幻の夢にたゆたう

入江 涼子

第一話

 私は今日も眠りについた。


 ……はずだったのに。何故か、真っ白い霧や雲などに包まれた不思議な場所に佇んでいる。周りには見慣れたはずの調度品や御帳台、女房や人の姿も全くない。一体、どこなのか?

 足などを見下ろしたら、寝間着の姿だ。やだ、こんな格好じゃあ、殿方の前には出れないわ。そんな現実逃避をしながらも途方に暮れた。


 しばらくして、私は仕方ないから裸足で歩き始める。ペタペタという音や自身の息づかいだけが辺りに響く。そうやっていると目の前に珍しい卓子たくすや椅子、陶器のお皿が現れた。お皿の上には瑞々しい桃や柑子こうじなどの果物が盛り付けてある。気がついたら、喉がどうしようもなく渇いていた。お腹も減ってきたし。恐る恐る椅子に近づく。どうやって、座るのかは分からない。そうしたら、白い霧の向こうから人影が現れる。


「……おや、珍しい。このような場所に客人とは」


「はあ」


 ゆらりとやって来たのは背が高い殿方だった。髪や衣服は真っ白で目だけが鮮やかな禁色の紫色だ。私はすぐに、彼がヒトではないと気づく。だって、私の住んでいるはずの都にはこのようなヒトはいない。


「そう、怯える事はない。僕は君を取って食いやしないよ」


「……分かりました」


「ああ、それの使い方が分からないんだね。僕が教えてしんぜよう」


 彼はそう言って、椅子を一脚後ろに引いた。そのまま、下の部分に腰掛ける。私の方を向く。


「こうやって、腰掛けて使う物だよ。まず、背の部分を手で持ってみな」


「こうですか?」


「うん、後ろに引いてみて」


 私は言われたように椅子の背を片手で持ち、後ろに引いた。ゆっくりと見様見真似でお尻を座面につけながら、腰掛ける。殿方は再び、立ち上がった。膝を曲げた状態で両手を使い、椅子を前に持って行く。私もまた、真似てみた。椅子を何とか、前に動かす事が出来る。


「さ、果物があるし。一緒に食べよう」


「ええ、いただきます」


 私は柑子を一つ手に取った。皮を剥いて口に入れようとする。けど、ツキンと頭が痛くなった。剥いた柑子が真っ白な地に落ちる。


「……つうっ!」


「ふむ、警告か」


 私はあまりの痛さに卓子へ突っ伏した。何故か、殿方は冷静に眺めるばかりで助けてはくれない。


「うう……」


「……やはり、悪鬼の類か」


 後ろから、冬場の朝の風のような冷たい気が頬を撫でた。少しずつ、頭の痛みが引いていく。完全に癒えた時に振り向いた。そこには真っ白な狩衣装束に草鞋、烏帽子を被った殿方が佇んでいる。髪や瞳は見慣れた漆黒のもの。けど、顔立ちはなかなかにはっきりとしていた。目は二重の切れ長、鼻筋もすっとしている。輪郭もスッキリとしていた。


「姫君、大丈夫ですか?」


「あ、ありがとうございます」


「ここは危険です、早く戻られませよ」


 殿方はそう言って、私に手を差し伸べる。恐る恐るそれに自身のを重ねた。グイッと引っ張られる。


「……私がき奴を引き付けていますから、今の内にお逃げください!」


「え、ええ!」


 私の掴んだ手を離すと殿方は前に立ちはだかった。意を決して、その場から駆け出した。


 だが、すぐに息が切れてくる。足が縺れた。転けそうになるのを堪えながら、ひたすらに走った。

 すると、目の前に金色の一筋の光が霧や雲の間から零れ出る。ゆっくりと現れたのは金や銀の光の玉だ。


「……この世に還りたいか?」


「か、還りたいです!」


「相わかった、ならば。我の言葉通りにせよ」


 光の玉はそう言って、自身の一部をいた。私の手のひらにそれが降り立つ。


「これは我の力の一部である、見てみよ」


「……綺麗」


 光がやむと手のひらの上には真っ白な蓮の花がキラキラと輝きながら、載っていた。


「それを託す」


「ありがとうございます」


「両手でそれを包み込め、そして。強く念ずるのだ」


「えっと、何をですか?」


「この世に還りたいと、ただそれだけで良い」


 私は頷くと蓮の花を両手で握り込んだ。強く、強く。私をこの世に還してください!

 そう念ずると真っ白な強い光に自身の身体が包まれた。意識がふと、途切れたのだった。


 私が目を覚ますと、そこには涙ぐむ女房の真冬まふゆが覗き込んでいた。


「……ああ、ようございました!姫様!」


「……ん、真冬?」


 私は真冬を見上げながら、名を呼ぶ。


由夢ゆめ姫様、早速に殿やお方様に知らせて参ります!」


「あ、ま、真冬?!」


 真冬は小走りで行ってしまう。私はあ然として見送るしか、出来なかった。


 しばらくして、両親が私の寝所にやって来る。父は内大臣、母は北の方もとい、本妻だ。二人も真冬と同じように涙ぐんでいた。


「おお、由夢!目が覚めたか!」


「あらあら、由夢。あなた、やっと目が覚めたのね!」


「……ご心配をおかけしました」


 私が言うと、二人は苦笑いした。


「そんなに殊勝な顔をしなくても」


「ええ、けど。あなた、丸々二日間は寝込んでいたの。今日はゆっくりと休んでいなさい」


「分かりました」


 両親の言うように、私はこの日はゆっくりと休んだ。真冬や他の女房達が甲斐甲斐しく、看病してもらうのだった。


 翌日、私の元に客人が訪れた。真冬に手伝われながら、半身を起こす。御簾の前に一人の殿方が座していた。


「……姫様、お加減はいかがですか?」


「ええ、今は大丈夫です」


「そうですか、それはようございました」


 殿方が笑う気配がする。彼はたぶん、あの夢の中で私を助けてくれた人だ。


「……陰陽師殿、このたびは姫様を助けてくださり、ありがとうございます」


「いえ、私は職務を全うしたまでです」


「それでも、夢の物の怪から姫様が逃げる事が出来たのは。あなたのおかげです」

 

 私は息を呑む。やはり、そうだったのか。彼は陰陽師、名は確か……?


「……安倍清孝あべのきよたか殿、ほんに後で殿からも返礼があると思いますよ」


「な、女房殿。姫様の前ですよ」


「あ、失礼しました。姫様、もう休まれませよ。安倍殿は帰られますから」


 真冬はそう言って、立ち上がる。私は仕方なく、横になった。安倍清孝殿は静かに帰って行ったのだった。


 ――終わり――

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幻の夢にたゆたう 入江 涼子 @irie05

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