようだからひとまずこのままで置いて行く。リアム、悪いが目を覚ましたら朝食など世話をしてやってくれ」

「かしこまりました」

 副官が頷く。

 彼らは若くして才能を皇帝に認められ、将軍職に就いたフェルディナントの副官に選ばれたことを誇りに思っているが、軍服に袖を通している限り、気安い馴れ合いを嫌う上官の性格はよく熟知していた。


 彼が中でも特に嫌うのは、プライベートを詮索されることである。


 昨夜、戻って来たフェルディナントを出迎えた時は、客を連れていることに、しかも騎竜に乗せて来たことにさすがに彼らも驚きの顔は隠せなかったのだが、「すまないが客間を用意してくれるか」と言われて慌てて頷き、用意したままだったので、隊長どうしたんだろうとは思っていたのだけれど、彼らは口にも態度にも出さなかった。


 遠征の駐屯地には、普通女性が出入りする。身の回りの世話をする人間ではなく、要するに、軍人相手に稼ぎをしに来る女性だ。そういう女性に駐屯地への出入りを許可するかどうかは、その部隊の団長の人柄が左右することが多い。

 そういうことを全く気にしない人もいれば、自分のもとにだけ出入りする女性を最初から選ぶ人もいるし、自分は一切関わらないが、部下にはある程度許容する人もいるし、遠征においてそういうものを一切認めない人もいる。


 フェルディナントは、一切認めないタイプの上官だった。


 特に彼は将軍の中では若年なので、女、金、情報漏洩において不手際があると、他の将軍の何倍も、若いから隙があるのだと、そういう貶められ方をする。それを嫌って、フェルディナントはその三点には特に潔癖な態度を見せた。フランス戦線でも、自分の駐屯地内では女性を連れ込むことは一切禁じた。兵がそういう行動をしたい場合は、彼らが街に行くよう命じたのだ。そしてその際、過ごした時間、場所、相手の女性の名前も必ず帰還後提出させた。


 厳格なのだ。


 だから、昨夜、フェルディナントが客を連れ帰った時、彼らは複雑な表情をした。

 自ら手を貸し、抱き上げるようにして竜から下ろした人物は、一瞬女性かと思うほど、整った容姿をしていた。しかし男の服を着ていたので、まず彼らは混乱する。

 フェルディナントが女性を駐屯地に連れ込むとは思わなかったが、今の仕草はどう考えても男の友人にするものではなかったからだ。しかし、挨拶をする時に分かったが、女性のようにも見えた容姿は実は青年で、フェルディナントが絵を買い上げた画家なのだという。

 上官が絵を買い上げたということも非常に珍しく、しかもこんな若くて綺麗な青年が一体どんな絵を描く画家なのかという疑問もあり、結局フェルディナントとネーリと呼ばれた彼の関係は、一切彼らには分からなかった。


 軍人の中では、敢えて女性相手の性行為を、遊びにせよ気晴らしにせよ、警戒するような者もいる。特に上級職ともなると、国において爵位を持っている者も多いため、遠征先で子供が出来たりすると、後々非常に厄介な問題になることもあるからだ。そういう場合、男相手に性欲の処理だけ求めることもある。別に全てが個人の趣向というわけではなく、本国にいる時は普通に女性と会うが、要するに遠征先など戦時行動の中では、女性を一切排除する、という例も珍しくはない。規律を守ろうとする意識、という見方をされる。


 フェルディナントは本国でも、皇帝の覚えめでたく、爵位を持った貴族の為平時は夜会などにも出入りしているし、女性などとも知り合う機会は多いはずだったし、軍において将来を嘱望された彼は、現在十八歳で、娘の結婚相手にはこれ以上ない相手だと縁談も多いと聞く。しかしそれでも浮ついた噂の一つも無い人間だった。普通の貴族なら、女に興味が持てないのだろうかと疑われる所だが、軍においてフェルディナントの見方は、少し特殊だ。


 彼らは――【エルスタル】のことを知っている。フェルディナントの母国。そこがどんな残忍なやり方で殺されたかも。フェルディナントの若い出世を、妬む風潮はそれまでもかなり軍の中ではあったのだが、実は【エルスタル】が滅亡したのち、一気にそういう不条理な悪意というものが、薄れた。


 同情されることもフェルディナントは嫌っていたけれど、故郷があんなやり方で皆殺しにされれば、自分の結婚や恋愛など、今はとても考えられないだろうということは分かったからだ。とにかくフェルディナントと恋愛話は、今は禁句にも等しいものになっていた。

 その為、そういう諸々の事情を鑑みて、フェルディナントが駐屯地に美しい容姿の青年を連れ帰ったということは、周囲の人間にとってひたすら戸惑う、そういう状況だっただろう。

 一緒の寝室に入ってくれれば、おい、このことを面白おかしく吹聴するなよ、などと肘を突き合ってればよかったのだが、この厳格なことで知られる若き上司は、こんな時でも難解な問題を部下に提示した。


 遅くに悪いが紅茶を淹れてくれるかと言われ、えっワインじゃなくていいのですかと思わず口に出しそうになったのを堪え、客間ではなく隣の棟の聖堂で少し話している彼らに持って行ったが、三十分ほどで切り上げ、二人は二階へと上がって行った。


