第24話
トレヴァー兄さんが、カップを渡してきた。
中は温めた牛乳だった。
「ブランデーが入ってる。一気に飲むなよ?」
「いつのまに……」
「シリウスが置いていったワゴンの中に、入ってた」
「そう……」
飲みながら、さっきのことを思い出す。
ここまで泣いたのは、久しぶりだ。
頭が痛い。
「少し……落ち着きました……」
「ん、そうか」
「えぇ……」
「どうする?いったん、寝るか?いつでも……とは言い難いが、今日じゃなくてもいいぜ」
トレヴァー兄さんなりの気づかいが、心にゆっくりとしみてくる。
「……いえ、大丈夫です。今、やらなければ」
「そうか。……なら、ジャックの状況をいったん整理するか」
部屋の隅に置いてあった大きなホワイトボードを持ってくるトレヴァー兄さん。
自分の名前と似顔絵を描いていく。
「似てないですよね……」
「わかればいいんだよ、わかれば」
意気揚々と描いていくトレヴァー兄さん。
私やトレヴァー兄さんなど、様々な人の名前と関係性をかいていく。
半分だけに書いたかと思うと、残りには簡単にユウシと出会ってからの年表を書いていった。
「さて、こんな感じか」
「いつも、こんなことを……?」
「おう。分かりやすいからな」
「そうなんですね」
「さて、今のジャックの状況をざっくりいうと『やったこともない罪によって教会を追放させられた』……ってことだ」
「そうですね……」
「で、ユウシくん?ムライくん?だっけ。彼が『エリーゼ王女の婚約話を漏洩、持っていた退職金の盗難』がジャックにかぶされたと」
「はい。そもそも、ユウシがエリーゼ王女の婚約話を知っているのがおかしいんです」
「そうだよな。知らないんなら、漏洩ってのもおかしい。それに、退職金の盗難って……。それ、契約書とか残さなかったのか?」
「残しました。キース司祭の机に入っています」
だよなぁと何か納得しながらも、ホワイトボードに私の証言を書き込んでいく。
「俺は部外者だから、何も言えないけどさ。そもそもの記憶が違ってないか?」
「私の記憶がってことですか?」
「あぁ、いや、違う。婚約の話と退職金の記憶。ユウシくんは、婚約については知らないんだろ?南国の方と政略だっけ?」
思わずトレヴァー兄さんを見つめる。
びっくりした。なんで、それを?
兄さんは、抵抗しないと言わんばかりに両手を上げた。
「漏洩じゃないぞ。俺の情報網に引っ掛かったからだ。ただ、正式な発表はないから放置してた」
どんな情報網を持っているんだ、この人は。
(王族の婚約話を何で……)
私の表情から察したのか、トレヴァー兄さんは少し考えた後口を開いた。
「……レイクッドの親父さんからだ。白紙の時に、話してくれた。あとは……裏の情報網だ。色々とコネを貰ってたんだ」
王国全土の水道と、北方にある広大な湖を領地にしている貴族だ。
(確か、かつての王弟が臣籍降下したと……)
旧王族のレイクッド子爵家だから、今回の話をキャッチできたのだろう。
同時に、トレヴァー兄さんの話ではありえない言葉が出てきた。
「……白紙?」
何を。
……そういえば、トレヴァー兄さんの状況を聞いていない。
「後で話す。今は、ジャックの話からだ」
壁を作られた。
というよりは、本当に『今は関係ない』から話さないのだろう。
私の心には一つの疑念が生まれた。
(まさか……婚約の……)
頭を振って打ち消す。そんな馬鹿なことはない。
トレヴァー兄さんはレイチェル義姉さんを愛しているし、逆もそうだ。
それに、体面を重んじる貴族が『白紙』にするわけがない。
「というか、俺と会っていたユウシくんが全く違う性格になるとか怖いだろ。しかも、俺のこととか何も話してないんだろ?」
「俺のこと……?」
「あぁ。俺の店に相談に来たんだよ。『ジャックさんにプレゼントをしたいんですけど、何が良いですか?あ、お金はこれくらいで』って。話はジャックの手紙で知ってたしな。ジャックが世話になっているから、俺からのお礼って意味も込めてな」
まぁ、一番高いのを持って行かれたときは笑っちまったけどなと、そのときの出来事をも思い出したのか、豪快に笑い飛ばす兄さん。
「……そういえば」
ムライは兄さんについて、何も触れていない。
会っているはずなのに、何も言ってこなかった。
王家に出入りしていたのであれば、兄さんの御用達の話も知っているはず。
「あと、気になるのはお前の処刑だ。俺の屋敷にいるのに、一切何も来ない。……まぁ、レドモンド殿下が何かしてるんだろうけどな。というか、それだけで処刑なんて出来るわけがない」
歴史上、すぐに処刑された人間は虐殺をしたり国家転覆をはかったりと、大罪人がほとんどだ。
(そういえば)
「兄さんは……レドモンド殿下がどうなっているかは、知らないんですか?」
「昨日、手紙が届いた。戻ろうとしているが、なんでか戻れないそうだ」
