第2話

「オヌシ酷いやつじゃな! まさかワシを置いて逃げ出すとは思わんかったぞ!」


 自宅の玄関に入った哲也を出迎えたのは、つい先ほど会ったばかりのイナリだった。

 かなりご立腹なようで、むーっと頬を膨らませて腕を組んでいる。どうやら勝手に入ってきてしまったらしい。

 哲也は慌てて頭を下げて謝罪した。


「す、すみません! でも、昔と違って今はルールが厳しくなってるんですよ!」

「何を言うかと思えば……」


 哲也の必死の説明に、イナリはやれやれと額に手を当てて嘆く。


「まったく、よく考えてみよ。ワシは神さまの使いじゃぞ? 周りの者の認識を誤魔化すことなど、このワシにかかれば容易いことじゃ」

「あ……」


 そうだった。冷静になって考えてみれば、イナリの正体は神さまの使いなのだ。

 だったら、それくらいのことは当然なのか、と哲也は何気なくイナリの狐耳やふわふわの尻尾を見やり、彼女が自宅にいたことを納得した。


「ほれ、分かったかの?」

「……はい。でもそれ、先に神社で言って欲しかったですね……」

「むぐっ……」


 ホッとして肩を落とした哲也に、イナリは気まずそうに俯いて人差し指を合わせた。


「それは……その、オヌシのくれた充電式カイロとやらに興奮しておったから……」

「あれ、そんなに嬉しかったんですね」

「まっ、まあまあじゃからな⁉︎ こんなもの、ワシの好きな油揚げに比べれば大したことないのじゃ!」


 呆れる哲也の視線に気づいたのか、イナリは赤らめた顔を逸らしてしまった。


「いやそれ、なんか比べるジャンルが違ってません? 好きなものと比べてる時点で、イナリさまの興奮具合がしっかり伝わってくるような……」

「うっ、うるさいのじゃ! ほれ、さっさとオヌシの住処を案内せんか!」

「はいはい、分かりましたよ」


 哲也は苦笑しながら靴を脱ぎ、まずはリビングに向かった。

 電気を付けると、ついでにその隣に設置されたエアコンのリモコンを取って暖房をオンにする。


 まだ冷たい空気が部屋に流れ出して、イナリは狐耳をピンと立たせた。


「な、なんじゃ、オヌシ! なぜ部屋を寒くしておる⁉︎  風邪を引きたいのか、バカ者!」

「いやいや、違いますって。これは温かくなるまでに時間が掛かるんですよ」

「むっ? そうなのか?」

「はい。なので、その間に家の中を案内しますよ。たぶん戻ってきたら温まってると思うので」


 哲也がそう提案して二階への階段に向かうと、イナリもそのあとに続きながら興味深そうに感心した。


「ほーん……なかなか便利なものができたんじゃな。昔はよく灯油で火を焚いとったもんじゃが」

「それは今でもありますよ。ただ、最近はこっちの方が手軽ですからね」

「ま、そこは時代の移り変わりじゃな」


 なんて話をしながら、哲也は案内ついでに自分の寝室でクローゼットに会社用のカバンとスーツを仕舞った。


 他にも、荷物置き場や風呂場、洗濯場……といった場所を見せると、ようやくリビングに戻ってきた。


「冷蔵庫と冷凍庫の進歩にも驚いたが、洗濯機も凄いのう! ボタン一つで乾燥までやってしまうとは、主婦は大助かりではないか!」

「ああ、昔は板でやってたんでしたっけ」

「うむ! といっても、ワシも洗濯機のことは知っとるぞ? しかし、あれほど使いやすくなっとるとは思わなんだ」


 イナリは嬉しそうな表情でこたつに入り込むと、その温もりが懐かしかったのか、首元まで布団を引っ張ってさらに顔を緩ませた。

 哲也はその姿に笑みを浮かべ、こたつの後ろにあるキッチンに回り、二人分のマグカップを取りながら言う。


「まあ、最近じゃ俺みたいな男でも家事をやるぐらいですから。どんどん便利な物が増えてるんですよ」

「ほう、それは凄いのう」


 言いながら、イナリは口角を上げて微笑んでいた。

 そんなイナリにココアの入ったマグカップを手渡すと、しきりに息を吹いて冷ましてから、慎重に口をつけた。


「あちっ! オヌシ、この熱さでよく飲めるのう……」

「そんなに熱くしてませんけど……猫舌なんですね、イナリさま」

「やかましいのじゃ!」


 そんなやり取りをしながら、しばらくテレビを見て楽しんでいた哲也たち。

 しかし、ふとテレビ台の中にあったゲーム機が気になったようだ。


 イナリはその台の中を指差して、不思議そうに聞いてくる。


「のう、哲也よ。あそこには何が入っとるのじゃ?」

「え? ああ、ゲームですよ、ゲーム」

「げえむ? オヌシ、なかなか金持ちなんじゃのう」


 感心した顔でマグカップをこたつのテーブルに置いたイナリの興味は、すでにテレビからゲーム機へと移ってしまったようだ。


「いやいや、これでも大人ですし、ゲームぐらいは買えますよ」

「そんなもんかの? まあ、ワシはげえむなんぞやったことないから、よく分からんが」

「やってみます?」


 聞きながら、哲也はこたつから出てテレビ台に向かう。

 イナリは狐耳をピンと立てて、小さく動かした。


「むっ、いいんかの?」

「はい。でも俺、そろそろ夕飯の支度するんで軽く説明するだけになっちゃいますけど」

「うむ、構わんぞ」


 ゲーム機の準備を始めた哲也を、わくわくした表情で時々身体を揺らしながら見つめてくるイナリ。

 哲也はそんなイナリの姿をチラリと見て苦笑し、手早くゲームの電源を入れた。

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