 副官が恐る恐る様子を見に行ったのは、決して単なる興味本位ではない。彼がフェルディナントにとってどういう立場の人間かが分からないと、立場に見合った世話が出来ないことを危惧したのである。

 扉の開いた客間からフェルディナントが少し経つと出てきて、自分の寝室に帰ったのを確認してから、一階に下りてきた彼に、他の副官と侍従たちが集まり、緊張した小声でどうだったと聞いて来たが、彼は「わからん」と首を振って短く答えた。

 その言葉が一番しっくりきた。

 何やら大切そうな客人であることは分かったのだが、つまり何であるかと聞かれると「分からん」なのである。

 彼らは夜じゅう、何となく釈然としない思いを抱えたまま、過ごしていたのだが、厳格な上司はようやく答えをくれたのである。


「……彼は……ネーリ・バルネチアという画家だ。普段はヴェネツィア城下の教会に住んでいるんだが、城下に幾つかアトリエを持っているが、事件が多発している西地区にもアトリエがあるので身の安全の為に一時ここに連れてきた。彼は腕のいい画家だから、いずれ俺は神聖ローマ帝国に連れ帰りたいと思っている。彼の絵を献上し、宮廷画家に推薦したいんだ」


「宮廷画家に?」


 彼らは少し驚いた表情をした。

 連れて来た青年は非常に若く見えるので、それほどの絵を描くのかと驚いたのだ。

 軍人にとって画家などは取るに足らない存在だが、宮廷画家は特別である。彼らは皇帝にも場合によっては近づくことを許され、彼や彼らの一族を描くことを許される。複数の高級官僚のお気に入りともなれば、多大な庇護を与えられ彼らの家族のように扱われることもあるのだ。つまり普通の軍人や貴族でも、軽々しく彼らを画家風情がなどとは呼べない立場になる。


 宮廷画家はそれほど、特別な存在だった。


 現皇帝は芸術に造詣が深く、絵の収集家でもある。彼にとって芸術は人生を楽しむ上でとても重要なものであった。

「まだ本人にはっきりとそのことは伝えていないが、機会があればいずれ王都に連れ帰り、俺の屋敷に住まわせたい。ここではなかなか戦功を立てられそうにないから、こういったことでも陛下に貢献出来ればと考えてのことだ。個人的な理由で悪いが、彼がここにいる時は、過ごしやすいよう、計らってやって欲しい」

「かしこまりました」

 全員が敬礼で応えた。


「とはいえ、彼に命じる立場に俺はない。街に戻ると彼が言えば送ってやってくれ。そんなに身勝手な行動をする人ではないが、ある程度客人として駐屯地内は自由に歩き回らせてやって欲しい。だが、竜騎兵団の規則には詳しくない。竜に近づかないように、それだけは安全の為に見ておいてやってくれ。しかしフェリックスだけはネーリに懐いてるようなので、好きにさせていい」


「フェリックスがですか?」


 副官が驚いて顔を見合わせる。フェリックスは非常に気位が高いので、フェルディナント以外に懐いてるところを見たところがない。世話を許されているのもトロイと彼の侍従の二人だけだ。その二人だけは世話をしても大人しくしているが、他の人間がただ騎竜だというだけで自分を軍馬のように当然扱える、という風に扱ったりしようとすると、フェリックスは非常に気分を害して、攻撃的になり危害を相手に加えることもあった。


「そ、そういえば昨夜も彼に乗っていましたが……、団長と一緒だからかと」


「いや。俺も驚いたんだが……実はネーリはヴェネト出身だが、幼い頃貿易商の祖父に連れられ、大陸の方の国々を旅していた時期があるようなんだ。我が国にも一時滞在し、その時、祖父が招待され王家の庭に泊ったらしい。ホスト役の中にインスバッハ家の者がいたようだ」


 軍人にとってインスバッハ家、は特別な意味を持つ。軍部大臣を歴任する神聖ローマ帝国でも指折りの大貴族だ。現在の軍部大臣もインスバッハ家の人間だし、皇帝の右腕とされる家柄である。

「インスバッハ家に招待を?」

 当然彼らも驚いた。

「それだけなら疑う所なんだが、フェリックスが昨日一目で彼に懐いたのを見て、真実だと確信したよ。彼は王家の庭にある王家の森で、子竜を見せてもらったことがあると話してた。フェリックスの反応は間違いなく『刷り込み』を思わせる。その時ネーリと対面したのが、生まれたばかりのフェリックスだった可能性が非常に高い」


「子竜に対面を許されるなど、一体彼は何者です?」


 さすがに、彼らにもフェルディナントがネーリを尊重する理由を理解したようだ。

 フェルディナントは小さく笑んだ。

「彼はヴェネト王国で俺が偶然見つけた宝石だ。詮索をせず、守ってやって欲しい」

 その彼の表情に少しだけ驚いた顔を見せた部下達は、すぐに万事を了解したようにもう一度敬礼をした。

「了解いたしました。お任せください!」

「よろしく頼む。昼には一度こちらに戻るようにする」

「ハッ!」



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