「戻れない?」
「まぁ、何とかなるだろ。多分。今のユウシは、王家に出入りできるのか?それで、エリーゼ王女の婚約話を知ったんじゃないか?」
「だとしても、エイブラム殿が話すかどうか……」
「そこなんだよ」
びしっと指をさすトレヴァー兄さん。
「俺が気になってるのは、『なんでみんな、ユウシが変わったことに気づいていないのか』だ」
「……確かに」
特にエイブラム殿が、ムライの態度を許すわけがない。
……そうだ。
「エイブラム殿は、ユウシに魔力が2種類ある事を知っています」
王城に上がった時に一回。
試験前に一回。
二回、ユウシはエイブラム殿立ち合いのもとで魔力検査を行っている。
当時は、全く問題なかった。
トレヴァー兄さんは、その情報もホワイトボードに書いていく。
「じゃあ、エイブラム宰相は問題がないのか……」
「いえ。恐らくですが、エイブラム殿は恐らくユウシ側です。今回の専属治癒師の交代にも、恐らく彼が関わっているかと」
「……わかんねぇなぁ。魔法が全く分からないし、なんというか……。洗脳とかされてたり?魔法がそこまで万能だとは、思ってないが……」
洗脳。
(ムライも同じことを言っていた……)
確か彼は――。
「『魔力が高い人間であればあるほど、かかりやすい』洗脳魔法……」
「……マジかよ。じゃ、この国ごとダメじゃねぇか」
トレヴァー兄さんが諦めたようにつぶやく。
口角は上がっているが、額には冷や汗が浮かんでいる。
私も背筋に冷や汗が流れる。
もし、魔力が高い人間ほどかかりやすい魔法があれば。
(レドモンド殿下が危ない)
そもそも、国の王女一人を洗脳しているんだ。
王家を洗脳して、自分の都合いい国に作り替えることだって可能だ。
国の要職についているほとんどが、魔力を持った人間だから。
(もしかすると、彼らがもう洗脳にかかっているかもしれない……)
あれほど早く交代するなんて、あり得ない。
(エイブラム殿は、すでに洗脳されているのか……!)
だとしても、どうやって。
エイブラム殿は、魔力量で言ったら普通だ。
ムライのいう事が正しければ、エイブラム殿の洗脳は浅いはず。
でも、疑問が残る。
恐らくだが、エイブラム殿は専属治癒師の交代に関与している。
要職の中でも王に近い宰相だからだ。
防護魔法を施した制服を着ているはず。
(防護魔法を貫通するほどの魔法……)
「……もしかして、会った時間とかじゃないか?」
トレヴァー兄さんが呟く。
「ですが、ユウシはエイブラム殿とほとんど会っていないはず」
「魔法を使う時ってさ、なんか条件とかあるのか?」
「条件……。そうですね。遠隔でかける場合には、必要な魔力量が多くなる。近くにいれば、少なくなる……という感じです」
「そうか。それさ、先代の研究資料に残ってないか?」
「先代?」
「あぁ。ちょっと気になって」
「それなら、トランクに入っているはずです」
返事をしてトランクを開けるトレヴァー兄さん。軽く漁り、紙の束を見せてきた。
「これか?ちょっと読ませてもらうわ」
「わかりました。では、ホワイトボードを貸していただいてもいいですか?」
「おう、いいぜ」
トレヴァー兄さんが書いたホワイトボードを見る。
私が話した出来事が書かれているものを見ていると、違和感を覚えた。
(そういえば、以前にも魔力が2種類の人がいた……)
ユウシが対応した患者であり、当時は錯乱していて話せそうになかった。
意識を取り戻した後に話を聞いたが、あの患者はどうやって教会に来たのかすら覚えていなかった。
状況が一緒の場合、今のユウシ……もといムライにはユウシの記憶がないのだろう。
(あの患者から、魔力を貰った……? いや、違う。もしかしたら)
「彼が、ユウシの魔力のトリガーになっていた……?」
ユウシが拘束魔法を使っていた。
もし、発動した魔法に別の魔力が混ざった場合。
(眠っていたはずの、別の魔力……。いえ、魂が目を覚ました?)
そして、時を待っていた。
ムライ曰く「自分の体を取り戻す」ため。
(自分の体に別の奴が入っているのは気持ち悪い……。彼は、そう言っていた)
錯乱した患者は、魔力を逃がして元に戻った。
では、ムライとユウシもそうなのか?
(でも、ムライはユウシの魂を魔力に変換した)
そもそもムライの狙いが何なのか分からない。
彼は、『王家専属治癒師の称号が欲しい』と言っていた。
「ジャック、俺の仮説を聞いてほしい」
ふと、トレヴァー兄さんが話しかけてきた。
普段よりもだいぶ、固い声だ。
振り向くと、決意が浮かんだ目が合った。
「仮説とは……?」
一瞬だけ顔を伏せたトレヴァー兄さん。
すぐに顔を上げた。
「ムライってやつが使っている洗脳魔法。もしかしてだが『心の隙間』じゃないか?」
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