第31話 清瀬奈央にとって清瀬栞とはなんだったのかに関する一考察Ⅰ

※今回、全編を通して奈央視点です。

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 あたしには本当に幼い頃の記憶がなかった。周りの子は普通なら3歳や4歳くらいから何かしら記憶があるはずなのに、わたしの思い出せる一番古い記憶は、小学生3年生くらいの時の、『お姉ちゃん』のあたしに向けてくれた笑顔だった。当時のあたしは人見知り気味で、特に年上の『お姉さん』が苦手だったことを、微かに憶えている。


 記憶の始まりが他の子に比べて遅いことに、違和感を抱いたことがないというと嘘になる。けれど、身近にお姉ちゃんと言う規格外の天才がいたから、あたしは単に記憶力が他の子に比べてちょっと残念なだけなんだろう、と、自分を納得させてしまっていた。


 だから、これまでお姉ちゃんやお父さんやお母さんがだなんて、想像したこともなかった。お姉ちゃんをはじめとして、いつも帰りが遅いお父さんや、たまにしか帰ってこれないお母さんだって、あたしに本当の子供のような愛情を注ぎ、あたしが間違ったことをしたら遠慮なくちゃんと叱ってくれた。


 特にお姉ちゃんはあたしを毎朝起こしに来てくれたり、学校の準備を手伝ってくれたり、ちょっと世間一般のお姉ちゃんに比べてシスコン気味で、過保護なところがあるかもしれないなぁ、と思うことが度々あった。だから実際、お姉ちゃんが中学に入るくらいの時に


「お姉ちゃん、ちょっとあたしに対して甘すぎない? このままじゃあたし、ダメ人間になっちゃうよ?」


と、勇気を出して言ってみたことがある。本当はお姉ちゃんにお世話してもらえなくなって、お姉ちゃんとの時間が減ることが怖かった。けれどお姉ちゃんは優しい瞳でわたしのことを見つめて


「奈央ちゃんは妹なんだから、お姉ちゃんにいくらでも甘えていい権利があるんだよ。妹は姉の所有物なんかじゃない、むしろお姉ちゃんは妹の所有物みたいなものなんだから」


と、ちょっと大袈裟なことを言ってきたのをよく覚えてる。


「もうっ、お姉ちゃんはあたしのことを、お姉ちゃんが生きといけない体にして、ダメ人間にしたいの?」


「うふふ、それもそれでありかもしれないね」


 いたずらっぽく微笑んだお姉ちゃんがどこまで本気だったのかわからない。けれど当時のあたしはそんなに深いところまで考えてなくて、お姉ちゃんから『甘えていい』って言ってもらえたことが嬉しかった。そしてお姉ちゃんが中学に入ってからも、ずっとお姉ちゃんと一緒に居れたらいいな、と淡い期待をしていた。けれど。



 中学に入り、お姉ちゃんは先生の勧めで新体操部に入ることになった。お姉ちゃんは体が柔らかくて運動神経がいい上に、あたしと本当に姉妹なのかな、と疑いたくなってしまうほど美人で、妹のはずのあたしも時々見惚れてしまうくらい美しかったから、新体操はまさにお姉ちゃんに向いてると思った。そして実際、お姉ちゃんは新体操の適性があったみたい。次々に大会で好成績を残していき、中学2年生の夏には既に全国大会まで出場して、上位に食い込むほどになっていた。


 あたしの大好きなお姉ちゃんが部活で活躍して、みんなから称賛されるのは妹のあたしとしても鼻が高かった。そしてお姉ちゃんの1ファンとして、フロアマットの上で白鳥のように美しく舞うお姉ちゃんを見られるのは嬉しかった。けれど、部活に所属して、優秀な選手だと期待されるようになると、お姉ちゃんが部活に拘束される時間はどんどんと長くなっていき、反比例してあたしとお姉ちゃんが家で二人きりで居られる時間はどんどんと減っていった。


 仕方がないことだ、ってわかっていた。あたしだって美しいお姉ちゃんの演技を見るのは楽しみだし、お姉ちゃんの活躍は自分の事のように嬉しい。それに、お姉ちゃんは『甘えていい』って言ってくれてるけれど、聞き分けのないことを言ってお姉ちゃんを困らせるのはイヤだった。だから、あたしは自分の寂しい気持ちに蓋をして、周りからは聞き分けのいい妹に見えるように振る舞った。そして中学に入ると、自分も寂しさを忘れるために部活に入ることになった。


 その時にバスケットボール部を選んだのはなんとなくだった。あたしは体が固いしお姉ちゃんみたいに美人じゃなかったから、新体操部は最初から候補にならなかった。それだけだったら他の部を選んでも良かったのだけれど、バスケ部の体験入部の時に手にしたバスケットボールはなぜか手になじみ、子供の頃に大切な幼馴染と、毎日のように追いかけていたような気がした。そんな記憶はあたしのどこにも残っていないはずなのに。


 そしてバスケ部に入部してからというものの。練習中に、同じ体育館で練習をしているレオタード姿のお姉ちゃんに、ふとした瞬間にあたしの視線は向いてしまった。これまで大会の時に、遠い観客席でしかお姉ちゃんのそんな姿は見たことがなかった。けれど間近で見るレオタード姿のお姉ちゃんは体のラインがはっきりしていて、長くてほっそりした手足がむき出しになっていて、あたしの心の中にこれまでにない感情が沸き上がってきた。


 ——ははは、お姉ちゃんのことを考えないようにはじめたバスケなのに、結局お姉ちゃんの事ばっかり考えちゃってるな。あたしも、お姉ちゃんに依存してる相当なシスコンだ。


 自嘲気味にそんなことを思っていた。



 結局、お姉ちゃんほど運動神経に恵まれていない上に練習中はお姉ちゃんに見惚れて集中できないことも多かったあたしは、引退時も試合の準レギュラー入りするのがせいぜいで、あたし達の学校のバスケ部自体、県大会どまりだった。それでも、バスケ部で過ごした日々は楽しかったし、高校に入ってからも続けてもいいかな、なんて思っていた。

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