第2話:星見館
放課後、彩乃は美咲といつものように下校していた。西の空は夕焼けに染まり始め、街全体がオレンジ色の優しい光に包まれている。
遠くから、花鳥ヶ丘の洋館の時計台の鐘の音が聞こえてきた。カーン、コーンと乾いた音色が夕暮れの空気に溶け込み、彩乃の心にどこか懐かしい響きをもたらしていた。
「ねえ、美咲。あの洋館、昔は何に使われてたんだろう?」
彩乃が尋ねると、美咲は少し考えて、「さあ、知らないなあ。でも、お偉いさんの家だったとか、昔は学校だったとか、色々噂はあるみたいだよ」と答えた。
美咲は鞄からスマートフォンを取り出し、「ピクシーに聞いてみようか?」と続けた。
美咲のピクシーは、まるで優秀な執事のように、すぐにその答えを教えてくれた。
「花鳥ヶ丘にある洋館は、明治時代の中頃、地元の名士・吉村家によって建てられました。吉村家は米沢藩の武士の家系で、藩の解体後は絹織物の事業で成功を収めた一族でした。吉村家の次男、雅春(まさはる)が建てたもので、彼はロマンチストとして知られる青年でした。『星空を眺めるための特別な場所』として、屋根裏には星座観測用の小さなドームが設置されています。彼は星を愛し、天体観測を趣味とする人々を招いて、共に星空を楽しむ集まりを頻繁に開いていたそうです。そんなことから、『星見館』とも呼ばれていたそうです。」
ピクシーが流暢に解説するのを聞き、彩乃は思わず声を上げた。「へぇ~、星見館……素敵な名前」
「すごいでしょ」と美咲が得意げな顔をした。
「実は、今日の昼休みに図書室であの洋館のことを調べてみたんだけど、街の歴史に関する本には載っていなくて、ネットでも調べたけど、結局何もわからなかったんだ。」
と、彩乃は少し残念そうに言った。分厚い本をめくっても目当ての情報にたどり着けなかったことを思い返していた。
「ほんと、ピクシーは何でも知っているでしょ。」
美咲が自慢げに話している。
「この前の週末に街で買い物していたら、駅前で観光している外国人カップルに話しかけられちゃったんだ。道を聞かれたんだけど、英語が苦手で困っていたら、ピクシーが通訳してくれたんだ。それだけじゃなくて、周辺の観光地とか美味しい店とか教えてくれって聞かれて、また困っていたら、ピクシーが代わりに案内してくれたんだよ!私が一緒について道案内したら、そのお礼に、老舗のケーキ屋さんのケーキを買ってもらっちゃった。」
美咲は目を輝かせながら話した。ピクシーのおかげで思わぬ幸運に恵まれたことが、とても嬉しそうだった。
「そこまでできると、本当に家族とか友達みたいだね」と彩乃が言うと、「うん、彼氏いらないかも」
と、美咲は冗談めかして笑った。彩乃もつられて笑った。
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翌日、テストの答案が返ってきた。
彩乃の成績は思った以上に悪かった。
テスト範囲の読み間違い、重要なポイントの見落とし、そして何より、調べるのに手間取って効率的に勉強できなかったことが原因だった。
一夜漬けで詰め込んだ知識は、テストが終わると同時に頭から抜け落ちてしまった。
下校中に美咲とテスト結果の話をしていると、美咲は、今までよりもずっと良かったという。
ピクシーが美咲の家庭教師のように勉強をサポートし、テスト範囲なども的確に教えてくれた成果だったらしい。
また、ピクシーは美咲の苦手な部分を分析し、理解できるまで最適な勉強方法を指導してくれたようだ。
まさに、友達でもあり、先生でもある存在だと言える。
彩乃は美咲の話に祝福しながらも、内心では複雑な気持ちだった。
ピクシー。いや、AI技術の圧倒的な能力を目の当たりにし、自分がアナログな方法で勉強していることが、少し時代に取り残されているように感じていた。
彩乃は美咲と別れてから、少し落ち込んだ気を晴らすために、以前アリスを見つけたリサイクルショップに向かった。
夕暮れ時、店の中は薄暗く、ひっそりとしていた。
ショーケースの中に、あの時と同じようにアリスが飾られている。
美咲のピクシーの洗練された、まるで未来から来たようなインターフェースとは対照的に、アリスは古めかしい、どこか懐かしいデザインだった。
丸みを帯びたフォルム、少し黄ばんだ文字盤、使い込まれたベルト。
彩乃の目には、アリスが何か温かいものを秘めているように見えた。
それは、祖父の形見の古い時計を見た時のような、懐かしさと安らぎを感じさせるものだった。
店員の説明では、少し前のデバイスなので、最新型AIデバイスに比べると、多少機能は劣るところがあるという。
処理スピードも少し遅く、話し方がカタコトっぽい感じがあったり、反応がワンテンポ遅れることがあるようで、どちらかというと日常的に使うのではなくコレクション目的で購入する人がわずかにいるとのことだった。
彩乃は自問した。AIデバイスに対する抵抗感が胸の中でくすぶっている。
自分の周りでもAI技術は広まってきている。これから生活をするために、それらは避けては通れないだろう。
美咲とピクシーを見ていると、すでに道具ではなく友達のような関係になっていることに、余計嫌悪感を持ってしまう。
しかし、アナログとデジタルを融合させたようなその古めかしいアリスの姿を見ていると、彩乃は自分の中にある僅かな好奇心が少しずつ大きくなっていることに気づいた。
一瞬、「私が彩乃をサポートするよ」とアリスがそう言っているように感じた。
もちろん、それは錯覚だったのかもしれない。
その時、他のお客さんが、ショーケースの中のアリスをじっと見ていることに気づいた。
その人は、年配の男性で、真剣な表情でアリスを見つめている。
彩乃は、そのお客さんがアリスを買ってしまうのではないかという想像をすると、胸の奥がざわつき、自分が買わなければという気持ちが明確に湧いたのを感じた。
今まで迷っていた気持ちが、一気に決心に変わった。
自分も、このAIが広がっていく世の中と向き合っていこう。
「すいません。それ買います」
彩乃は反射的に店員に声をかけていた。
自分の声が少し震えていることに気づいた。
店員は少し驚いた表情をしたが、すぐに笑顔になり、「ありがとうございます」と言って、ショーケースからアリスを取り出した。
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家に帰って、丁寧に包装を解き、アリスを手に取った。
ひんやりとした金属の感触が手に伝わる。
裏面には小さな傷がいくつかあり、それがアリスの生きてきた時間を物語っているようだった。
彩乃はそっとアリスを腕につけてみた。少し重く感じたが、すぐに慣れた。
アリスに電源を入れると、古めかしいドットの文字で「Alice」と画面に表示され、そして、少し間を置いて、「こんばんは」と表示が変わった。
その古めかしい、しかしどこか温かい文字が、彩乃を迎えているようだった。
彩乃はアリスの画面を優しく撫でた。
これから、この小さな古いデバイスと、どんな日々を過ごしていくのだろうか。
彩乃の胸は高鳴っていた。
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